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1.裏切りと前世の記憶は突然に

パンッ、と乾いた高い音がして床に倒れ伏す。

唐突な衝撃に視界がクラクラと揺れた。


「聞いているのかレジーナ!」


聞いています。

聞いていましたとも。

ただ、あまりにも馬鹿げた話でとっさに反応できなかっただけ。

それにしてもすぐ返事しなかっただけでビンタってひどくありませんか?

仮にも婚約者相手に、公衆の面前で手を上げるなんて。


「……仮に私に怪しいところがあったとして、この仕打ちはあんまりなのでは?」


赤くなった頬を押さえながら非難の意を込めた目で見上げると、婚約者である第一王子のクリストフがわずかに怯んだ。


「ぼ、僕を殺そうとした女が何を言う!」


ヒステリックに言われても白けるばかりだ。

本当に、言いがかりにもほどがある。


私が王子暗殺を企んだ?

国家反逆罪の疑いで追放?


冗談も休み休み言ってほしい。


確かに指摘されたようにドレスの下にナイフを隠し持ってはいるが、あくまでも護身用だ。常に携帯しているのはクリストフだって知っているはず。

だいたい暗殺するにしても、自分が主役という晴れの舞台に実行するわけがない。

暗殺したいなら誰の目もないところでやるのが定石だろう。


「貴方を殺して私になんの得がありまして?」


これから王妃になる未来が待ってるっていうのに、その旦那を殺す馬鹿っている?

王妃になる以上に得することってそうそうなくない?


