国境燃ゆ(1)
護国のメシア
第1話 国境燃ゆ (1)
寒空の下、山間の細道を行く5騎の騎馬兵が正確には偵察分隊がいた。
国境周辺ではこうした偵察が常である。
国境という緊張感のある所にいながらも誰しもがまさか敵を見ることはないと思っている。
そのため偵察任務中にもかかわらず飲酒している始末だ。
5騎の中で最後尾にいるこの偵察分隊の隊長と思われる男の顔はすでに赤みがかっていた。
しかし、今日は違った。
「なんだ!? あの旗は!?」
先頭を行く一人の兵士が声をあげた。
そこには南から峠道を登る林立した旗が見えた。
「んぁ? そんなものがあるわけねぇ……」
分隊長は泥酔しかけておりしばらく明後日の方向を見まわしている。
「あそこですよ」
ひとりの兵士が馬を寄せ分隊長の顔の前で指を指す。
「あれは!!」
赤字に黒い十字架。
つまりルヴァイン王朝を示す旗を掲げていた。
「急いで戻って砦に知らせるぞ」
「了解!」
馬首を返し馬に一振り鞭をくれると5人は元来たほうへと駆け戻っていった。
― レットェルブ砦 ―
「門を開けてくれぇ!!」
国境付近の砦に緊迫感を漂わせた5騎の騎馬兵が駆けてきた。
この砦はアルバーン王国がゲリル山脈以南を東方からの難民に譲渡した際に築城された。
そしてこのレットェルブ砦はゲリル城塞群の最南端、つまり最も国境に近いところに位置していて、常時800人ほどの部隊が駐留している。
「早く、開けてくれぇ」
国境に近いところに位置するだけあっていつも閉門されていた。
キリキリキリと重たい音を立ててゆっくりと開門される。
「どうした? 血相を変えて」
番兵にそう問われるがその声を置き去りにして5騎は騎乗したまま馬に鞭をくれて門の中へと入っていった。
ルヴァイン王朝の軍勢国境に現るの報を聞いたレットェルブ砦の守将サグツォーム・マルサリス侯爵はその報に驚くと同時に砦の主だった者を即刻集めて軍議を開いた。
「ついに来たか……おそらく敵は万を超す大軍だろう。いかにここが難攻不落とはいえ戦となれば当然、詩を覚悟せねばなるまい。そこでここで戦うかそれとも退くかを訊くために皆を集めた」
集まった武官らの顔が曇る。
この砦は2重構造になっており全周を壁に囲われており壁の外には土堀がめぐらされている。
そして投石機や弩、櫓などがあり砦を攻める攻め方は、城壁を登るか門を破るしかなく多大なる犠牲を出さざるを得ない。
それが、籠ればどうにかなるという考えにつながり武官らの積極性を奪っていた。
まぁ、こんな僻地で死にたくはないのだろう。
この砦にこもっても敵が多数では無論、落城も時間の問題なのだが。
「万を超すなら打って出ても袋叩きになるのがおちだしなぁ…砦を頼りに籠城し応援を待つべきか…」
「しかしながらここは山間にあり道が狭い。今すぐ出陣して敵よりも高度の高いところに布陣して木盾や柵で道を塞ぐか…」
「騎馬隊で登坂中の敵に対して突撃するというのも手ではあるな」
「しかし騎馬隊の数に限りがあるぞ?弓箭兵に射られて屍を野に晒すだけやもしれん」
武官たちはあれこれと策を出し合うがどれもあと一押しが足りないものであった。
良策が出ないのは戦慣れをしていないというのもあるがそれは侯爵にとっても同じことであった。
「うむ、皆の意見はわかった」
サグツォーム・マルサリスは集まった武官たちを見まわして頷いた。
「儂は皆の意見を聞いて今から出陣し敵よりも高さがあるところに陣を設けなるべくこちらの犠牲を押さえて敵を叩けるだけ叩きこの砦に退いて籠ろうかと考えた。如何か?」
