Don’t teach your grandmother to suck eggs 或いは今更
身体性能において実はすでに俺は彼女を上回っている。教会の工房での精査によると俺は左腕の悪魔と徐々に混ざりつつあり、其の結果が霊視や身体性能の向上、全盛の肉体である。
だが勝てない、一向に勝てない、全然勝てない、技の精度だとかそれ以前にまったくもって歯が立たない…というのは言い過ぎだが、スタミナでも優っているはずの俺が持久戦で消耗して負けると言うのが非常に納得いかない、不意を打たれても見えなくても反応できるが、それに集中力や体力を損耗させられているわけでもない、剣を振るうことや変則的な戦い方も慣れた動き故に枷になるとは考えにくい、ならば彼女に勝てない理由は…
「心力による再生、いわゆるリジェネレーション以外にありえません、ま、肉体が悪魔と混じっているせいで魔力による肉体の修復はできてもそれが戦闘中の体力や傷に作用しないのが難しいところですね」
「はぁ…っふぅ…なる…ほど?」
まるで細枝のような身体に汗はかいているものの余裕を持って講義をしてくれる中、大の男である俺がしゃがみこんでいるのはなかなかに悲しい物がある。
実際問題便宜上悪魔との融合し始めた俺を純粋な人類ではなく『魔人』と呼称するが、どうやらこの魔人の身体の特性として心力の総量および其の行使力が著しく低いというのがある。逆にオドを使用してマナに呼びかけるいわゆる魔法の効力はかなり高いらしいが悲しいかな、そんな学もなければ金もなかった俺に魔法なんて高尚なものは使えない、また中途半端なこともあり腕による自動再生が混ざる原因であり、逆に心力を鍛えオドを操れるようになっているからこそまだ人間でいられるとかいうスゴイ状態らしい…
というか今まで心力が向上していると思っていたが、実際は瀕死状態で悪魔の腕によるマナを使ったリジェネが施されておりそこから戻ってきた、というオチである。だが一応、実際にはもっと長い期間、それも子供のうちからの鍛錬が重要な神職の修練の効果はかなり早く出ている方らしい、これも魔人の体の効果らしく無意識のうちにオドを調律し体内に大気中のマナ及び他者の放出したオドを取り込んでいる結果という事だが…
「まぁ、言い換えれば私や子供達のそばにいたからマナが抜け、心力が向上しやすくなっているだけで魔法使いなんかのそばに行けばまた別の現象が起きるかもしれないそうですよ?」
「…なんというか、純粋なヒトでは無くなったという時点で妙な気分だがな」
実際、悪魔への報復を望み其のために鍛える俺が左腕や現状を肯定してしまっていいのかという話だが…ぶっちゃけ無ければ彼奴の居場所も今の力もなかったと思うとなんとも言えないというのが一番の思いだ。二年前なら斬り落としてしまおうとも思えたのかもしれないが、隻腕というのはそれだけで不便だし、何よりこれがある事で奪われた記憶や名前、それに目の前にいない娘という存在をより強く感じさせるし、復讐心も磨耗しない、まぁ、銀十字の剣を持つせいか悪魔に対する感情はほぼ固定されているため不快なことは不快である。
だが逆に言えば其の程度になってしまっている。恐らくこれは俺の認識、俺の価値観の問題なのだとも思うが、使えるものは使ってしまえの精神である。
そういえば、漸くまた銀十字を手にすることを許された。まぁ、持つときは一人での任務は禁止されているが下級悪魔相手や暴走した時のような場所に行っても殺意や復讐心は確かに燃え上がり理性を焼きつくさんとするが問題なく制御できている。まぁ、多少口が悪くなる程度は勘弁して欲しい物だ。
それ以外は問題なく、というのは文字通りなんの不具合も、暴走も、剣から放たれる過剰な退魔のオーラすらも完璧に制御できている。もちろん、身を委ねていない分出力は落ちるが、それでも悪魔や魔性が一撃で塵や灰へと帰るのは素晴らしい、気分爽快、元気溌剌である。
…嘘である。主に元気溌剌の部分は気分の問題だがそれ故に非常に今不安定である。
一つは焦り、そして左腕の反応の増加である。噂によれば白髪赤目の強大な悪魔憑きが各地で悪魔の召喚と使役を行い狂乱と恐怖を生み出して回っていると言う。
