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44.虎の尾を踏む

ウィルの部屋の前で深呼吸をする。

しっかり気配と足音を消してきたから、驚くことだろう。

いたずら心を胸に、勢いよくドアを開けた。


「きゃっ」


驚いたのは私の方だった。慌ててドアを閉める。

だって目の前に上半身裸のウィルがいたのだ。どうやら着替え中だったらしい。

だけど次の瞬間気付いた。


もったいなくない?


そう思い直して冷静に再度ドア開ける。


「おい」


目が合うとウィルは呆れたように笑った。


「いやせっかくの機会なんでじっくり堪能させていただこうかと」

「すけべ」


言って乙女のように胸元を隠すウィルに笑う。


「また惚れなおしちまったか?」

「毎日惚れ続けてるので今更だわ」


好きアピールにすっかり慣れられて、今やただの軽口扱いしかされていない。

好きって言われると好きになっちゃうという情報は残念ながらデマのようだ。


笑いながら着替えを続けようと、胸元から手を外したその下に、タトゥーがあることに気付いた。

そんなところにタトゥーがあったのか。

もう半年以上も一緒にいるが、初めて知る事実だ。


錨のマークなのは海の男だからか、とスルーしそうになるが、どこかで見覚えがある気がして視線を止める。

それに気付いたのか、ウィルが私の視線を追って自分のタトゥーに目を向けた。


「ああ、」


言って何気ない仕草で左胸のタトゥーを撫でる。

それが意味するものに気付いて顔が強張った。


「これが何か知ってるのか」


私の表情の変化に気付いたらしいウィルが、僅かに歪んだ顔で笑う。


そう、左胸に錨。


――それは確か海軍入隊時の儀礼のひとつだ。


たしか、海軍学校を卒業して正式に従軍するときに彫られるもののはずだ。

一度見せてもらったことがある。

それは確かにウィルの胸にあるのと同じデザインのタトゥーだった。


その錨のマークの中央に、引き攣れたような傷跡があって、絵の一部が消えているけれど確かにあれは海軍の印だ。


「……海軍、の、人なの」

「そういう過去もあったかな」


曖昧に笑って服を着る。

どこか空々しさを感じる声だった。


「その傷跡は海軍に居たころのもの?」

「いや」


確かめるように服の上からタトゥーのあったあたりをなでる。


「自分で焼いた」


皮肉げに笑う。

あっさり吐かれたセリフは、けれど簡単に看過出来るものではなかった。


「自分で……」


誰にともなく呟いて、少し考える。

あの傷があった場所。

消えた絵の一部。

あそこにはそう、確か【正義】を意味する言葉が彫られるはずではなかったか。

それを自分で焼いたことに、どういう意味があるのか。


「海軍だったのに、どうして海賊になんかなったの?」


単純な疑問だ。深い意味はなかった。


海賊は海軍の敵。

それは子供でも知っていることだ。

なのにどうして。


けれどウィルの空気がビリッと殺気立った。

思わず身を竦めてしまうほどに。


「海賊なんか、ね」


吐き捨てるように言う。

怖い顔をしていた。

初めて目にする雰囲気に、わずかにたじろぐ。


どうやら私は地雷を踏んでしまったらしい。


「さぁな。もともとの気性に合ってたんだろ。海軍なんかよりな」


貶すように言って舌打ちをする。


「ご……ごめん……」

「別に謝るこたねぇよ」


ウィルは笑ってくれたが、荒れた気配はそのままだ。

そうして数か月前のことを思い出す。

いや、忘れたことなんてなかった。

海軍からの執拗で容赦のない攻撃。

あれは彼が海軍の兵士だったことに関係があるのか。

おそらくそうなのだろう。

どんな因縁があるのか知りたい。けれど果たして聞いたところで答えてくれるものか。

いや、きっと無理だ。

だって私を見るその顔。

笑みが張り付いているが、どこか能面みたいだ。


これ以上は口に出すことさえ許されないような空気がそこにあった。


何も言えずに沈黙が流れる。

俯くことしか出来ない私に、ウィルが深いため息をついた。


「……そういや何か用があったんじゃないのか」


こんな時間にどうした、と声のトーンをいつもの調子に戻して言う。

もうこの話はおしまいとばかりに、表情も和らいだ。


強引で適当に見えて、この人はいつも私を気遣ってくれるのだ。

だから私も気にしなかったフリでそれに乗る。

少しでもこの空気を変えてしまいたかった。


「あ、そうだ夜這いをしにきたの」


だからあえて軽い口調で素直に問いに答えると、予想外だったのかウィルが思い切り噴き出した。

それで空気がすっかり元に戻った。


「おまえな……」


どう反応していいのか困って言葉に詰まるウィルをかわいいと思う。

だから自然に笑うことが出来た。


いつか海軍の時の話をしてくれればいいけど、話してくれなくてもいい。

こうしていろんな表情を、隣で見させてもらえるなら。


「だってもう前の島から一ヵ月でしょ? そろそろそういうのが必要な頃かなって」


それでうっかり手を出してもらえれば万々歳だ。

ついでにこの身体でもいいやと思ってもらえれば、他の女性に手を出さずに済むかもしれない。


「初めてだからテクニックとかはないけど、色々教えてもらえれば頑張って覚えるよ。ほら、手先は器用な方だし、身体動かすのも得意だし」


矢継ぎ早にお買い得ポイントをアピールする。

恥じらう気持ちはもちろんあるけれど、少しでも面倒臭くない女のフリをしていたい。重い女だと思われて、腫物扱いにはなりたくないのだ。

ウィルは表情とセリフを決めかねているようで、口許をもにゃもにゃと動かしていた。


「いやもう……ちょっと黙ってろ」


呆れたように頭を抱える。

そのまま疲れたようにベッドに座り込んだ。


「どうしてもダメ? 処女が面倒で嫌って言うなら他でどうにかしてくるよ。仕込むのも面倒ならいろいろ勉強してからリベンジする」


やっぱりダメか、とがっかりしながら、それでも未来の可能性にかけて再びアピールを始めるとウィルの表情が変わった。


「……他?」

「え?」


聞いたこともないような低い声にびくりとする。


「他ってなんだ」

「え、……っと、そうだな他の人に手ほどきをお願いするとか……?」


深く考えてのセリフじゃなかったから、思いもよらず突っ込まれてしどろもどろに返す。

ウィルの表情がますます強張った。


「あっ、船内の風紀が乱れるからやめろっていうならもちろんしないよ。そしたら次の島で私もそういう仕事の人探してみようかな」


焦って考えなしな言葉を重ねていく。

どうやって見つければいいのかはわからないけど、そういう仕事の女性がいるなら男性でもいるのではないか。

ただの思い付きだが、それはなかなか良い案に思えた。


ビリビリとウィルの纏う空気が殺気立っていく。

先ほどの比ではない。


剣士として勘が警鐘を鳴らしている。

目の前にいるのは好きな人なのに、本能的に身体が逃げようとしていた。


「……ちょっとこっち来い」


地を這うような低音で言われてわずかに後退る。

なんだかわからないけど、明らかにぶち切れている。


「え、やだ、なに、こわい」

「いいからこい」


声は静かなのに、ただならぬ威圧感に気圧される。


足が震えるが、有無を言わさぬ口調に逃げ出したくなる気持ちを抑えて、ふらりと一歩踏み出した。

そのままよろよろと近付くと、あと一歩のところで素早く腕が伸びてきた。


「ひぇっ」


そうしていきなり腕を掴まれて、反応できない速度でベッドに引き倒された。


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