武官らは皆、口々に賛同の意を示した。
誰も敗色濃厚な戦いなどで敗北の責任を負いたくはないから当然だろう。
侯爵はそんな武官らの考えを察しており鼻でひそかに嗤った。
「今後の方針は今のに決まった。それでよろしいですな?」
武官らが一同に頷く。
「ならば、ゆっくりしている間はない。直ちに出陣の準備をし準備のできた隊から出陣して敵より高いところに布陣してくれ」
「ははっ!!直ちに」
常時、警戒態勢を敷いていて武装を解いていないので出陣までの時間はあまりかからない。
十数分後、俊足の騎馬隊を先頭におよそ650余りの兵が出陣していった。
砦から出陣したサグツォーム・マルサリス麾下の部隊は、騎馬隊230騎のみを街道に残しその他は、街道から少し離れた細道に入り街道を上から見下ろせる位置に布陣した。
遠くに赤色の旗が見える。
騎馬隊230騎は剣や槍だけではなく弓を携行していた。
いや、騎馬隊だけではなく砦を出た部隊すべてが弓を携行していたのだ。
これはマルサリスの策で、少ない兵で砦を守るために飛び道具の数を増やしたのだ。
そしてこの峠でも飛び道具の数を増やして優位に戦おうというのである。
マルサリスは、見晴らしのいいところに立ちながら落ち着きなくあちらこちらをうろうろしていた。
彼はこれが初陣となるのだ。
過去ほど戦の無い昨今では一度も戦闘を経験せぬまま生涯を終える人間も少なくない。
「打っては出たものの戦場にいざ立つとなると自信がなくなるな……」
居合わせる武官らすべてが同じような心境であり俯くばかりで返す言葉はない。
「伝れーい!!」
山の上の陣に一騎の騎馬兵が駆けこんできた。
その兵士は下馬すると片膝をついた。
「申せ」
マルサリスが伝令の内容を話すように促す。
「はっ!! 敵は我らが騎馬隊の正面一町ほどの距離にて現在登坂中!!数は現在登坂中の先鋒部隊と思しき軍勢が5000ほどでございます」
※六町で一里、すなわち約四キロに相当する。
「わかった。しからば騎馬隊は敵との距離が四半町あまりになったら突撃せよ。撤退の命令はその後に頃合いを見て下す。敵の数をできるだけ減らせ。以上だ。下がれ」
「はっ!!」
伝令に来た兵士は元来た道を全速力で駆けていく。
「頼もしい限りだな」
マルサリスはその姿を見てそんなことを思った。
そして数分後。
「これより我らが王国に仇なす、敵に一泡吹かせんがために突撃す!! 天地に遍く神々よ、そして我らが王国の守護である古代の昭王たちよ、ご照覧あれ。騎馬隊、突撃ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
騎馬隊の指揮官が突撃命令を下すと、先頭の騎馬が開け放たれた木柵から勢いよく突出していく。
「ラァァァァァァァァァァァァァァァァ」
兵士たちはだれからともなく己を鼓舞するために喚声を上げた。
そして一本の奔流となり登坂中の敵軍に向かって突撃していく。
そして彼我の距離はだんだんとつまっていく。
230騎という少数であれ、登坂中で勢いのない歩兵に対しては有効だ。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!」
「誰かぁぁぁ!!」
「にっ逃げろぉぉぉ」
先鋒部隊は阿鼻叫喚の坩堝と化した。
乱する部隊は統率などとれるはずもなく騎馬隊にされるがままだ。
「一人でも多く狩れ!!」
「おおおう!!」
馬蹄で敵を蹴飛ばし槍の穂先にかけて飛ばす。
「止めてくれー!」
