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25.陸上生活⑤

「名残惜しいけどそろそろ行こうかな」


歌うように言ってアルフレッドが席を立つ。

持っていたグラスが空になったから、新しく注ぎに行くのだろう。


「意地悪ね」

「ははっ。拗ねた顔も可愛いな」


すっかりいつもの調子に戻ったアルが、軽やかな足取りで中央のテーブルへ戻っていく。

彼のおかげで余計に酔いが回ってしまった。火照った頬を自分の手で仰いでみても、ちっとも熱が下がりそうにない。

そろそろ切り上げた方がいいかもしれない。

立ち上がって、アランのところへ行こうとすると足が少しふらついた。

自覚以上に酔っているみたいだ。


「大丈夫かおまえ」

「……ダメかも」


ぬっと伸びてきた手が私の二の腕を掴んで支える。

それがウィルの手だと気付き、強張りかけた身体からすぐに力が抜けた。

酔った顔を見られるのが恥ずかしくて、逆側の手でとっさに顔を隠す。


「真っ赤じゃねーか」

「ちょっと酔っちゃって」

「それは見りゃわかる。アルになんか言われたのか」

「え?」

「さっきなんか話してたろ」

「ああ……少しね。でも別にアルのせいじゃ、」


言いかけて言葉が途切れる。

まぁアルのせいと言えばアルのせいとも言える。

いつもああやって女性を口説いているのだろう。

あんなの、簡単に落とせる。落とし放題だ。恐ろしい。秒でハーレムが形成できそうだ。あの口説き文句を本気にしたらきっと地獄を見ることになる。

思わず身震いする私に、ウィルが眉根を寄せた。


「なんか嫌なこと言われたのか。あとで船首に吊るしとくか?」

「ぶっ、物騒なこと言わないでよ。そんなんじゃないから」

「ならいいが……言えないようなひどいこと、」

「ちがうったら」


思わず苦笑する。


「いつもみたいに口説かれてただけ。顔が赤いのは本当に酔っただけよ」

「そうか……けどま、もう休んだ方が良さそうだな」

「うん、そうするつもり。最後にアランに挨拶しようと思って、」

「おいお前ら! そろそろ解散だ!」

「うぃー」

「あいよー」

「えっ、いいよまだみんな飲み足りないでしょ!?」

「いいんだって。まだ飲みたい奴は二次会行きゃいい」

「でも、」

「下で騒いでたらおまえが寝れないだろ」

「それは……けどそれくらい平気だよ」

「ばぁか。昨日も遅くまで寝れなかったんだろ。今日はちゃんと寝ろ」


ポンと頭に手を置かれ、ぐいぐいと雑に撫でられる。


「……じゃあ、そうする」

「おう。ガキが遠慮すんな」

「ガキじゃないんですけど」

「ガキだろ。酔っ払い。片付けはこいつらがやっとくからシャワーでも浴びて酔い覚ましてこい」

「うん。ここはいいから行っておいでレーナ」

「そそ。女の子の夜更かしはいいことないよ」

「お、なんなら俺と一緒に入る?」

「エミリオ!」


テオとアルが気遣ってくれたあとで、エミリオが調子のいいことを言ってワイアットに怒られる。


「あははっ」


思わず笑う。みんないつもこんな調子だ。

エミリオが「本気なんだけどな」と拗ねたように続けて、ワイアットに叩かれた。

ちっとも痛くなさそうだ。


「ほら、いいから行ってこい」

「うん。ありがとうみんな。じゃあお言葉に甘えて、行ってくるね」

「いってらっしゃい」


数人の声が重なって、アランがひらひらと手を振ってくれた。


「おやすみレーナ」

「おやすみアラン。誕生日、本当におめでとう」

「うん、コンパスありがとう。すごく嬉しかった」


最後にアランと笑顔を交わし合ってから、みんなにおやすみなさいと告げる。

たぶんほとんど全員が二次会に行くのだろう。

私の睡眠時間を気遣って、わざわざ外のお店に。

ありがたくて、なんだかとてもくすぐったい気持ちだった。



シャワーを浴びて、二階の部屋に向かう。


途中に通った食堂はすっかり片付いて綺麗になっていた。

さっきまであんなに騒がしかったのが嘘みたいに、しんと静まり返っている。

みんなもう夜の街に繰り出しているらしい。

それを少し寂しいと感じてしまって苦笑する。

なんて我儘なことを思っているのだろう。

私に気遣ってくれた結果だと言うのに。


部屋に戻って、テオがくれた髪飾りで生乾きの髪をくるりとまとめる。

現世で不便を感じたことはあまりなかったが、ドライヤーがないのはちょっと厄介だ。

どれだけ気を付けても、髪の毛は傷んでいく一方だった。

王宮暮らしに散々お手入れしていたあの極上の髪質は、今や見る影もなかった。

それに、濡れたままの髪が首筋にあるのが鬱陶しくて仕方ない。

そう考えると、楽に留められるタイプの髪飾りをチョイスしてくれたテオには感謝だ。


テオがいるであろう飲み屋街の方面に向かって拝んでいると、ドアがノックされた。

こんな時間に誰だろう、と返事をしつつドアのカギを開けると、扉の向こうにウィルが呆れた顔で立っていた。


「おまえなぁ」

