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10.今日から海賊

「じゃ、オレもう行くね」

「ええ、ありがとう」


アランの案内で部屋に戻り、ベッドに座って一息つく。


どうやら思っていたほどひどいことにはならなさそうだ。

本当に、ただの目の保養としての役割だけなのだろうか。

目の保養とか自分で言うのも馬鹿みたいだけど。


いまいち状況が飲み込めないが、これ以上考えても無駄だ。ウィルが来るのを待つしかない。

ひとまず鍛錬だけは続けておこう。

そう結論付けて再び筋トレに励み始める。


身体を動かすのは好きだ。

何も考えないでいられるから。

だんだん神経が研ぎ澄まされていく感覚も悪くない。

無心でトレーニングを続けていると、再び唐突にドアが開いた。


「おーい今いいか……うお、どうしたすげー汗だな」


初対面の時から思っていたが、この男、足音も気配も全くしない。今までそういう人間は、剣の師ただ一人だった。


「大丈夫か? まだ具合悪いのか」

「いえ……少し暑くて」


訓練をしていたのでとも言えず、適当な嘘をつく。

少し暑い程度で出る量の汗ではないが、ウィルは興味もなさそうに「ふぅん?」と言ってそれ以上の追及はしてこなかった。


「まいいや。体調に問題ないなら働いてもらおうか」


ウィルは頭に巻いていたバンダナをシュルリと解いて、こちらに近寄ってきた。

中途半端に伸びたダークブロンドの髪が、ライオンの鬣みたいに広がる。


果たしてどんな重労働を課されるのか。

緊張して息を呑む私の頬に、ウィルのバンダナが触れた。


「わぷっ、ちょ、なに、なにして、」


そのままグイグイと雑な動作で顔の汗が拭われていく。

気遣いゼロの力加減だったが、悪意は感じなかった。



「さっきの食堂の場所分かるだろ。奥に厨房があるから、そこを任せたい」

「……は?」


一通り拭き終わったところでウィルが言う。


「ひっでぇメシだったろ。当番持ち回りでやってんだけどよ。これがことごとくダメでな」

「え、つまりえっと、料理しろ……ってこと?」

「ああ。料理担当が身体壊して船降りてからずっとまともなメシが出てこねぇ」


うんざりした口調で言われても、予想外の仕事内容に困惑するばかりだ。


「つってもその料理担当も他より多少マシってくらいでイマイチなのは変わんなかったが」


苦笑して私の汗まみれのバンダナを、ためらいもせず無造作にポケットに突っ込む。

ウィルは何も気にならないようだったが、私の方がなんだかちょっと気まずい。


「ま、あんたもお嬢様だから料理なんかしたことねぇだろうけど。舌が肥えてる分練習すりゃそのうち多少マシなもん作れるようになるんじゃねーか」

「はぁ……まぁ、たぶん……」


確かに現世では専属のシェフがいたし、一度も料理はしたことがない。

けれど練習も何も、前世ではお弁当も含め全部自分で作っていたから、おそらく余裕でさっきの朝食よりまともなものが作れる。


「女に力仕事を任せるわけにもいかんしな。とりあえずアランを補助につけるから、やってみてくれ」

「……わかりました」

「そうか良かった。今日の昼から頼む。今アランが食堂片付けてるから、一緒に食器洗いもな」

「えっ、あ、ちょっと!」


場所はわかるな、とそのまま部屋を出ていこうとするのを思わず呼び止める。

やぶへびかと思ったが問わずにはいられない。


「あの……抱かないの」


決死の覚悟で問うと、びっくりした顔をされる。まるで予想外だとでも言わんばかりに。

そうして無遠慮に上から下まで身体を眺めまわしたあとで、鼻で笑われた。


「そんな貧相な身体相手にするほど不自由してねーよ」


嘲笑うように言って、額を小突かれる。

ビキッとこめかみに青筋が浮かんだが、言い返すのを必死にこらえた。


「……じゃあ、本当にただの労働力目当てで私を攫ったってこと?」

「まぁそうだな。なんか今にも海に飛び込みそうなツラしてたし」

「え?」

「どうせ捨てる命なら俺が使ってもバチは当たらんだろ」

「いや別に死ぬ気なんかなかったんだけど……」

「そうなのか? 崖っぷちで遠い目してたろ」


言われて首を傾げる。あの時は死のうなんてこれっぽっちも考えていなかった。

拉致された今だって自害は選択肢外だったのに、国を追い出されたくらいで自殺なんて。


「むしろ前途洋々これから何しようってウッキウキだったけど」

「……親に勘当されて婚約者に捨てられたのに?」

「ええ」


きっぱりと肯定する。


そう、あの時の私は確かに未来への希望に満ち溢れていた。

まぁ過去のことやら前世やらに思いを馳せて、少し遠い目をしていたかもしれないけど。

確かに傍から見たら崖に一人佇むやばい女に見えたかもしれないけど。


「ぶはっ! いいね最っ高」


思い切り噴き出して、私の肩をバンバン叩いて大笑いする。

本当に、心の底から愉快そうな笑い方で、その笑顔に目を奪われた。この男は海賊なんて犯罪者の親玉をやっているくせに、そういった後ろ暗さを感じさせない不思議な魅力がある。

叩かれた肩は痛かったがあまり気にならなかった。


「やっぱ攫ってきて正解だったわ。おまえこの船に向いてるぜ」


楽しくてたまらないというその笑顔がまるで太陽のようで、陰りのなさに圧倒されてしまう。

ぽかんと口を開けて何も言えないでいるうちに、「そんじゃメシよろしくな」とウィルはひらひらと手を振って出ていった。



「……なんだ……労働力、ね……」


誰もいなくなった空間に、へなへなと力の抜けた声が散らばっていく。

ホッとするのと毒気を抜かれたのと、あと一つ何らかの感情が。

生まれたような気がしたけれど、よくは分からなかった。

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