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時知らずの宿

作者: 雪河馬
掲載日:2020/01/13

ローカル線の終着駅で下車し、1日2本しか運行していないコミュニティバスに乗り継ぐ。

山道を30分ほど走り、不如帰谷(ほととぎすだに)という名の停留所でバスを降りた。


本当にこんなところに宿があるのか?


不安が心によぎる。

次のバスは明日までない。

決心し、そこから舗装されていない山道を革靴で登る。

1時間ほど歩き続けると、やがて前方に木造二階建ての建物が見えてきた。


どう新しく見積もっても平成の建築ではない。

昭和にタイムスリップしたかと思われるその旅館は、それでもよく日頃から手入れをされているようで清潔感があった。


玄関を手で開けて中に入る。


「いらっしゃいませ。」


まるで待ち構えていたかのように女将が出迎えてくれた。

上がり框で靴を脱いで帳場で受付を済ませる。


「ご一泊でよろしいでしょうか。」

「明日朝のバスで帰ります。10時ですよね。」

「はい、田舎のバスですので少し遅れることはありますけど・・・。」

「荷物はお部屋までお運びします。夕食は何時にお持ちしましょうか。」


夕食か、そういえば乗り継ぎ時間が短くって昼食を取り損ねたな。

「できるだけ早くでお願いします。あと、ビールも一本お願いできますか。」

「わかりました。1時間くらいでご用意できますので、それまでごゆっくりしてください。」


女将は荷物を持って奥の方へと進み、私は後をついていく。

人の気配がしない。

「あの、失礼なことをお聞きしますが、今日は他に宿泊客は。」

女将は少し艶めいた表情で微笑む。

「いえ、お客様以外には誰もいらっしゃいません。」


部屋は十畳と六畳の二間続きで、一人で泊まるには少し広すぎるように感じた。

浴衣に着替えてテレビのチャンネルを回してみるが何も映らない。

スマホも圏外になったまま。

タイミング悪く腕時計まで電池切れで止まってしまった。

こんなことなら文庫本でも買ってきておけばよかった。


まだ、食事まで時間はありそうなので、先に風呂に入ることにした。

部屋を出て、廊下を歩いた突き当たりに露天浴場がある。

脱衣場で服を脱ぎ、タオルを手に持って中に入る。

「ほお・・・。」

石造りの温泉は想像していたより広い。

寒気に耐えながら階段を下って白濁した温泉に足を入れる。

少し温度が高めではあるが耐えられないほどではない。

一気に肩までつかって大きく息を吐いた。

夜の空を見上げる。


陽はすっかりと落ち、わずかばかりの白熱灯の照明と星空と下弦の月があたりを照らす。

きっと1000年前も同じような星空が見えていたのだろうな。


止まった時、過去と未来が交錯する宿。

来てくれるのだろうか・・・・、本当に。


馬鹿馬鹿しい考えが頭に浮かび、即座に否定する。

わたしはそんな噂は信じていない。

疲れた体と精神を休めに来たのだ。

この、時知らずの宿で。

でも、ひょっとして彼女がきてくれたら。

その時は・・・・・。


部屋に戻ると夕食の準備が整えられていた。

山間の宿らしく山菜を中心に整えられている。

派手さはないが、素朴で落ち着いた味だ。

メインは猪肉の鍋で、ビールを飲みながらつまむと体が一層温まって眠気が襲う。


食事が終わり、特に何もすることがないので、別間に敷かれた布団の上に寝転び天井をぼんやりと見上げる。

そういえば昔は天井の節が鬼や妖怪の顔のように見えて怖かったなと思い出す。

想像力が欠如したせいだろう。

この歳になるとどう見ても単なる木の節にしかみえない。

眠気はだんだんと強くなり、私は目を閉じた。


そのまま眠ってしまっていたらしい。

付けっ放しだったはずの電気は消え、布団が体に掛けられている。

