13.うれしはずかし
ウィルの号令とともに食事が始まる。
船員たちはものすごい勢いで料理を平らげ、口々に私を称えては自らおかわりをよそいに行った。
テオの言う通り、多めに作っておいて正解だったようだ。
さすが乗組員、みんなのことを分かっている。
感謝の意を伝えようとテオを探すと、ちょうどテオもこちらを見ていたようで目が合った。
お互い無言で頷き合って、アイコンタクトのようなものを交わす。
次いで隣のアランに目を向けると、私の言いたいことを察知したのか「やったね」と小さく言ってガッツポーズを作った。その動作がかわいらしく、真似てガッツポーズを作って笑い合う。
大量に用意された料理はあっという間になくなり、空になった鍋を名残惜しそうに覗き込む船員もいる。中にはむせび泣いている人までいて驚いた。
この船の乗員は感情表現が豊かすぎるようだ。
私も食べ終えて一息つくと、目の前にぬっと大きな手が現れた。
何事かと視線を上げると、真剣な顔をした船長が手を差し出していた。
「握手」
「は?」
「いいから握手」
「ええ……」
戸惑いながらそっと手を出すと、すかさず強く握られ無言でブンブンと上下に振られる。
騒がしかった船員たちがそれに気付くと、我も我もと私たちを取り囲み、お礼の言葉と共に拝まれた。
どうやら今まで相当に食事事情がひどかったらしい。
あまりの持ち上げられっぷりに、思わず苦笑してしまう。
「晩飯も頼む」
「はい、もちろん」
「ありがとう。本当にありがとう」
「この船に来てくれてありがとう」
「美味しい食事をありがとう」
あちこちから何度も礼を言われ、そんな大袈裟なと思いつつも頬が熱くなる。
だって、こんなにも手放しで褒められ礼を言われたのなんて、今回の人生では初めてだ。
いつも何をしても嫌な顔をされ、褒めるどころか貶されるばかりだった。
良かれと思ってしたことが周囲の顰蹙を買い、疎まれ、愛されない人生だったのだ。
「あの、こちらこそその、……ありがとうございます」
精一杯の笑みで礼を言う。
本心からの言葉だった。
ありがたいのは私の方だ。この人たちは、認められる喜びを思い出させてくれた。
それはとても幸福なことだった。
照れくささに思わずはにかむと、船員たちがざわついた。逆にお礼を言ったことがおかしかったのかもしれない。
船長が握手をしていた手を離し、無言で私の頭に置いた。
「うわ、ちょ、なんですかっ」
そのまま頭やら頬やらを無遠慮に撫でられる。逃げるように身を捩っても、しつこく手が追ってきた。
「……もう、なんなんですかほんと……」
逃げられないと悟り、面倒になって大人しくされるがままになる。
撫でる手はまだ止まらなかった。
せっかくテオに整えてもらった髪が乱れるが、諦めるしかない。
「船長ずりー」
「でもちょっと気持ちわかる」
「な」
「俺も撫で回してぇわ」
「実家の犬が褒められた時の顔してたもん」
ぼそぼそ聞こえる声に肩が落ちる。
やはり私は珍獣かゆるキャラポジションにいるようだ。
船長は一通り私を撫で終えると、ようやく満足したように手を離した。
それからちょいちょいと申し訳程度に髪の毛を整えてくれる。
「なんだったんですか一体……」
「いや褒めたんだろうが」
「言葉だけで十分です」
自分でも髪を整えながら言うと、船長は「それもそうか」と笑った。
「良く出来ました」
子供にするみたいに誉め言葉を口にして、最後にもう一度頭に触れる。
微笑む顔があまりにも優しくて、また頬が熱くなった。
* * *
午後は別の仕事があるらしく、テオの助けは借りられなかった。
アランと二十人分の片付けをして、二十人分の夕飯の準備をする。
それで明日の朝食の仕込みなんかもして食堂の掃除をすると、あっという間に夕飯の時間になってしまった。
それぞれの仕事を終えた船員たちが、夕飯の並んだテーブルを見て目を輝かせる。
食材が乏しいから昼食とそこまで大差があるわけではないのに、それぞれに幸せそうな笑顔を浮かべている。
