Easy come, easy go 或いは関係
精神修養とは瞑想や祈りである。だが俺の場合のそれは静かなものではなく。自らの殺意や憎悪、そしてそれらを引き金に暴れ出す銀十字との付き合い方であり、高尚なものでもなければ然りとて心力の様に自ずと向上するものではない、ただひたすらに理想と正義と信義、殺意と憎悪と狂気を擦り合わせ自らの血肉とするものである。
言うなればスタートの確認、そして終着の目視、俺は今までの一年とカケラの様な奪い返した記憶を頼りにそれを手繰り寄せなければならない訳だ。
だが自らを省みて其の心にきちんと整理をつけるのは難しく。兎に角段取りを考えていく様に俺は何故力を求め何故悪魔を殺すのか考えた。
一つに復讐だ。
自分に嘘はつけない、俺はおそらくマリアを助けると言う目的と同等かそれ以上に悪魔を殺すと言うことに重きを置いている。人と言うのは執念深く。そしてされた事はやり返さねば気のすまない闘争の生き物だ。少なくとも俺が殺意や憎悪に呑まれて狂うのの一端を担っているのは確かだし、一度暴走した身である。間違いなく俺は悪魔をただ殺したいがために力を求めている。
そう気がついたのは彼女の説教を受けてすぐだった。というか流石に俺もバカじゃないし冒険者としての技術に自分の客観視と言うのがある為に自己分析は得意だ。だが俺はここに来て漸くこの殺意と憎悪に漸く漠然とした認識以上のレッテルを貼った。
そう、俺は自分が『悪魔を殺したくて仕方がない』というのを漸くにして知れた。衝動的でも瞬間的でも剣のせいでも何でもなく。『過去の因縁』そして『俺から全てを奪った』というのを理由に奴らの存在の其の一片たりとも許せない、そういう人間だと言うのに漸く気がついたのだ。
「…なぁ、シスター」
「ダメです。絶対に」
其の様な結論が出た一週間後、俺は法義祝福済みの銀製武器を使って悪魔と戦っていた。シスターは俺を孤児院に手足を切り落としてでも縛り付けたかったぐらいに俺を、そして銀十字を警戒していた。だが、一度悪魔狩りとして仕事を始めて仕舞えばそれを辞めることはできない、教会に属さない教会の剣は闇の中で振るわれるが其の存在は必ず必要な物なのだ。
契約の反故は出来ない、故にシスターは俺が一月に一度下級悪魔や除霊などの任務に就くのを許さざる得なかった。だが俺の精神が銀十字に引き寄せられ無くなるまで、其の確信が持てるまで彼女は俺からあの魔剣を奪った。
…正直、俺はそれが体から離れてホッとした。自らが制御できない力と言うのは危険であるしそもそもそれに頼らなければいけないと言うのは俺の目的にも、そして現状的にも宜しくないのだ。
俺が戦うのは悪魔、悪魔と相対するものが其の心に揺らぎを持つこと、それ自体も問題だが、俺は俺の手で俺の持てる全てを使ってマリアを救うと決めたのだ。簡単に俺を失って手に入れた力など、童が駄々をこねて手に入れた玩具の様に、脆く。壊れやすいものなのだ。
二つに、やはり俺は娘を愛していて娘を助けたいのだ。
今までは悪魔を殺す動機付けに利用していた様なところもあったが、俺はどうにも自分以外の誰かというのを信用できない男らしい、どこぞの国の勇者だとか、どこかの賢者だとかそんなのに期待できない、俺は俺の手で目の前にある全てを粉砕し娘をあのクソ悪魔から取り戻したいのだ。
「違う。其の肉の腸詰めをだな?」
「ダメです。これは渡せません、これは悪魔の食べ物です。」
ガブリガブリと目の前で食われとけていく俺の肉、正確には俺がこっそりと買って食べようと思っていた肉の腸詰、其の全てが彼女の胃に収まってしまったのを見て俺はがっくりと肩を落とした。
別に、これは現状と関係ないが、今月の俺の稼ぎが吹っ飛んだのは宜しくない
肉の腸詰
一般的に挽肉を動物の腸に詰めた食べ物、保存性を良くするために香辛料や塩味が効いており非常に酒に合う。また美味である。