「ひっひいいぃぃぃ!!」
騎馬隊の通過した後は、死屍累々である。
ルヴァイン王朝の先鋒部隊は、せっかく稼いだ高度を騎馬隊の突撃によって失うことになった。
ずるずると峠の下へと押し戻されていく。
騎馬隊の攻撃は蹂躙であった。
長槍を持たない歩兵にはその突進を弱める術がないのだ。
しかし敵もやられるばかりにはいかない。
先鋒部隊を救援するために第二陣の8000余りが登坂し始めた。
そして、先鋒部隊を後ろから支えながら先鋒部隊の兵と交代していく。
はじめこそ、混乱をきたしたが段々犠牲になる兵が減り始め、逆に騎馬隊の突撃力を弱め始めた。
「くっ……。もうひと削りしたかったがこれが限度か……。騎馬隊を退かせろ」
高所からその様子を見ていたマルサリスは騎馬兵の退却を決めた。
騎馬兵たちは順序良く退いていく。
「敵が退いてゆくぞ!! やられてばかりでは腹の虫がおさまらん。追撃せよ!! そして柵を破りそのまま砦まで攻め込め!!」
敵の指揮官は騎馬兵が背を向けた瞬間にそう命令を下した。
「おおおおおおおおおおおおおおおおぉぅぅ!!」
一斉に第2陣の8000余の兵が坂を駆け上がる。
「大将旗をとったものは一番手柄ぞ!!」
さっきとは逆の方向に向かう一本の奔流はまるで濁流のようである。
味方の死体を踏み越えながら突撃していく。
あとに残るのは踏みにじられ形すら失った肉塊だ。
「さすがに敵とはいえみじめだな……。だが情けをかけるわけにはまいらん。20間の距離までひきつけたら各個にて矢を放て」
「おおう!!」
全員が弓を装備していたのはこれが理由だ。
こちらの撤退に付け込んで追撃してきた敵に攻撃を行うためである。
木策から敵兵との距離が50間になり山の上にいる兵らが矢をつがえ始める。
そのころには騎馬隊は木策の中に帰還していた。
そして山の上の歩兵と同じように矢をつがえ始めた。
敵は30間まで迫った。
つがえられた矢はだんだんと引き絞られていく。
キリキリッとその場の緊張感を代弁するような音が聞こえる。
それは頂点に達した。
限界まで力を蓄えた矢は、やがて一直線に放たれた。
風切りの音はまるで鉄ですら貫くような鋭さをもって幾重にも峠に響く。
寸刻の間―ドスッっと鈍い音を立てて鎧や体に突き立つ。
「うぐあァァァァァァ!!」
「俺の、俺の腕がぁぁぁぁぁ!?」
「死にたくねぇよ!!」
何も身を覆うものを持たずにただひたすらに駆け上がってきた敵兵は近距離で勢いのある矢を受け独楽鼠のようにくるくると舞いながら倒れていく。
もはやその光景は戦ではなく一方的な虐殺である。
何しろ8000もの兵だから簡単に止まることができない。
先頭を走る兵が止まれば後続の兵に突き飛ばされるだろう、さらに第2陣8000の後ろには第3陣10000余りがなだれ込めとばかりに迫ってきていた。
「退け!!退けー」
司令官らしき男が馬上で退却命令を出していたが弓箭兵の一部が目ざとくその姿を見かけたのだろう次の瞬間には、数本の矢を受け落馬した。
その指揮官の命令は届かない。
退却の指示が出ないまま、いや、退却の支持が出せないまま第2陣はいたずらに兵力を失っていく。
「伝れーい!!」
マルサリスのもとに一騎の騎馬兵が駆け込んでくる。
「申せ」
「はっ!! 弓弦と矢が不足してしておりもう少しで弓による攻撃ができなくなります」
砦のように大量の資材を置いておける場所はなく緊急の出撃であったため全員に弓を装備はさせたものの弓弦や矢はそう多く持ち込んではいなかった。
