22.陸上生活②
他の船員はそれぞれ数人ずつ同部屋で泊まるらしいが、さすがに私には個室を手配してくれたらしい。
防犯のためだと言って、隣の部屋はウィル達年長組四人で、逆隣は特に私と仲の良いテオやアルを含む五人を配置してくれた。
「そんじゃ俺は飲みに行くからな。鍵ちゃんと閉めろよ」
「はいはいわかってますって。ウィルこそ綺麗なお姉さんに骨抜きにされてお財布スられないようにね」
「生意気」
「ふぎゅっ」
意地悪く言うと、鼻をつままれて変な声が出た。
向こう脛を蹴ってやろうとしたら、ひらりと躱されて余計に腹が立つ。
「おとなしく蹴られなさいよ」
「やなこった」
べっ、と舌を出してささっと逃げていく。まるっきり悪ガキだ。
ウィルに危険な魅力なんて、やっぱりないのかもしれない。
速攻で前言撤回したくなりながら、廊下を軽い足取りで去っていく大人げない大人の背中を見送った。
中に入り、言いつけ通り部屋の鍵を閉めて、ベッドに腰掛け一息つく。
少し窓を開けて外を眺める。
風のない穏やかな夜だった。
港町だというのに、海辺から少し離れたこの宿では波の音は聞こえない。
どこか落ち着かない気分だ。
モソモソと寝間着に着替えて、簡素なベッドに身体を横たえる。
もう夜も遅い。シャワーは朝にしてもう寝てしまおう。
それに明日は大量の買い出しが待っている。
硬いマットももう慣れた。薄っぺらい毛布でも、黴臭くも潮臭くもない、良く干された匂いがして快適だ。
けれど眠気はなかなかやってこなかった。
身体は疲れているのに、妙に頭が冴えている。
揺れないベッドではなかなか寝付けず、ずいぶんと船上暮らしに馴染んだものだとひとり静かに笑いを漏らした。
しんと静寂が部屋の中を支配する。
何時間も寝付けないまま暗闇の中でひとり目を閉じていると、廊下からちらほらと足音が聞こえ始めた。
船員たちが酒なり女なりに満足して帰ってきたのだろう。
それもしばらくすると、再び静かになった。
睡魔はまだやってきそうにない。
喉の渇きを覚えて起き上がる。
水をもらいに行こう。
確か階段を降りたところにセルフサービスの水差しがあったはす。
思い出して部屋を出ると、隣の部屋で寝ているはずのウィルが向こうから歩いてくるところだった。
「お、なんだなんだ、子供はさっさと寝ろよ」
時間に配慮した静かな声で、機嫌よく言われてムッとする。
そのまま無視して脇を通り過ぎようとして、すれ違いざまにウィルから白粉の匂いを感じて思わず足を止めた。
ウィルを見上げると、きょとんした顔で首を傾げた。
女性のところからの帰りなのだとすぐにわかった。
お酒の匂いなど少しもしなかった。
宿を出る前の言葉は嘘だったのだろう。
きっとお子様の私に気を遣ってくれたのだ。
たぶんそうなのだろうなとは思っていたけれど、実際に生々しい現実を突きつけられると、どうしてだかひどく胸が痛んだ。
「トイレか? 場所覚えてるか」
「……大丈夫」
妙に乾いた声だった。
そういえば水を飲もうとしてたんだった。
どこかぼんやりとした頭で思い出す。
「廊下暗いからついてってやろうか」
「大丈夫だってば」
過保護なことを言うウィルに、笑おうとしたのに上手く笑えなかった。
変に表情が歪みそうになって、とっさに顔を伏せて歩き出す。
「水を取りに行くだけよ。すぐ戻るわ」
「そうか。部屋に戻ったらちゃんと」
「わかってる。鍵かければいいんでしょ」
軽い調子で応えてさっさと階段へと向かう。
廊下が暗くて良かった。
こんなふうに強張った顔は、見られたくなかったから。
* * *
翌朝、遅めの朝食をとって、船員達と街へ繰り出す。
寝不足で少し眠かったけれど、暗い顔で行くとみんなに心配されるから努めて笑顔を心掛けた。
「すっごーい!」
「活気があっていいだろ。迷子になるなよ」
「レーナあっち行ってみよう! あの海鮮焼き美味しそう!」
「アランたら。ごはん食べたばかりじゃない」
