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15.安穏

翌朝は雨の音で目が覚めた。

本当に雨が降ったことに驚いて、改めて感心してしまう。

海で暮らす人ってすごいのね、とストレッチをしながら外の様子を眺める。


まだシトシト静かに降っているだけだが、荒れると言っていたからこれからその通りになるのだろう。

ウィルの言葉をすっかり信用していることに気付いて、警戒心ゼロの自分に呆れてしまう。

けれど悩むだけ無駄な気もして、気持ちを切り替え身支度を整え厨房に向かった。


少しずつ船上での生活に慣れて、朝昼晩の食事準備に加え後片付けと掃除を都度行う生活が続いた。

一週間経つ頃にはアランの助手がなくなり、テオも髪だけやってくれたあとに自分の仕事に戻っていく。

けれど海に出て一週間ともなると荷の整理なども終わり、そんなに仕事もないようで、いろんな船員たちが入れ替わり立ち替わりでやってきて、私の仕事を手伝ってくれるようになった。

気のいい船員たちは、率先して力仕事を引き受けてくれる。

それに申し訳なさを感じつつも、素直に感謝の言葉を伝えるとそれだけでとても喜んでくれた。

おかげで調理も掃除もペースが上がり、時間に余裕が出来た。


甲板に出る時間が増えると、日焼け止めなんかないからあっという間に肌が焼けていく。

真っ白だった肌は健康的な色になり、鏡を見たら少しそばかすが浮き始めていた。

だけどそんなことは気にもならない。

海での生活はそれほどに楽しかったのだ。


私が甲板に居るのを見つけると、ウィルがわざわざ寄ってきて私につばの広い帽子をかぶせていく。

やはり髪フェチなのだろう。

疑念が確信に変わる。

けれどまたぺちぺち叩かれたくなかったので、口にするのは耐えた。


最初に持ち込んだ椅子はずっと私の部屋に置きっぱなしになっていて、ウィルの訪問は日常となった。

いつも内容は特にどうということもなく、その日の感想や現状確認といったところだ。

たぶん新入りへの気遣いだろう。

それらの日常報告が終わると、今度は私の質問タイムが始まる。

船旅で必要な心得や、星の見方など。知らない知識を得るのは面白かった。

それと合わせてこれまでの航海での出来事や、船員たちのおかしなエピソードを聞くのが毎夜の楽しみになった。

屈強で厳めしい男たちの、失敗談や意外な一面を聞いていたおかげで、メンバーに馴染むのは早かった。

話せばみんな朗らかで、嫌な顔一つせずに私に付き合ってくれる。

私はこの船が大好きになった。


ただ、突然王宮を追い出されたように、いつ誰に手の平を返されるかわからない。

そういう心配は常にあった。

毎朝のストレッチに加え、身体が鈍らないように筋トレ、剣技のイメージトレーニングは続けている。


時折ノックもなしに入ってくるウィルに何度か鍛錬を目撃されるが、戦えることを隠しておきたかったので誤魔化すのに苦心した。

腕立ては気持ち悪くて床に臥せっていただけと説明し、剣のイメトレはダンスの練習だと苦しい言い訳をした。

実家でパーティを開催していたころを思い出していたのだと、目を泳がせながら言う様はかなり挙動不審だったことだろう。


ウィルは何も突っ込まなかった。

その代わり、なんだか過去の栄光に縋るかわいそうな人間を見る目をして、そっと肩を叩いてきた。

なんとか言い逃れることはできたけれど、心のダメージは大きかった。


そうやって日々を過ごすうちに、すっかりウィルの存在に慣れた。

初日の警戒心はなんだったのかと自分でも呆れるほどに、彼は何もしてこない。

おかげで夜に狭い部屋で二人きりだというのに、完全にリラックスしてしまっている。


ウィルは誰にでもスキンシップが多く、不意に触れられることも多々あったけれどそれ以上の接触は一切ない。

セクハラじみた軽口もあったが、いやらしさを感じることもなく、不快感はなかった。

たぶん彼が纏う特殊なオーラというか空気感のせいだろう。

とにかく、性的な嫌悪感を抱かせるような行為はなく、どちらかというと紳士的でさえあったかもしれない。

本当に自分の身体に興味ないんだなと、安心すると同時に自信を無くしたりもする程度には。

十歳以上離れているからそもそも対象外というのもあるかもしれないが、それにしても淡白だ。


思い返してみれば、元婚約者も手を出してこなかった。

そういえば前世でも女子にばかりモテて男子からは一切モテなかった。

どうやら私には魂レベルで色気がないようだ。

諦めの境地に至り、つい遠い目になる。


「大丈夫か」

「へ?」

「ぼうっとしてたから。疲れたならもう寝ろ」

「あ、ううん、少し昔のことを思い出していただけ」


うっかり本音を漏らすと、ウィルが心配そうに私の顔を覗き込む。

ハッとして「たいしたことじゃないの」と首を振ると、疑わし気に顔をしかめた。


この船に来てもう十日は経つか。

今夜も彼は私の部屋を訪れ、他愛のない会話をしているところだった。


「そうか? ……まぁ顔色は悪くないか」


言って、確かめるようにそっと頬に触れる。

触れられた部分が、ジンと熱を持った。

この人は私より平熱が高いのだろうか。触れられるといつも、少しだけ体温が上がる気がした。


「大丈夫。それよりもっと話を聞かせて」


元気なのをアピールするように笑って見せる。

まだお開きにはしたくない。もう少し話をしていたかった。

ウィルの冒険の話を聞くのは楽しい。話し方が上手いのか、他愛のない発見や、ちょっとした事件の話が面白くて仕方ないのだ。

せっかく前世とは違う世界に生まれたというのに、私は王宮内のことしか知らない。

私がせがむ度、ウィルはいくつも新しい話を聞かせてくれた。

引き留める私に少し笑って、子供をあやすように私の頭を撫でる。

そうしてまたひとつ他愛のない話をしてくれた。


「今日はこのくらいにしておけ。明日に響く」

「はぁい」


まだ物足りなかったが、仕方なしにうなずく。

納得していない様子に苦笑して、咎めるように私の両頬を手で挟んで軽く押しつぶしてくる。

その手をぺちんと叩くと、小さな抵抗に彼は声を上げて笑った。



日々は平穏に過ぎ、海上で暮らすのも悪くないな、なんて思い始めていた。

みんな良い人たちだし、自分の役割を終えてしまえば自由に過ごすことが出来る。

夜にウィルと話すのが楽しい。

食材が少ないせいで食事のレパートリーはワンパターンになってしまっているが、それでも船員たちは変わらず喜んでくれる。


最初に想像していたような悪いことは、ひとつも起こらなかった。

今までの暮らしはなんだったのかと思うくらい幸せな毎日を過ごしていた。


だからすっかり忘れていたのだ。


彼らがどういう集団で、どういう手段でこの生活を維持していたのかを。


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