24.陸上生活④
追加で買ったものも全て船に積み終えて、少し広場に寄り道をしてから宿に戻る。
空はもう暗く、屋台を飾る灯りがキラキラと輝き始めていた。
夜はアランの誕生日祝いということで、みんなで盛大な宴会を開いた。
宿の一階の食堂を借り切って、酒も料理もお任せでどんどん出てくる。ここのところずっと給仕を取り仕切っている側だったから、何もしなくても食事が出てくるのはとても楽でいい。
調子に乗って私もお酒を飲んだけれど、普段飲んでいないせいか、すぐに頭がふわふわしてきてしまった。
熱を持った頬を覚ますために窓際に椅子を持ってきて、しばし風にあたる。
冷たくて気持ちのいい風だった。
「ふぅ……」
「レーナ、疲れちゃった?」
一息ついていると、今夜の主役であるアランが私の隣に立った。
「お酒弱かったみたい。あんまり飲んだことないから知らなかったわ」
笑いながら言うと、アランが心配そうに赤くなった私の頬に触れた。
「眠たかったら休んできていいからね」
レーナいないと寂しいけど、と可愛いことを言ってくれながら、アランも椅子を引っ張ってきて隣に座る。
「ありがとう。でももっとアランのお祝いをしていたいから」
「嬉しい。でも無理しないでね」
「うん。……あ、そうだこれ、」
言ってポケットから小箱を取り出す。
帰りに露店に寄った時に買ったのだ。
「誕生日おめでとう。アランにとって良い一年になりますように」
「ありがとう! 開けていい!?」
「もちろん。大したものじゃないけれど」
破顔して受け取るアランが眩しくて、少し目を細めて微笑む。
酔っぱらっているせいか、彼の周りが本当にキラキラして見える。
いそいそと箱を開けるアランの目が、中身を見たとたんに輝きだす。
「コンパスだ! かっこいい!」
心底嬉しそうに言われて安堵する。
真鍮でできたそれは、ふたの部分に精巧な細工が彫ってあり、一目で気に入ってしまったのだ。
完全に自分の趣味だったけれど、アランも気に入ってくれたなら良かった。
アルコールのせいもあるのか、彼の頬も紅潮していた。
いつも素直で、優しくて、たまに頼もしくてかっこよくてかわいい。こんな弟がいたら、死ぬほどかわいがり倒すのに。
ふわふわした頭でそんなことを思う。
「ふふ、レーナ、くすぐったい」
気付くとアランの頭を撫でていた。ストレートの短髪は、手の平にさらさらと気持ちがいい。
アランは照れくさそうに目を細め、くすぐったいと言いながらも私の手からは逃げなかった。
「アランはかわいいなぁ」
「オレ男なんだけど」
「関係ないよ。かわいいものはかわいいの」
「そんなこと言ったらレーナの方が可愛いよ。あ、でも可愛いより綺麗だな」
「んふふ、そういうこと言ってくれるアランの方がずっと可愛いわ」
お互い酔っているからだろう、なんだかよくわからない褒め合いを、締まりのない笑顔で繰り返す。
今はウィルというツッコミ役もいないからエンドレスだ。
「なーにじゃれてるの」
「アル」
ワイン片手に寄ってきたアルフレッドに声を掛けられる。
こちらはまったく酔っている感じはしない。
アルはこの海賊団のなかでもトップクラスの酒豪らしい。
「レーナ、俺からのプレゼントは受け取ってくれるかい」
「ええ、オレにじゃないの?」
「アランには前の時にもうやっただろ」
「ジャガイモひとつじゃ納得できないね」
「いいから主役は戻りな。ミゲルがしょんぼりしてるぞ」
「ちぇっ、これだからアルは」
アランがむくれながら、それでも宴会の輪の中に戻っていく。
ミゲルが嬉しそうに迎え入れるのが見えて、微笑ましい気持ちになった。
「隣に座っても?」
近くのテーブルにグラスを置いてアルが微笑む。
「もちろんどうぞ。もう飲まないの?」
「あとでね。今は酔って魅力を増したキミに優先するものなんてないよ」
「みっともない顔してない? 顔の熱が引かなくて」
「頬がバラ色に染まって目元の美しさが際立ってる。それに瞳も潤んで最上級のエメラルドみたいだ」
「やだ、完全に酔っ払いの顔じゃない」
良いように言い換えてくれているけど、要するにそういうことだろう。
恥ずかしくて、隠すように両手で顔を覆う。
アルフレッドが苦笑した。
「俺の言葉が全然響かないところも愛しいよ」
響いていないわけではないが、あまりにも大袈裟すぎて恥ずかしくなってしまうのだ。
それにいちいち真に受けていると、変な勘違いをしてしまいそうになる。
だからあえてスルーしているだけだ。
恋愛経験知の高い女性ならば、これくらい恋の駆け引きのスパイスとして楽しく受け取れるのだろうけど。
「そんな愛しのキミにどうしても渡したいものがあるんだ」
「アランの誕生日なのに私にプレゼントなの?」
「他のやつからも受け取ってるだろ。俺のももらってよ」
苦笑しながら言うと、真新しい髪飾りを指さしてアルフレッドが言った。
「よく気付いたわね」
「レーナのことは毎日見てるから」
女性の変化は見逃さない、アルフレッドらしい目敏さに感心してしまう。
「テオがくれたの。かわいいでしょ」
「うん。よく似合ってるよ。本当に可愛い」