「じゃあそっちの氷菓子は? あ! 飴細工もあるよ!」
「お前は食い気ばっかだな」
大通りには露店が雑然と並び、色とりどりの土産物や海産物が所狭しと売られている。
一般的に休日に当たる今日は、お祭りかと思うくらいの賑わいを見せていた。
私はと言えば例に漏れず浮かれきっていて、昨夜のモヤモヤなんてどこかへ吹き飛んでしまっていた。
「アラン、女性にはアクセサリーか花を贈るのが一番喜ばれるんだぞ」
「でもレーナ、アクセサリーとかいらないって昨日」
したり顔で言うアルフレッドに、アランがあっけらかんと返す。
「そうね。あんまり興味ないかな」
「そうなの!? こんなに美しいのにもったいない……でもそうだね、飾らなくてもレーナは十分輝いてるよ」
「ありがとうアル。ちなみに昨日の美人さんには何を贈るの?」
「……うん?」
にっこり笑いながら聞くと、アルフレッドの極上の笑みが凍り付いた。
「エミリオから聞いたわ。飲み屋で一番の美人と連れだって店を出たって」
さすがアル、と他意なく言うと、アルフレッドは笑顔のまま「ちょっと失礼」とさわやかに言って、少し離れたところで露店を覗いているエミリオのもとに走って行ってしまった。
会話の内容は聞こえないけど、なにやら言い争っている様子だ。
あまり触れてほしくない話題だったのだろうか。
「何やってんだあいつら……」
ウィルがそれを見送って呆れたように肩を竦めた。
「レーナは食材の買い出しがメイン?」
「うん。テオが用事終わったら手伝ってくれるって。そのあとで時間があったらワイアットと医療品の買い出しも」
「オレも必要な買い物終わったら手伝うから。あとで一緒に回ろう」
「ありがとう。なんかワクワクしちゃうね」
「ね! 関係ないものいっぱい買っちゃいそう!」
「ほどほどにしとけよ。俺は別の用があるからあとは任せた。ちゃんと宿に帰ってこいよ」
「わかってるって。レーナはテオとはぐれないようにね」
「はぁい」
ウィル達と別れ、観光客や地元民でひしめく中、露店を冷やかしながらテオを待つ。
アクセサリー類を欲しいと思わないのは本音だったが、それでも貝殻や珊瑚を加工した小物類には目を惹かれた。
「欲しいの?」
「ひゃっ」
背後からの声に飛び上がる。
「ああごめん、驚かせちゃったかな」
「テオ!」
振り返ると申し訳なさそうな顔をしたテオが立っていて、ホッと息をついた。
「待たせて悪かったね。心細くなかった?」
「全然! むしろ見るものが多すぎて時間が足りないわ」
「あはは。レーナって結構肝が据わってるよね」
「そうかしら」
「だって船長の話だと結構なお金持ちのお嬢様なんだろ。こんなガラの悪いところ、怖いんじゃない」
そう言われても、東京の繁華街なんてここ以上に人で溢れていたし、一本道を間違えればここより治安が悪くなるなんてザラだった。
二度目の人生で十八年も経って、だいぶブランクはあっても恐れるような場所ではない。
けれどたしかに侯爵令嬢だけをしていたのなら、敬遠する場所になっていたかもしれないと気付く。
「危機感が足りないのかも。危ないことをしていたら教えてね」
「もちろん。レーナは我が海賊団の大切な宝物だから」
「えぇ? なぁにそれ」
大仰に言われて思わず笑う。
確かに食事は生命線だから、それを担当する私はありがたがられる存在かもしれない。
最初に言われていた花だの潤いだのには未だ納得がいっていないけれど、そこだけは結構自信を持って言える。
なにせ他のメンバーの料理の腕は壊滅的なのだから。
「失うわけにはいかないよ」
「じゃあ宿に無事に帰りつかなきゃいけないわね」
「お守りいたします、お嬢様」
くすくす笑い合いながら、並んで歩き出す。
私の手に、テオの手が自然と重なった。
「はぐれたら大変だ」
優しく言って、ふわりと笑う。
ウィルに散々からかわれたように、そういうことに一切免疫がないせいで、繋がれた手に不覚にも少しときめいてしまった。