「うえー、うー、気持ち悪いぃ」
「あーあー、こんなに酔いつぶれちゃって…」
…あの日以来シスターはなんだか好意と甘えを俺に見せつけてくる様になった。いや、好意的なものは最初から多少感じていた。
精神修養と言ってすでに半年が過ぎたが、すでに答えも始まりも終着も見え俺はこの手に銀の十字を手にしても動じたりしない…と思うのだが、其のための試験を一向にやらせてもらえないのだ。少し強引に奪い取ろうともしたがそもそもの技量で彼女に勝てないため奪うこともできず。それならばとより激しく鍛錬を積んではいるが、行使回数が一回から三回に増え、聖銀製の法義祝福剣に心力を通して下級悪魔を焼き尽くす事も、出来る事は多くなれど彼女の返事は決まっていた。
『ダメです』
まぁ、これも俺を心配していたりする気持ちの表れだったりすると俺的にはハッピーなのだが、どうにも彼女は俺のあの姿を見て俺以外の誰かを見ている。今も泥酔しながら口にするのは聞き取れないほどか細いが知らぬ誰かの名である。残念ながら眼中にないというやつだ。
「…はぁ」
聖銀の剣はこれはこれで使い勝手の良いものだ。既に半年使っていてそれはわかっている。振り回しやすいただの両手使用可能な片手剣故にどちらの手でも使えて籠手や銃を使った変則ガードよりも簡単に敵の攻撃を受け流すことが出来る。きっと長く重く強力な大剣を使えなくなっても戦う為に身につけた物なのだろう。いや、この体自体はそこまで年若いわけではない、30手前かもしかすれば40近かったのだろう。それだけの知識と技術が蘇った一部の記憶にはあり、きっとそれ以上に想いや思想があった筈だ。
俺は寝てしまった彼女をベッドに入れて、少し暗いが月明かりと疑似的な夜目の様なオドによる身体強化で見える様にはなっている外で剣を抜く。
俺は剣を、そして力を求める理由に自らのエゴである悪魔への殺意と願望である娘の救出という二つがあると考えたが、理由はもう一つある。
だが、それは俺にとっては無意識で俺にとっては当たり前の様にある物だ。おそらく人が正義感や使命感と呼ぶ物、それこそが今までの俺にあった意志の力の様な体が覚えている様な動きの原因であり、そしてエゴと願望を超えた大きな括りなのだろう。
とどのつまりそれは英雄願望であり、他者のためにあり続けたいという他者を拠り所とする弱い在り方であり、あらゆる理不尽に、悪という概念に対しての嫌悪感、怒りの源なのだろう。
そして、いまの俺には全く理解できないこれらの体の記憶が、叫びが、あの獣の様な暴走のキッカケなのだろう。
剣技として最低限の型、それらの繰り返しで生まれる風圧は地面の草を削り、刀身が月光に照らされ輝く。俺は少し汗ばんだ額を拭って息を吐く。
そう、俺にはこれらの情動が全くもって理解ができないのだ。そしてきっとこれを理解できなければ俺はこれ以上何かを思い出す事もできず。彼女から剣を受け取れないのだろう。
「はぁ…」
だが記憶を失うというのは俺という人間の構成する物のほぼ全てを失うに等しい喪失であり、損失だ。正直言って俺は消しとばされた彼という人間の残り香から生まれた限りなく彼の様で彼ではない誰かだ。
口調や思考は多少似ているかも知れないが、少なくとも目覚めた時から他者にああも無残に扱われた俺としては、善意や悪意に厳しく。あらゆる感情に鏡写しに応えてしまうのは仕方がないと思って欲しいものだ。誰かの優しく出来るのは誰かに優しくされた奴だけ、俺は悪意も善意も同じくらい受けてそして悪意という物の恐ろしさが見に染み付いてしまった。
俺は、彼の様に他者を無条件に助けたいなんて思えないし、善意に寄ってあらゆる物が動いているなんて彼も信じていないだろう。俺はきっと彼という人間によく似た誰か以上にはなれないのだ。