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ぼくが、舌先を弄して、こんな茶番を持ち掛けたのには、幾つか理由がある――が、結局のところ、ぼくが、ぼく自身の手で、勝ち取りたいという青臭い感情があっただけなのかもしれない。
こんななりをしていても、どうやらまだオトコノコらしいところがあったようだ。
などと、自虐めいた考えに浸っていると、顔に出ていたらしい。向かいに立っていた藍住が、面白くなさそうに言った。
「随分余裕だな。なあ、四十崎さんよ――ルールについて確認だ。例の物は、奪えばお前の勝ちってことだが、こいつはどう持てばいいんだ?」
言いながら、アミュレットを手で弄ぶように、藍住。
「そうですね。身に着けて貰えればいいことにしましょう。手に握ったままなり、ポケットに入れるなり、お好きにしてください」
ぼくの回答に、「そうかい」と藍住は返事して、右手拳に固くそれを握りしめながら、
「じゃあ次だ。魔法については触れていなかったが、まさか使うな、なんて言うつもりはねえだろうな?」
ぼくは、しまった、とばかりに驚愕して見せ、すぐにそれを誤魔化すよう、奥歯を噛みしめ、堪えるような表情をした。
「……そんなことは言いませんが。か弱い女性相手に、情けを掛けてもバチは当たりませんよ」
「はっ、情け、ね。いいぜ、使わないでおいてやるよ」
と、言った藍住は嗜虐に満ちた表情を浮かべていた。ぼくは、気付かれないよう、腹の底で黙考する。
藍住洋平。二十八歳。罪状は、連続婦女暴行殺害の容疑。元々は都内に勤める普遍的なサラリーマンだったが、ある時点を境に、近辺の繁華街を拠点として、犯罪に手を染めだした。それからしばらくして、彼は同類とおぼしき人間を集め、現在は集団で、より質の悪い犯行を重ねている。
警察の見解は――典型的な、魔法という身に余る力によって、元々持っていた凶暴性が抑えきれなくなった、快楽殺人者とのことだ。
この男のような事例は珍しくない。いや、魔法絡みの場合は、そのほとんどがそれといってもいい。
人間というものは、元々余りある残虐性を持った生物だ。それを理性という鎖が、人を人たらしめているが――
人が人を殺さない理由は、一つに想像力だ。殺されれば、殴られれば、刺されれば、痛いだろうという、当然の理解。二つ目に、それを自分に置き換えた場合の自己防衛。殴れば殴られる。殺せば殺される。
だが、魔法という劇薬で、そのバランスは簡単に崩れる。
殴っても、殴られない。殺しても、殺されない。一方的なマウンティング。選ばれた力による優越感と特別感。そして、その力を使ってみたいという好奇心。
――簡単にたがが外れた人間の出来上がりだ。
政府が未だに、魔的存在の事をひた隠しにしているのが拍車になっているとの見方もあるが――つまり、誰もが普遍的にその力の存在を知れば、現在のような凶悪犯罪が跋扈するような事態にはならないという批評もある――
閑話休題。
目の前の男を、視る。
ピアス穴の開いた鼻穴がピクピクと痙攣するように動いている。細い眼は、だが歓喜するように見開いているようにも見える。半開きの口は、腹をすかせた肉食獣のようだ。
(この男は、必ず魔法を使ってくる)
断定する。こんな遊びに乗ってきたのも、圧倒的弱者をいたぶりたいという、動物的な本能からだろう。どうせ負けても、約束を守ってやる気も無ければ、ルールに従う気もないだろう。まあ、それはこちらもだが。
それに――使って貰わないと困る。
「初めの合図はアウェイ側に決めさせてやるよ」
