The world is as kind as it is cruel 或いは道しるべ
とりあえず最初はね、ね?
「もし、生きていますか?」
鈴のような、可愛らしい声、少し大人びたような、しかし聴きなれたような声それは…
『助けて!』
「マリアッ!ッッ!?」
「よかった、元気そうですね」
自分が誰の名を叫んだのかも分からぬまま弾かれた様に起き上がる。凄まじい痛みが身体中を駆けずり回るが、それ以上に目の前にいる人物を食い入るように見つめてしまった。
白い髪、白い肌、そして紅玉のような瞳、アルビノと言う言葉が知識として出てくると頭に弾けるような痛みがあると同時に記憶が蘇る。それと今までのことが接続され感情が爆発する。悪魔と言う存在、自分、そしてマリア、最後の光景とあの悪魔の言葉膨大な記憶と言う名の情報と感情という波が入り乱れ、声にならない様な叫びと共に血涙が溢れる。
大の男が泣き叫び狂乱する様は見苦しかっただろうに眼の前の女性は俺の手を取り背中を擦って宥めてくれた。俺は違うとわかっていても彼女に問うしか無かった。
縋ったのだ。実は自分が突然に未来へ飛ばされて成長したマリアが俺の世話をしてくれているのかもしれないと、今の今まで見てきた全てが現実の様な嘘である事を望んだのだ。
「マリア…?」
だが、現実は現実で俺の様なしがない何者かもわからない様な者にヒロイックな奇跡など起こることも無く。困った様に眉を下げた彼女の返答はもちろん…
「…いいえ、人違いです。私はアンリ、貴方は?」
「そう…か、そうか…」
哀しみと言うのはこう言うもののことを言うのだろう。ポッカリと穴が空いた様にと言う慣用表現は相応しくない、俺はまさに穴あきチーズの様な有様だった。彼女の問いに答えることもせず。俺の意識は闇へと溶けた。
『ががあぁ!?なんだこの女ぁ!』
『イテェイテェヨォ!』
『バケモンがぁ!」
耳鳴りの様な悲鳴と左腕の痛みに目が覚めた。美しい月夜に相応しくない下劣にして邪悪な怪音は窓の向こう側から聞こえていた。
そしてそこに居たのは、虫の様な外見の悪魔の前に立ちはだかっていたのは、変わった形状の双剣でもってマリアに良く似たあのシスターだ。
「黙れ!悪魔どもぉ!『灰は灰に塵は塵に』この世ならざるその身体ごと魂まで消え失せろ!」
凛とした声が神の奇跡を現出させる聖句の一部を唱えると双剣が輝き、悪魔どもはたちまち塵となった。俺はその姿を観た。いや、そのあり様に、其の業に、悪魔を殺すその身体に歓喜し、堪らず窓から飛び出した。気絶する様に寝ていたからかそれとも歓喜故か体がうまく動かず転がる様にして飛び出してきた俺は汗ひとつなく悪魔を斬り殺した彼女の下に跪いた。
「頼む!なんでもするし命だって魂だってなんだってやるからその業を!悪魔の殺し方を教えてくれ!」
「…」
「娘を!娘を助けたいんだっ!」
ただ復讐のために、そして娘の命のために、信じてもいない神の祝福も何もなく。名も失い、記憶も無い、剰え腕は俺が憎み神の名の下に散滅すべき邪悪だが、だがその業があれば、みすみす目の前で娘をさらわれた俺のちっぽけな力も悪魔を殺せるのでは無いかと言う浅ましい考えをマリアに良く似た彼女の前に晒した。
いや、白状しよう。娘を助けたい気持ちもあるが、それよりも先に俺の頭に浮かび体を動かしたのは糞みたいな悪魔どもへの復讐、この腕を丁寧に植え付けて剰え娘の前で俺を殺そうなどとのたまう邪悪な化け物を殺したいと言う暗く淀んだ情念だった。