「あれ? どうしてまだいるの?」

「んなこたいいんだよ何開けてんだ馬鹿」

「馬鹿とはなによ自分でノックしたんじゃない」

「馬鹿だろうが確認もせず開けたら鍵の意味ないだろ馬鹿」

「あ」


そういえばそうね、と声を上げた瞬間べちっと額を叩かれた。


「いたい!」

「お仕置きだ馬鹿」

「何度も馬鹿馬鹿言わないでくれる!?」

「お客さん夜はお静かに願いますよ」


しー、と口許に人差し指を立てながら、部屋に入ってきたウィルが後ろ手にドアを閉める。

確かに声が大きかったと気付いて、慌てて手で口を覆う。


「さっぱりしたか?」

「うん。おかげさまで。ありがとうねウィル」


言って、ベッドに腰掛けながらウィルに椅子を勧める。


「でもどうしてここに? みんなと飲みに行ったんじゃなかったの?」

「ああ、ちょっと忘れ物してな」

「そうなの? 何忘れたの? お財布?」

「いや、いいんだ。勘違いだった」


椅子をこちらに寄せて、ウィルがドカッと腰を下ろした。

船の自室より広いのにいつもの距離が落ち着くのか、すぐ近くだ。手を伸ばせば触れられる。


「じゃあもう行っちゃうの……?」


言った瞬間、縋るみたいな声だったことを自覚して恥ずかしくなる。

案の定、ウィルが神妙な顔つきになる。いつもはこんなこと言わないから、気持ち悪かったのかもしれない。

私だってこんなこと言うつもりなかった。

さっき寂しいと思ってしまっていたところに、タイミングよくウィルがきたせいだ。

きっとそうに違いない。


「ごめん、さっきまで騒がしかったのが急に静かになっちゃったからつい」


慌てて言い訳するが、ウィルは何も言わなかった。

私もそれ以上何も言えなくなって、沈黙が続いた。

気まずくなって俯く。


いつも船で夜に来てくれるときは、沈黙の時間があっても気まずくなんてならなかった。

波の音が聞こえて、小さな窓から星空が見えて、二人でそれを見ながら静かな時間を過ごすのが好きだった。


ここは何の音もしない。

窓の外も曇っていてよく見えない。


何か別の話を切り出したいのに、上手く言葉が出てこなかった。


「ひゃっ」


前触れもなく手がうなじのあたりに触れて、ビクッ身体が跳ねた。


それはうなじではなく、くるりと髪をまとめた髪飾りに触れているのだと気付く。

過剰反応したのが恥ずかしくて、顔を上げられなかった。


「あ、これ、テオがくれて、」


誤魔化すように言った瞬間、ぱちんと髪飾りが外されて言葉が途切れる。

ばさっと髪がほどけ落ちた。

すぐ近くのサイドテーブルに、コトンと音を立てて髪飾りが置かれる。


「……髪、少し傷んできたな」

「う……ん、少しっていうか、だいぶ、だけど」


髪の先をすくい上げ、静かにウィルが言う。

いつもとは違う調子の声に、少し戸惑った。

心臓のリズムがわずかに狂い始める。


「手入れの道具が必要だな」


サイドの髪をかき上げて耳に掛けながら言う。ぞわぞわと、嫌悪とは別の感覚が首筋を駆け上がる。

だけど冗談めかした感じもなく、真面目な顔のまま言うので茶化すことも出来ない。


指先が耳に触れる。

カツ、と爪が珊瑚のピアスに当たる音がした。


「ピアスはその、アルが、」


仲間って認めてくれたのかなとか、心の籠ったプレゼントって嬉しいのねとか。

焦ったようにひとり喋り続けるが、ウィルは笑ってくれない。

無言のまま反応がなくて、すぐに勢いを失う。

結局また何も言えなくなって俯いた。


ウィルの手が器用にピアスを外していく。

触れる場所が燃えるように熱い。

甘い痺れがそこかしこに走って、身体が震えそうになる。

心臓がやけにうるさい。

この静かな空間では、ウィルに聞こえてしまいそうなほどだった。


髪飾りが外され、ピアスも奪われて。

船に乗った初日と重なる光景なのに、湧き上がってくるのはまったく別の感情だ。


もらったばかりのプレゼントはサイドテーブルの引き出しにしまわれて、私の視界から消されてしまった。

せっかくもらったものをどうして、と抗議するべきなのに、ウィルの目を見たら何も言えなくなってしまった。


少し後悔しているような、でもどこか満足げな。


しばらく見つめ合ったまま、何も言わないでいた。

ウィルの手の平が首筋を這う。

ぞくりと肌が粟立った。

すぐにでも手を離してほしいのに、ずっと触れていて欲しいような妙な感覚だ。


「……つけたまんま寝ると怪我すっから」


わかりきったことを言い訳のように言って目を逸らす。自分でも不自然なことをしていると自覚があるのだろう。


「……外で飲んでくる」


誤魔化すように立ち上がって背を向ける。

離れていく手が惜しかった。


何も言えずにいると「鍵を閉めろよ」とだけ言って彼は部屋を出ていった。


人の心を搔き乱すだけ搔き乱して、勝手な男だ。

どうせまた女のところへ行くのだろう。


そう思うと胸が痛かった。

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