振られてぼくは、しばし悩んだ素振りを見せたのち、「じゃあ、そこの人。赤い髪の方です」と指差した。赤髪の男は、突然の指名に何事かと顔をこわばらせていた。
「そこの人に、硬貨を――どれを使ってもいいです。指で上に弾いて貰って、地面に落ちた瞬間を合図としましょう」
「おいおい。なんだぁ、その西部かぶれは」
「いいじゃないですか。ゲームって言ったでしょう。それに、せっかくクラブなんて娯楽施設にいるんですから、楽しまないと損ですよ」
呆れ顔の藍住だったが、すぐに「まあ、いいぜ。おい遠藤、やってやれ」とあっさり了承し、赤髪に指示を出す。
男は、財布からたどたどしく見慣れた銅貨を取り出し、握りこんだ右手の上に置き、指をはじいた。
きんっ――
思ったより高く舞い上がったそれに、全員の視線が集まる。くるくるくると斜めに回転しながら、机の上に接地する――
その前に、ぼくは地を蹴った。狭い室内、元々二歩ほど空いていた距離が一瞬で詰まる。よそ見していた藍住のみぞおちに思い切ったボディブローを食らわせる。
「ぐほぁっ!?」
間抜けな声を上げてのけ反る男に、勢いそのまま膝蹴りをかます。右手の正拳突き、左手のスナップを利かせたフックを挟み、足払いを仕掛けようとして――
男が突如、目の前から消失した。音もなく、影もなく。一瞬前までぼくと応対していた彼の場所には、ただただ、何も無くなっていた。
だが、ぼくは構わず、繰り出そうとした足をそのまま勢いに乗せ、ぐるん、と体を反転させる。同時に上半身を大きく逸らせ、まるで体が地面と平行になるような体制になる。
そして、また一瞬の後に、ぼくの体を後ろから掴もうとしていた手が空を切ったのが頭上に見ながら――振り回した足に手ごたえが生じる。
どすんと、中が空洞になっているのか、ステージ台が大きな振動と音を発したのを聞きながら、即座に背後に倒れこんだ男に固めにかかる。
「て、めぇ――があぁっ!?」
腕の関節を極めると、悲鳴と共に易々と手のひらを開けた彼から、ぼくはアミュレットをぶんどるように奪い取った。
ぼくは立ち上がりながら、トドメとばかりに渾身のローキックを藍住の腹目掛けて繰り出し、痛みに唸る男を残して、その場から飛びのくように離れる。
「よっとと……これで、ぼくの勝ち。ですね」
疲れに、やや足元をふらつかせながら、手に持った『雪の紋章』を男達に見せつけるように掲げる。誰も彼も、ぽかんと、瞬間の出来事に呆気に取られたように、茫然とぼくを眺めていた。
なんてことのない、正攻法。少々フライングしたが、藍住の空間転移先を読みきった上での、ぐうの音も出ない完全勝利。だが、
「て、てめえら! こいつをぶっ殺せ!」
と、案外元気に――やはり、ぼくの体重と力では大したダメージは与えられないらしい――、藍住は未だ地面に横たわったまま、自らの役目も忘れて、逆上して叫んだ。
だが遅い。
ふと、室内にふわり、と風が廻ったかのような感覚ののち、すぐさまそれは突風に変わり、男達を軒並み吹き飛ばした。
「うわぁぁぁ!?」
グラスやクッションと共に、人間が飛び回る阿鼻叫喚な模様の中、侑夕は背を伏せて、こちらへ駆け抜けるように近づいていた。彼女に、
「侑!」
と、呼びかけて、ぼくは懐から、赤い石のようなもの――魔力石を取り出して、アミュレットに近づけようとして。
ふと。
いつの間にか開いていた部屋の扉から、一人の男が拳銃を構えているのが見えた。
お手本のように脇をしめた、その両手で定められたその銃口は、間違いなくぼくの額に合わせられている。
時間が引き延ばされたような錯覚の中、彼の顔を見やると――それは、この店に入ってすぐ、ドリンクを注文した、バーテンダーの青年だった。
ぼくがわざわざ場所を聞かなくても、水先案内人の役目をしていたのだろう。彼はこの男達の仲間だったらしい。