そして俺の頭は、心は、あらゆる全てを失った今、もしこの頼みを断られたならば即座に諦めあの悪魔に娘の前で殺されるくらいならばここで死んでやろうと、諦めていた。
「…名前は?」
彼女の問いに俺は詰まった。
名も知らぬ誰かに、それこそ森の中で行き倒れていた様な不審人物に突然何かを教えてくれなどと言われれば不信を通り越して異常だ。そもそも戦う術なんて学べる奴は運がいいのだ。この世界はそんなに平和じゃ無いし甘く無い、あらゆる技術や知識が上流階級によって封鎖されていたのが最近ようやく下々へ流れてきたのだ。ましてや教会の悪魔払いの技なんぞ専売特許もいいところだ。そして俺は名乗れない、名乗る名を奪われている。
諦めが強くなる。只人が娘を奪われ殺されるなどどこでもある話だ。俺はそんなどこにでもある話の不幸の主人になっただけで英雄でも、勇者でも無い、悪魔にさらわれた姫君を助けに行ける力などないのだ。
きっと今のこのザマを見れば悪魔の甘言に乗せられ失くした腕の代わりに名前を奪われたのだと思われるかもしれない、そうなれば彼女は俺を殺してくれるだろうか、きっと殺してくれるだろう。『悪魔よ去れ』と叫びながら他の虫の様な姿をした怪物どもと同じように塵に返してくれるだろう。
「名前は無い、奪われた。」
「…そうですか」
俺は祈る。どうかこの命と引き換えでもいい、娘をマリアをだれかが助けてくれないかと、神に祈り何処にいるともだれとも知らない英雄や勇者に願った。
「では貴方は今日から『ジョージ』と名乗りなさい、明日から修行を始めます。今日はもう寝てくださいね」
彼女はどこかウキウキとした声で教会へ入っていった。
…
……?
「ほへっ?」
俺がアホ面を晒していると彼女が黒い布を俺にかぶせて俵の様に運んでいく。
「早く寝てください!もう!弟子なんて何十年ぶりでしょうね、ちょうど一人でやって行くのが辛くなってきたところによく来てくれました!」
正直、訳が分からなかった。
聖騎士、悪魔祓い
これらは職業と言うより称号であり冒険者的に言うのならば戦士と魔法使いである。
信仰の力によって祝福された装備に身を包み、魔性や怪物に立ち向かう勇敢な信仰の戦士が聖騎士である。
信仰の力によって神の御技、特に怪物を焼き払ったりその真名を暴き存在そのものを消し去る様な奇跡を現出させる詠唱者、それが悪魔祓いである。
他の司教や司祭らと同じ様に神の愛を学び祝福を受けて修練を積み、聖書を暗記し祈りを捧げる。
だがその一番の差は信仰とその愛をもって現世にはびこるあらゆる邪悪を粉砕し消滅させることに心血を注ぐ事、神の怒りの代行者であると言う事だ。
「ジョージさん、貴方は悪魔を殺し娘を助けたいそうですね」
「ああ」
朝日とともに目覚め、礼拝と朝食を取らされると教会の正面で俺と彼女、ジョージとアンリは向かい合っていた。
「ならば諦めることを諦めてください、死ぬことを諦めてください、たとえ悪魔であっても意識と知性を持つ獣です。殺せばその魂は汚れ、地獄にも行けずリンボ、つまり辺獄を彷徨います」
「ああ、構わない、俺は冒険者だったらしいからな、生き物などましてや獣など殺してまわっていただろう。」
彼女の問いは昨晩の俺の心を見抜いていたのでは無いかと思うほどに突き刺さった。一応即答がしたが、諦めることを諦める。死ぬことを諦める。それは昨日の俺に蔓延っていた物だ。
問いに答えてしまった俺はこの手で悪魔を殺し、その手で娘を助けなければならない、だがあの惨劇を引き起こし俺にこんなけったいなものを植え付けた奴に本当に戦いを挑めるのか、彼奴を殺しつくし娘を助けられるのだろうか?
