23.陸上生活③
テオはいつでも紳士だ。
声を荒げているところを見たこともないし、髪を結ってくれるときはいつも律儀に断りを入れてくれる。
荷物を持ってくれるのも当たり前にやってくれるし、手が空いた時には私の仕事を手伝ってくれる。
アルフレッドのように派手な容姿ではないが、控えめなパーツは綺麗に整っていて、柔和な物腰は話しているこちらの心を落ち着かせてくれる効果もある。
だがこれはまったく落ち着けない。
無理だ。
人ごみの中、繋がれたままの手は汗をかき始めていた。
手を繋いでいるだけだというのに妙に緊張してしまう。
やはり免疫がないとこうも不自然な態度になってしまうのだろうか。
テオにとってはこんなことなんでもないのだろう。
六歳差だし、妹扱いされているのかもしれない。
だいたいアル同様テオもモテそうだし、女性をリードすることなんて慣れているに違いない。
だからこんなことで動揺している私はまるで勘違い女でしかないのだけど。
時間が経つにつれ荷物が増えて、手が離れたことにホッとする。
ちょっと買い物をしたくらいじゃありえないほどに疲労しているのは、もちろん手に全神経を集中させていたせいだろう。
どれだけ経験値が低いのかと過去の自分を呪いたくなる。
「よし、今日はこれくらいにしておこうか」
「……うん」
「ん? 疲れちゃった? ちょっと休もうか」
対するテオはと言えば、いつも通りの穏やかな顔だ。
ひとり勝手にくたびれているのが馬鹿みたいに思えてくる。
「ううん大丈夫。荷物いっぱいだし早く置きに行こう」
「そう? じゃあ全部置いてから少しお茶でもしよう」
こういうさりげない気遣いも、すごく手慣れた感じがする。
過去に付き合った人数を聞いたら度肝を抜かれるかもしれない。
いやでもきっと真面目な人だから、一人の女性と長く、とかだろうな。
勝手にテオの女性遍歴を妄想しながら、並んで船を目指す。
人ごみを抜けると喧騒は和らいで、ようやく私の心労と言うか精神疲労というかが治まってきた。
大量の食糧を船に積んで戻ってくる頃には、もう日が暮れ始めていた。
けれど露店の並ぶ大通りの入り口から見ると、賑わいはまだそのままだった。
「すごい、全然人減らないね」
「この時期は毎日こんな感じだね」
「よく来るの?」
「うん、だいたい季節ごとに一回は寄るかな」
「へぇ。だからみんなこの辺のこと詳しいんだ」
「レーナもきっとすぐ詳しくなる」
優しい声で言って、私に笑いかける。
その暖かな表情からは、私を仲間として歓迎してくれているのが伝わってきた。
「よし、もうひと頑張りしますかね」
「うん! 今日はアランの誕生日パーティーもあるし早く帰らなきゃ!」
「それでは参りましょう」
王族にかしずく騎士みたいに言って、一度離れていた手が再び繋がれる。
本当に、ごく自然な流れで断るタイミングすら見つけられない。
もちろん決して嫌なわけではないのだけれど、それどころかデートみたいで浮かれてしまうのだけど、悲しいことにものすごい勢いで精神が削られていくのは止められなかった。
「まずワイアットを探しに行こうか」
「テオも付き合ってくれるの?」
「もう今日やることは終わったし、レーナを一人で行かせるのは心配だ」
「行ったり来たりしてだいぶ道覚えたし、迷子になんてならないわよ」
「そうじゃなくてレーナは綺麗だから。一人でいたら攫われちゃう」
サラッと言われて赤くなる。
とっさに言葉を返せずに、誉め言葉を真に受けてしまった恥ずかしさを誤魔化すように俯いた。
「……すでに誘拐された身ですし?」
「あははっ、ああいや笑いごとじゃないな。ごめん」
笑った後で、困ったように頭を掻く。別に責めているわけではなく、場を和ませたかっただけなのだけど。
「その節は本当に。うちの船長が申し訳ないことを」
するりと手がほどけて、テオが深々と頭を下げた。
大仰な仕草は芝居がかっていて、私が冗談を言ったことにきちんと気付いているようだった。
「テオは何も悪いことしてないでしょう」
「まぁでもその一味だから」
「ふふ、じゃああとで何かおごってもらおうかしら」
「喜んで」
誘拐されたことを恨んだことはない。
最初こそ驚愕と混乱で脱出を考えてはいたが、今となっては楽しく気ままな海賊生活を送れていることに、感謝すらしている。
「ああ、じゃあこれ」
「え?」
ポケットを探りながらテオが言う。
「お詫びの印ということで」
渡された小さな紙袋を開けてみる。
中には深緑の石が付いた髪飾りが入っていた。
「綺麗……」
「レーナの瞳の色だ」
「あはは、私の目こんなに綺麗かな」
暮れかけた夕日にかざすと、それはキラキラと複雑な色にきらめいた。
「露店で買った安物で悪いけど。レーナに似合うと思って」
「いつの間に買ったの?」