女将か旅館の誰かが御膳を片付ける際にしてくれたのだろうか。

みっともないところを見られてしまった。


いや、そうではないようだ。

私は背中に暖かく柔らかい、懐かしい温もりが寄り添っていることを感じた。

布団の中でそっと体を反転させる。


「あら、起こしてしまいましたのね。すいません。」

鈴音(すずね)は大きな瞳で私の顔を見つめていた。

「鈴音・・・・・。」

心臓の鼓動が早まる。

私は彼女の長い黒髪に左手を絡ませ、少し開いた浴衣の胸元に顔を埋めていく。

「会いたかった、鈴音・・・・。」

鈴音はそんな私の背中に両腕を回してギュッと抱きつく。

「私もですよ、あなた。」


長い長い抱擁のあと、私は指を彼女の顔に這わせながら彼女の顔を見る。

眼前の鈴音は若々しく元気だった頃の彼女のままだ。

それに比べて私は・・・・・。

「私はすっかり老いてしまったよ、君を失ってから生きる目的も失ってしまった。」


鈴音は優しく微笑みながら、再び身を寄せてきた。

「もう少し、お側にいてもよろしいですか。」

私は彼女を再びきつく抱き寄せた。

「もちろんだとも。鈴音、僕も一緒に・・・・・・。」

鈴音は私の肩口に顔を埋めながら、優しく否定した。

「ダメですよ。私は逃げたりしませんから。ずっと待ってますので。」


抑えきれない感情が堰を切ったように溢れだし、私は嗚咽した。

「嫌だ。僕はもう充分待ったよ。鈴音・・・・、お願いだから・・・・。」

「あなたは外では厳しい人なのに、そういう甘えん坊なところは変わりませんね。」

そう言ってから鈴音は右手でそっと口元を押さえる。

「あ、いけない。それでいつも喧嘩になってましたね。」

「あの時はすまなかった。まだ自分を大きく見せたかったんだろう。」


鈴音は私のすっかり白くなった髪を昔みたいに優しく撫でる。

「今日はあなたがおやすみになるまで添い寝して差し上げます。ゆっくり休んでくださいまし。」

そして鈴音は私たちが若い頃に流行っていた歌をまるで子守唄のように歌った。

彼女が機嫌が良い時によく口遊んでいた歌。

懐かしい歌。


20年前、彼女が病に倒れた時から私には安らぐ時がなかった。

日に日に痩せ衰えていく鈴音。

それなのに私のことを心配し、私の前では痛みや苦しむ姿をみせず、いつも微笑んでいた鈴音。

最後まで私の心配をしていた鈴音。


鈴音の温もりに包まれて私はまるで母に抱かれた赤子のような心地よさを感じていた。

鈴音は私にとって妻であり、恋人であり、母のような存在であった。

やがて私は再びの眠りへと落ちていった。


朝、鳥の囀る声に目を覚ます。

予想していたことではあるが、鈴音の姿はすでに無く、微かな残り香だけが夢でなかったことを証明してくれた。


止まっていたはずの時計は動き出している。

テレビをつけると、国営放送のニュースが、昨日起きた火災のニュースを放送していた。

時は再び動き出した。


勘定をすませ、旅館を出る際に、私は期待せずに女将に聞いてみた。

「ところで、私の連れ合いはどうしましたか。」

「はい、お連れ様は日の出前に先に逝かれました。お客様はどうなされますか。」

女将の言葉に一瞬心が動いた。

が、鈴音の言葉を思い出し思いとどまる。

「ああ、わたしはもうちょっと寄り道してから逝くこととするよ。」


女将の表情が綻び、笑顔になる。

「そうですか、それはなによりです。では良い旅をお楽しみください。」


時知らずの宿。

ここは過去と未来、現世とあの世の交錯する宿。

旅人の願いが本当のものであれば、ここで巡り会うことができるという。









少し大人の話を書いてみました。

昔懐かしいトワイライトゾーンの日本版っぽい話になりましたが。


異次元の宿はまた書いてみたいなと思います。

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