願いは受け入れられたようだが、俺は果たして本当に悪魔を殺せるようになるのだろうか、そもそも悪魔を殺す技というのはどういうものでどういう修行をするのか?
迷いは判断を曇らせる。俺は存在も意思も記憶も曖昧な誰かの搾りかすだ。こんな俺が人を救うなんてことができるのだろうか?
「迷ってますね?」
「…わかるか?」
「ええ、勿論私は元大司教でしたから…お茶を入れるのでよければ話を聞かせていただけませんか?」
「…」
俺は自分の今の状態を話してみた。
突然処刑されそうになったこと、そこに悪魔が現れそこで断片的な記憶と殺意と何者かを救わねばならぬと思い出したこと、ここまで逃してもらったこと、アンリを見てようやく助けるべき人物の名を思い出し悪魔への暗い情念が燃え上がったこと…
話せば話すほどに今の自分がどれほど曖昧で、不安定か浮き彫りになるようで恐ろしかったが、ハーブの香りとマリアに良く似た彼女の姿を頼りに話切った。俺が脂汗を滲ませながら、自分が何でどうしてこんな状態なのか、ぐちゃぐちゃで整理のつかない取り留めのない話だったろうし、正直言って何を躊躇っているのかわからない様なただの不幸自慢になってないかと不安だったが、彼女は俺の汗をタオルで拭うと立ち上がった。
「正直、その心根の揺らぎは致命的です。もっと復讐にとらわれたり、娘への執着が有るべきです。それが無いのは…貴方に腕を植え付け、記憶を奪った悪魔の知略でしょう。」
彼女はその状態で俺と彼女の間にあるテーブルに手をつき紅い赤いその瞳で俺の目をまっすぐと見つめてくる。
「ですが、それよりも致命的なのは貴方が迷っていることです。迷いは判断を曇らせます。たしかに私たち人間は迷い、苦しみ、その救いを神へと求めますが、真に貴方が哀れなのは迷っていることよりもその信念が記憶や、名前などというものが奪われた程度で揺らいでいないが為に、体はすでに動いているのに精神がそれについて行っていないことです。」
「それは…」
何か、心よりもその奥の方、きっと魂と呼ばれているような塊が、それが燃えるように熱くなった。
「貴方は助けたいし殺したいのです。魂に介入され記憶を奪われてもそれが蘇るように、目の前にいた少女を助けてしまったように、無意識のうちに悪魔狩りの業を求めるように!」
「あ…ああ…」
きっと、彼女は本来大雑把で面倒を嫌うのだろう。だがそれ以上にあと一歩を踏み出させるのではなく自らの意思で踏み出し、進むことを求めているのだろう。
「いいですか!貴方の進む道が何であろうと、貴方が誰であろうと、何であろうと、迷っていようとなんだろうと構いません!私は聖職者で、元大司教で、元悪魔狩りの狩人なのです。道は示します。」
彼女はテーブルを叩き、質素なポットやコップが砕け散る。
「ですが!この程度で!貴方のように正直な人間が!立ち止まってるんじゃあ…」
その拳は俺の顔面を撃ち抜くだろう。だが一発くらい殴られていいかもしれない、そうだ。俺は俺で、お人好しで、娘が好きで、プレゼントを買う為にちょっと頑張ってお金を稼いじゃうくらいに親バカなのだ。
そうである。俺は俺の意思で冒険者になり、成し遂げた成果を誰にも奪われない為に強かで、執念深いのだ。
そんな俺が、記憶と名前がない程度で、奪われた物を取り返すなんて選択肢を取るか取らないか迷うなんて、本当に気の迷いもいいところであった。
「ねぇ!」
結局、その日修練は始められず。いいのをノーガードでもらった俺は普通にのびてしまったのだった。