「そんっ、そんなのは知らん! 他国のスパイとか、いろいろあるだろう!」

「知らない、ね。なんの調べもついていないのに、貴方は公的な場で断罪してるのですか」


取り乱すクリストフに、努めて冷静に返す。


色々と足りないところのある人だとは思っていたが、ここまでだったとは。

人として好ましいところが多かったから婚約に否はなかったけど、どうやら間違っていたらしい。

普通、容疑の段階でこんな派手な追及はしないでしょう。

考えなしさんめ。

甘やかされて育ったおぼっちゃんはこれだから。

男なのに温室育ちの箱入りとか、どこに需要あるのよ。


少しずつ脳内の言葉遣いが悪くなっていく。

だって以前はずっとこんな口調だった。

社会人になってからはさすがに直してたけど、女子高生だった頃なんかひどいものだった。


そう、引き摺られているのだ。

前世の記憶に。

さっき叩かれた衝撃で思い出した。

私はこことは別の世界に生きていたことを。

そこではこんな鬱陶しい貴族社会なんてなくて、貧富の差はあれど自由に生きていた。


女は淑やかででしゃばらず、男に従順であるべし。

それがこの国での常識だ。


幼い頃から剣術に興味を持ち、鍛え続けていた私が周囲に嫌われるのも道理だ。

だけど、前世では剣道も弓道も空手もやっていたし、それを否定する人はいなかった。

それどころか、女子からはキャーキャー言われていた。

そんな私が生まれ変わった今、まさか侯爵家の令嬢で、この国の第一王子と婚約だなんてね。


笑いそうになるのを堪えて立ち上がる。


このおバカさんが何を思ってこんなことを言い出したのか。

見当はついている。というかむしろあからさまだ。


一応まだ私の婚約者であるクリストフの、腕に縋りついて悲劇のヒロインぶっているその女。

小さい頃から私の侍女をしていた、私の親友でもある三つ年上のマリーのせいだろう。親友だと思っていたのは私だけだったみたいだけど。

視線をクリストフからマリーに移す。

目つきを鋭くすると、マリーは緊張したように顔をこわばらせた。


――敵は間違いなくこの女だ。


「……それで? 反逆罪で私を捕らえて牢にでも入れますか」


クリストフに問うフリで、マリーを見つめながら薄く笑う。

派手できつい顔だ、さぞ恐ろしい表情に見えたことだろう。

クリストフとマリーが、気圧されたように息を呑む。

私をハメようとしている張本人が怯むのが滑稽だった。

きっと惨めに喚いて、必死に弁明するとでも思っていたのだろう。


「か、確たる証拠を見つけ次第、北の塔に拘束か国外追放となるだろう」

「証拠、ね。無実なのでどうやって探すのかはわかりませんが」


盛大なため息とともに、あえて悪役然とした態度で吐き捨てる。

クリストフがぽかんとした顔で、意味を測りかねているのがいっそ微笑ましかった。


理解力が少し足りないところも、剣の腕がないのも、ただかわいらしく思っていた。

王としての資質はイマイチでも、朗らかで快活な人柄が周囲を惹きつける人だったから。

だから私が不足分を補って、陰で支えていければと思っていた。

そのための努力の日々だった。


けれどそれも今日でおしまいだ。

婚約者に捨てられ、親友に裏切られ、それでも執着するほどこの地位に未練はない。

いや、前世を思い出す前なら懸命に身の潔白を証明しようと手を尽くしたかもしれない。


だけど思ってしまった。


こんな場所にずっといてもつまんなくない? と。


王城内で幼い頃から婚約者として暮らしていた、狭い世界で生きてきたこれまでの私ならともかくだ。

前世を生きた私は、ほかの楽しいことをいくらでも知っている。

せっかく別の世界に生きているのだ、ずっとこの場所しか知らないで生きていくなんてもったいない。


だいたいこれから無罪を主張するとして、自分はやってませんよって証拠を提示した上で、一人一人に弁明し、汚名返上・名誉挽回をワンセットで行わなくてはならないのだ。

そんなの死ぬほどめんどくさい。

この場に何百人いると思ってんだ。

みんな高位貴族だぞ。

面会するだけでも煩わしい手順が山ほどある。

やってられるか。


「あまりにもくだらないので、もう国外追放で結構ですわ」


肩を竦めながら、嘆息して言う。

クリストフとマリーをはじめ、周囲の貴族たちが驚愕の表情へと変わっていく。

だから妬み嫉みを向けてくる貴族連中を蹴散らすときの、とっておきの極上スマイルを浮かべてみせた。


「マリー。私の部屋のものは勝手に使ってくれていいわ。私のお古で申し訳ないのだけど、良い品ばかりよ。大切に使ってね」


挑発するように言うと、怯えた演技をしていたマリーの顔がスッと無表情になった。

よほど屈辱だったのだろう。

マリーが怒ると知っていて言ったのだ。少しだけ溜飲が下がる。


「クリス」


視線を戻して、婚約者の名前を呼ぶ。

びくりと肩が跳ねた。

名前を呼ぶだけで怯えるくらいなら、最初から秘密裏に、部下にでも処理させればよかったのにね。

本当におばかで目立ちたがりで、その割に小心者でかわいい人。


「……善き王になってくださいね」


これだけは上っ面ではなく、本心から。


「レジーナ、……僕は、」


情けない顔してまあ。

小さい頃から本当に変わってないんだから。

しょうがない人、と圧力強めな笑みを緩めて苦笑する。

クリストフはそれ以上何も言わず俯いた。


もう、二度と話をすることもないだろう。


周囲を一瞥する。

会場内は静まり返っていた。


こんな晒し上げの状態だというのに、庇う人もいなければ反論する人もいない。

マリー以外の友達、いなかったもんなぁ。変人だの粗暴だのと陰口を叩かれ遠巻きにされていたっけ。


「お話はこれでおしまいですの? でしたら私はこれで失礼いたしますわ」


マリーもクリストフも、本当に言いがかり以上のネタを持っていなかったのだろう。

もしかしたら追放なんてただの脅しで、私との婚約破棄も嘘で、私の立場をただ弱くしたかっただけかもしれない。それでマリーを愛人にする大義名分でも得たかったのか。

ならばさっさとこちらから切り上げた方が良さそうだ。

責めるネタを見つけられずヤケクソになったクリストフが、衛兵達に引っ捕らえろとか言い出したらたまったものではない。


「それでは皆様、御機嫌よう」


優雅なしぐさで首を少し傾げながら微笑み、上品に、殊更ゆっくりとお辞儀をする。

くるりと身を翻し、ヒールを高らかに響かせ静寂に満ちた会場内を出た。

扉が閉まるのと同時に、ワッと会場内が騒がしくなる。

それを背後に聞いて、なんだか痛快な気持ちになってきた。

どうやら明日からは爵位も立場も気にせず、自分のためだけに生きていいらしい。

ワクワクする。

さぁ、どんな人生を歩もうか。


城を出る足取りは軽く、もはや何者にでもなれる気さえしていた。

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