「さっき広場で手分けして買い物したときにね」
「全然気付かなかった……もらっていいの?」
「うん。アクセサリー興味ないってのは聞こえてたんだけど。もらってくれると嬉しい」
「ありがとう。大切にする」
「良かった。今つけてあげようか」
「ふふ、テオが買ってくれたのに、つけてくれるのもテオなのね」
「大サービスだ」
おどけたように言って笑い合う。
私の後ろに回って、テオが髪を整え直してくれる。
ぱちんと音がして、緑色の石が私の鋼色の髪に飾られた。
「うん、やっぱりよく似合ってる」
「嬉しい。今日から毎日つけるわ」
「それは光栄だ」
そういって再び手が繋がれて、人ごみの中へと歩き出す。
不思議と、もう緊張はしていなかった。
十分もしないうちにワイアットを見つけ、無事に合流を果たす。
ワイアットは眼鏡をきらりと光らせて、繋がれた手をチラッと見た。
その後で「その男は案外油断ならないから気をつけた方がいい」と忠告めいた言葉を残してさっさと歩き出してしまった。
どういうことだろうとテオの顔を伺い見ると、ただ苦笑するだけだった。
ワイアットは少し偏屈なところのある船医だが、私に医療の知識と技術があるのを知って以来、何かと話しかけてくれるようになった。
主に知識の共有と勉強のためだったが、たまに日常の何でもない話や、船員たちにまつわる話も聞かせてくれる。
彼は全体的に線が細く、眼鏡の良く似合う理知的な顔立ちをしている。
白衣でも着せてしまえば、宮廷医と言われても信じられるくらいに理性的な立居振舞いをしている。
明らかに武闘派といった船員たちが多い中、ワイアットの存在は少し異質だ。
けれど見た目に反して、彼もかなり腕が立つらしい。
ウィルの船に戦えない人間なんて一人もいないのだ。
一体どこからこんな人間たちを集めてきたのだろうと不思議になるくらい、腕っぷしの強い男たちばかりだった。
「うん。私の方はこれで全部だ。レーナ、他に必要なものはあるかい」
「うーん……あ、そういえばハサミがひとつダメになってたわ」
「ではそれも買おう」
店員に声をかけ、医療用のハサミを出してもらう。
それからいくつか足りないものを挙げて、必要なものを買い足した。
「ふむ。こんなところか」
「結構早く済んだね」
医療品はひとつの店でまとめて買うので、買いまわる必要はない。
結構な荷物にはなってしまったが、人ごみの中を探し回るハメにならなくて良かった。
「ワイアットと渡り合うなんて、レーナは本当にすごいな」
「そうかな。足元にも及ばないと思うけど」
テオの言葉に謙遜でもなく本心から言う。
ワイアットの知識はきちんと教師に師事した私よりも豊富で、話していていつも不思議に思う。
だけど彼らが私の過去を探ってこないように、私も気にするべきではない気がして突っ込んで聞くことは出来なかった。
「いいや、若いのによく勉強している。助手に欲しいくらいだ」
自分も若いくせに、ワイアットは少し年寄りじみたことを言う。
それがなんだかおかしかった。
荷物を積みに再び船へと向かいながら三人で他愛もない話をした。
重いものはすべて当然のように男性陣が持ってくれる。
さすがにもうテオと手は繋いでいない。
けれど私の両脇を固めるように二人が歩いてくれる。
テオもワイアットも、自然と私を守るような位置に常にいてくれるのだ。
気付いて、密かに気恥ずかしい気分になる。
大切な仲間である二人に、同じくらい大切と思われている感じが嬉しくてたまらなかった。
「昔から勉強好きだったの。本を読むのも」
「へぇ。エミリオに聞かせてやりたいね」
「あの男はいかに勉強をサボるかということにばかり頭を使っていたからな」
「二人は昔からエミリオと仲がいいの?」
「まぁそうだね。十代の頃からよくつるんでたかな」
「不本意だがな」
本当に心から不満そうにワイアットが言うので思わず笑ってしまう。
こんなふうに言っているけれど、彼とエミリオが本当は仲良しなのを知っている。
「でも、エミリオの代わりによく航海日誌書いてあげてるよね」
「よく気付いたねレーナ」
「日誌読むの好きなの。ワクワクするから」
「別にあいつのためではない! あいつが書くと情報がまったく足りないからっ、」
「それにエミリオがサボった仕事を肩代わりしてあげてるのも知ってるよ」
「なっ、ちがっ、」
「そのあとでエミリオに医務室の手伝いさせてるの楽しそうだよな」
「ねー」
「それは当然の代償としてやらせてるまでだ! 別に楽しくなんかない!」
怖い顔で憤慨しているが耳が赤い。
ワイアットがエミリオを大好きなことなんてみんな知っている。
口では文句ばかり言っているが、エミリオのフォローには抜かりがない。
きっとツンデレさんというやつだ。
冷淡な見た目に反して、ワイアットは案外かわいらしい人なのだ。