いつもより真剣味のました声と表情でアルが言う。
自然、頬がお酒とは別の原因で熱くなった。
軽い口調で愛を囁かれるのにはすっかり慣れてしまったが、真面目な口調で言われることなんてほとんどない。
こうやって真正面から目を見据えて言われると、途端にどうしていいのかわからなくなってしまう。
「テオが選んだと聞いて納得だ。キミにぴったりなものを良く知っている」
言いながら、男にしてはキレイな手が私に向かって伸ばされる。
指先が髪飾りに触れた。
チリッと、うなじの辺りにしびれが走る。
「先を越されたな」
低い声で不満げにぼやいて、少し悔しそうにアルが笑った。
今日のアルフレッドはいつもと違う表情ばかりだ。
挨拶みたいな口説き文句なら慣れているのに、これでは戸惑ってしまう。
どう反応するのが正解なのだろう。いつものように茶化したり受け流したりするのは違う気がした。
「……アルは、何を選んでくれたの」
だから私もちゃんと聞くことにした。
アルは少し目を瞬いて、それから髪飾りから手を離し、いつもの色男な笑みを浮かべた。
「これ。開けてみて」
渡された小箱は綺麗に包装されていて、それ自体がプレゼントみたいで開けるのがもったいないくらいだ。
そっと開けると、中には赤いピアスが鎮座していた。
「この町の特産品の珊瑚を加工したピアスなんだ。いい色だろう」
深紅のピアスは控えめな大きさで、シンプルな球体だった。
なんとなく派手なアクセサリーを想像していたから、少し意外な気がした。
「うん……すごく綺麗……つやつやしてて質感もいいね……」
ぽうっとしながら手の平の小さなピアスを見つめて呟く。
宝石とは違って輝く美しさではないが、吸い込まれるような赤色だ。
そういえば、とふと思い出す。
現世の両親は、よく私に赤色を身につけさせたがった。
私のことは大嫌いだったが、私の外側は好きだったらしい。髪の色や瞳の色を称えた後で、だからお前は赤が似合うのだとドレスもアクセサリーも赤いものを押し付けてきた。
それを嬉しいと思ったことは一度もなかったけれど、このピアスには不思議と心を惹かれた。
贈ってくれた人の心遣いを感じるからかもしれない。
「つけてみてもいい?」
嬉しくなって聞くと、私の手からアルがピアスを取り上げた。
そのまま立ち上がるアルに、くれないの? と眉尻を下げて見上げると、なんとも言えない顔で目を逸らされた。
「いやうん……俺がつけてあげる」
「えっ、いいよ! 自分で出来る!」
「ダメ。つけさせて。お願い」
「でも……恥ずかしい、から」
男の人にピアスをつけさせるなんて。
そんなの、なんかちょっといかがわしい気がする。
「嬉しいな。少しは意識してくれた?」
「ええ……するよぉ普通に……アルかっこいいもん……」
また熱が上昇し始めた頬を押さえながら、今度は私が目を逸らしながら答えた。
改めて思うがアルフレッドの顔はとても整っている。至近距離で見るとなおさらだ。
少し垂れた目尻が造作の甘さを際立たせている。緩くウェーブした金髪は肩まで伸びて、まるでどこかの王子様みたいだ。
そんな人がすぐ目の前にいて、そのうえ私にピアスをつけてくれようとしている。
その事実から、目を逸らさずに受け止めるのなんて恥ずかしいことこの上ない。
誰にでも平等に優しいのは知っているが、それでも今まさにこの瞬間私に優しいという状況に対するトキメキは中和出来るものではない。
アルフレッドはピアスの留め具を外すと、一歩近寄って私の耳に触れた。
反射的にぎゅっと目を閉じる。
「……ふ、緊張してる」
嬉しくてたまらないみたいに、笑いを含んだ小さな声でアルが言う。
そろりと目を開けると、幸せそうな顔で微笑んでいた。それを見てさらに緊張が高まる。
逃げ出したい気持ちをこらえて身体を強張らせていると、外したままのピアスホールに珊瑚のピアスが通された。
留め具をつけるために、耳の後ろにアルの指が添えられる。
ぞわぞわと産毛が逆立っていく感覚があった。
「…………も、」
「も?」
「もうむり……げんかい……ゆるして……」
頭がグルグルしたまま、辛うじてそれだけ言って目の前に迫ったアルの身体を震える手で押し返す。
これ以上は耐えられそうになかった。
「……っっふ、……あははっ」
真っ赤になっている私を見て、とうとうアルが笑いだした。
あまりの恥ずかしさに泣きそうになりながらアルを見上げる。
それは馬鹿にしてるとかの嫌な感じではなく、いつものキザな感じでもなく、ただただ幸せそうな笑顔だった。
もしかしたらこれが素の笑い方なのかもしれない。
これも初めて見る表情だ。
気取った喋り方や笑い方より、こっちの方が好きかもしれない。
恥ずかしさも忘れて笑顔に見惚れながら、そんなことを思う。
「……はー。ごめんねレーナ。からかったわけじゃないんだ」
「うん、わかってる……けどやっぱり恥ずかしいから、もう一個は自分でするね」
「ちょっと残念だけどわかった。諦めるよ」
そう言ってピアスの片割れを私にくれた。
酔いと動揺でおぼつかない手つきで、なんとか自分でピアスをつける。
アルがそれを夢見るような表情で見ていた。