そうしてまた私に礼を言って、綺麗に平らげてくれた。
私はと言えば、顔がにやけるのをこらえるのが大変だった。
すぐにこの食事にも私の存在にも慣れて、これが当たり前になるのかもしれない。
そうだとしても、今嬉しいことに変わりなかった。
食事が終わり、アランと片付けを終えて部屋に戻る。
そうして着替えを取ってから、教えられたシャワー室へと向かう。
この船には驚いたことに海水を真水に変える造水器が装備されているらしく、遠慮なく湯を使えるそうだ。
造水器は貴重で、結構な値段がするはずなのにこんな小規模な船に搭載されているとは。
よほど悪どいことをしてお金を稼いでいるのだろうか。
考えてなんとも言えない気持ちになるが、シャワーが使えるのはこの上なくありがたい。
黒い想像からは目を逸らしつつ汗を流して、浴室に備え付けのタオルで身体を拭いた。
シャワー中に乱入されるなんて心配はもうしていなかった。
ほんの一日一緒にいるだけでも船員たちは皆良い人たちだというのが理解出来た。見かけるたびに挨拶をしてくれたり軽口を叩いたりして笑わせてくれる。しかも船長の言いつけを守って、触ったり怖がらせるような真似を一切しないのだ。
たった一日ですっかり警戒心を解かれて、本当に大丈夫かとも思うが疑い続けるのも疲れる。それに婚約者のクリストフと侍女マリーからすでに特大級の裏切りを受けている身としては、あとで船員たちに手の平を返されたとしてもそんなにダメージを受けない気がした。
あまりありがたくはないが、メンタルがこの超短期間で鍛えられてしまったようだ。
部屋に戻ってベッドに腰掛ける。
本当に何もない部屋だ。
狭いし、掃除は済ませたが明かりは小さく夜は薄暗い。それでも波の音が聞こえてきて、不思議と息苦しさは感じなかった。
明日は早起きをして朝食の支度をしなくては。
もっとあの厨房に慣れて手早く出来るようになったら、他の仕事もさせてもらおう。
そうすればもっと認めてもらえるし、マスコットキャラとして甘やかすのではなく、対等に扱ってもらえるようになるはずだ。
そんなことを考えていると、ノックの音が聞こえた。
「はい」
アランだろうか。首を傾げつつ返事をする。
開いたドアからは、ウィルが顔を出した。
「今大丈夫か」
「はい。問題ありません」
上司の訪問に居住まいを正す。
畏まった私の態度に、ウィルが苦笑した。
「そんな堅い話をしにきたんじゃねぇよ」
言って手に持っていた簡素な椅子を床に置いた。
家具を増やしてくれるのだろうかと思ったが、ウィルがそれに座った。
部屋が狭いせいでやけに近い。手を伸ばせば触れられるほどの距離だ。目線の高さが合うと、余計に近く感じて少し緊張してしまう。
「今日、どうだった」
「どうとは?」
「ここで過ごして。そんな警戒するほど悪くもなかっただろ」
自信ありげにニッと笑う。
たぶん自分の船が、船員も含めて大好きなのだろう。
その気持ちはよく分かった。
大きくはないけれどよく磨き上げられた船、明るく大らかで優しい船員達。
たった一日過ごしただけで、居心地の良さを知ってしまった。
「……はい。楽しかったです」
「その丁寧な喋りやめねぇ? むず痒い」
「いえでもここで働く以上、船長は上司なので」
「身分はおまえの方がよっぽど上だろう」
「勘当された人間に身分などあるとでも?」
嫌味や当て擦りではなく、純粋に疑問に思って笑いながら問う。
身分で言えば家を失った私は今、最下層に位置するのではないか。
「まぁそうだが……いやでも最初のキャンキャン言ってた時の方がいい。戻せ」
「キャンキャンなんて言ってないでしょう!」
「ほらキャンキャン言ってるじゃねぇか」
馬鹿にしたように言われて歯噛みする。
雇ってもらう手前、丁寧に接しようと思ったのが馬鹿みたいだ。
「……じゃあ遠慮なく」
「おう。そうしろ」
鷹揚に頷いてふふんと笑う。まるで王族のような貫禄だ。
腹立たしかったが、その仕草は妙に彼に似合っていた。