「…マリアだ」
彼女だ。間違いない、毎日とは言わないが一週間に3回は左腕がどこか一点を指して凄まじい痛みを発生させる。そしてそれが壊滅しただとか、半壊しただとかいう街の方向であると知るのは決まって全てが終わった後、また別の場所で何かが起きたのだろうと感知する頃だ。
日に日に増えるのを実感する事請け合いな勢いで増す邪悪の気配と左腕の痛み、そしてこの孤児院にも確実に其の波は来ようとしていた。
それをわかっていて尚、彼女は俺への修行を続けた。俺が彼女を倒すその日は近いのだろうか?俺の剣技は彼女から教わったセントルイスという名の戦士の物を取り込み、より強く、より効率よくなった。心力と同時並行で魔力、主に体内のオドと体外のマナの操作と使い方を覚え始め、スタミナ面でも彼女へ追いつき始めた。
未だ、彼女を倒すビジョンは見えない
身体能力強化
冒険者として中級者となれば其の肉体を魔力によって強化する事ぐらいはできる。勿論彼も出来ただろうが其のありようはどれも直感的に感じた力を一部や全身に纏わせる程度の物、真に身体を魔力やら心力で強化できた時冒険者はまた一つ上の位階へと脚を伸ばせるようになる。
オドの事を気と称して極める求道者や肉体の周りにあるマナを呼気によって取り込み循環させるような業もあるが、それらは全て単体では不完全である。
ある日気がついたが、どうにも俺は二つの身体強化、つまり心力によるものと魔力によるものを同時にしているようだ。これと魔人の基礎能力によって俺はアンリの身体能力を大幅に超え、魔を滅する波動を剣へ走らせ、同時に悪魔のようにマナによる修復が可能になっているようだ。
祈り、自らの中にある意志の力、生命の力の根源的な光、魂の余剰である心力を練り血の流れる路を走らせる。これが教会式の身体強化だ。
息を吸い、悪魔との同化と顔を上下に走る黒い不可解な文字列のような刺青によって見えるようになったマナとオドを体内で循環させ全身を満たしていく。これが魔力による強化である。
以前の俺は教会式のそれも身体能力は魔力であげているものだと思っていたが、魔力による強化は悪魔の目に見える。それに対してこの教会式の身体強化は目に見えないしそもそも身体能力の強化というよりは生命力、及び神聖な波動のようなものを作るのに注力しており身体強化は副次効果のようだ。
どうにも作用する場所や作用する方向性が違うためにこのような芸当が可能なようだが、実はもう一つこの上がある。
それこそが勇者やら英雄やらと呼ばれる人種が先天的に持つ心力と魔力、純粋な魂の力と生命の余剰であるオドの混合による化け物じみた身体強化である。
そして、今更ながら彼女の修行法は其の化け物じみた能力を人為的に模倣する技術、混合ではなく二つの身体強化の同時発動と相乗強化のための物、本当に今更ながら疑問に思う。
「なぁ、どうして普通の聖職者やら神殿騎士はこの技を使わないんだ?」
彼女は少しキョトンとして言う。
「魔力や心力は鍛えれば増える物ですが、それを一息に扱う総量は其のほとんどを才能に依存しますからね、私は心力、魔力両方ともが純粋に多かったからこの日術を会得出来ただけですし、貴方の場合は魔人の体のお陰か魔力だけは異常なくらい扱えるようなので…それに、ぶっちゃけてしまうと心力と魔力という似て非なる力を並列に制御するのは本来難しいことなんですよ?」
「あ…」
まぁ、言われてみれば当然だがしかして何故そんな才能がありながら俺は冒険者をしていたのかと言われると恐らくソレは『教えられなかったから』というこの時代ならではの答えになるのだろう。
さて、今日も今日とて叩きのめされた。俺は痛む身体に意識的に心力を通し傷や痣を再生する。息を整え権を構える。
「じゃ、もう一戦挑ませてもらおうかな!」
「ええ、いいですよいくらでも優しく倒してあげましょう」
焦燥の中でも闘いは俺に安らぎをくれる。
いや、もしかしなくても彼女が俺を通して誰かを見ていたように俺も彼女を通してマリアを見ているのだろう。
時は、過ぎさるものだ。