「……そうか。わかった。ふもとの騎馬隊に殿をするように伝えよ。砦まで退却する」
「はっ!!」
マルサリスは悔し気な表情をしたが武官たちに退却を命ずるころにはいつもの威厳ある表情に戻っていた。
山の上の兵らは旗などをその場に残し撤退を悟らせないようにしながら撤退を始めた。
しかし、それはすぐに気付かれることとなった。
「ん? 心なしか山の上からの攻撃が弱くなったか?」
弓箭兵を少しずつ撤退させているので山上からの攻撃はだんだんと少なくなる。
ましてや矢の数が不足しているのだ。
「おお、確かに」
敵兵は口々に騒ぎ出した。
自分たちの恐怖の対象が減っていっているのだ、王国軍とは逆に少しづつ勢いづき始める。
「押せやー押せ!!」
「おおおう!1」
退くことを知らない王朝軍は数に任せて木柵を破らんと苛烈に攻め立てる。
味方がいくら倒れてもそれを踏み越えて次から次から湧くように柵にとりつく。
王国側も歩兵やマルサリスを十分安全な距離まで逃がすため木柵を破られるわけにはいかず必死に守る。
「槍隊!! 木柵にとりつく敵兵どもを突けやぁ突け!!」
柵の隙間から槍を突きだし王朝軍の兵を突き殺していく。
「ごふっ!」
「んぎゃぁぁぁぁぁ!?」
柵の前には王朝軍将兵の骸が幾重にも積み重なり聞くに堪えないうめき声を漏らしながら苦悶の表情で動かなくなる。
坂道は流血で赤く染め上げられていた。
流血だけではなくところどころに肉塊も転がっている。
「敵の攻勢はまだやまないのか!?」
王国軍兵士たちは幾度もなく槍を突いており腕は鉛のように重くなっていた。
「これではキリがないぞ」
「なぜ、これほどまでに犠牲を出しても平然と戦える!? 狂信者の集団か!?」
王国軍の騎馬隊指揮官はこのままは士気が疲労により低下して自壊することに焦りを覚えていた。
「よし、今一度突撃を行う。敵を柵より引き離せ! 突撃!!」
それは苦肉の策だった、いや策とは言えないかもしれない。
柵を開け放って出ていくのだから開いた瞬間に敵兵が入ってくることは予測できる。
一気になだれ込まれればそれこそ柵の内側にいる王国軍は壊滅するだろう。
しない場合はしない場合で柵が敵兵によって引き倒されて攻め込まれて全滅してしまうだろう。
座して死を待つよりかは突撃して成功する可能性に賭けるほうがよいと考えた。
柵が開け放たれて230余騎の騎馬兵が喚声をを上げながら突撃していく。
「来たぞ!! 長槍隊、前へ!」
王朝軍も備えなしに突撃を敢行しているのではなかった。
先刻のようになることを防ぐため長槍隊を先頭付近に待機させて突撃していたのだ。
「くっ、備えられていたか。弓を持っているものは長槍隊に狙いを定めよ! 槍衾を作らせるな!!」
「おおぉぉぅ!」
少ない矢で効率よく敵兵を狩るには鎧の無い部分、つまり顔を狙うしかない。
長槍隊の兵らは顔に矢を受け次々に倒れていく。
「うがぁ!!」
「ごげぇ!?」
ばたばたと長槍隊の兵士らは倒れていくが王朝軍は圧倒的多勢であり変わりはいくらでもいると言わんばかりに次々と長槍隊を前面へ押し出してきた。
そこかしこで騎馬隊の突撃が槍衾によって防がれ、多くの穂先に騎馬兵は突き倒されていく。
「ここを死に場所と思え!! 我らの死は王国の礎となるのだ!!」
「おう!!」
騎馬隊は覚悟を決め決死の形相で突貫してく。
そして血祭りに挙げられその首を王朝軍に預けることとなった。
230余騎の騎馬隊はここに玉砕した。
メルディス歴343年、冬。
ルヴァイン王朝軍、アルバーン王国へ侵攻す。