タイトなスーツとベストに身を包ませた、その表情は悲壮な色に満ちている。
なぜそんな顔をしているのか――ついには分からなかったが。
ぼくは、気が付けば微笑んでいた。
視界の隅に見える侑夕は、間に合わない。魔道具を起動しても、所持者以外の魔法を封じるだけだ。銃は防げない。彼とぼくの距離は近くはないが、しかし弾倉が一度空になるまで打てば、間違いなく一発は当たるだろう。
妙に冷静に考えながら――ぼくは彼を見つめ続けていた。それは懇願だったのか、諦観だったのかは分からないが。
だが、彼はそれを見て、ほんの僅かばかり動揺したように姿勢がぶれ――
白く輝くアミュレットに触れた赤い石が、甲高い音を立てながら割れたのが先か。どこかあっけない音が鳴ったのと共に、ぼくの体が棒切れのように吹っ飛んだのが先か。
ぼくの意識はそこで潰えた。
◇◆◇◆◇◆◇
控えめな音量の目覚ましが鳴った。止める。
ベッドから起きる。すてすてすて、と収納付きドレッサーに近寄る。引き出しを開ける。
「うへへへぇ……」
と、我ながら気持ち悪い声を上げるところまでが、ここ最近のぼくの日課となっていた。
引き出しの中、蓋が空いたままの浅い底のアクセサリーケース。そこに鎮座しているのは、微かながらに自ら発光している、白真珠のアミュレット。色々あって薄汚れていたそれは、今はぴかぴかに磨かれ、光沢を増していた。
触れるでもなく、しばし眺める。すると、自然に笑みがこぼれてくる。ふと顔を上げると、ドレッサーの鏡にぼくが映っていた。
ゆったりとした女物の寝間着姿。寝起きにもかかわらず、癖が一切ついていないダークブロンドは、窓から差し込む朝日を反射して煌びやかに輝く。全く締まりのない表情に、あまつさせ涎を垂らしている顔は、だが完璧なパーツで完全に並べられた造形によって、愛嬌という言葉で片付けられるほどのものになっていた。
ぼく以外では、とても人に見せられないような有様だっただろう。ぼくは、ぼくの美少女ぶりに恐怖しながら、あと五分、アミュレットを眺めようと決めた。が。
「ああ……私の主が、どんどん気持ち悪いものになっていく……」
と勝手に、人の部屋の扉を開けた付き人が、額に手を当てて勝手に嘆いていた。
「侑。ノックしてから開けてって何回言ったら分かるのさ」
「しましたが何か。それに、早く起きて来て貰えるようになれば、私も開けなくて済むんですけど」
口を尖らせたぼくの言葉に、彼女は半眼で反論した。どうやら夢中になって聞こえてなかったらしい。少しばかり内省していたが、侑夕の小言はまだ続くようだった。
「屋敷を出てから、生活態度は日に日に悪くなっていくばかり。初めの方は交代で料理を作ったり家事を分担してくれましたが、最近ではゴミ捨て程度しかしない。私は元々侍女ですから、それが本分と言われればそうですが、最近の維咲様は、目に余り過ぎます――それに、毎日毎日、事あるごとに無機物とにらめっこしては、にたにた笑う人間に仕えた記憶はありませんよ」
日頃の鬱憤が溜まっていたのか、侑夕は一息で吐き捨てるように言う。ぼくはむっとして、
「別ににらめっこしようが、にたにたしようが、ぼくの勝手でしょ。何か侑に迷惑かけた? や、家事手伝ってないのは悪いけどさ。侑って、このアミュレットの事とか、昔の――屋敷を出るきっかけの話とかすると、無駄に機嫌悪くならない? 言いたいことがあるのなら、ちゃんと言ってほしいんだけど」
寝起きでぼくも虫の居所が悪かったらしい。早口にまくしたてるように言うと、侑夕は束の間硬直してから、
ばたんっ!
と、扉を勢いよく閉じた。
――あ、マジ切れだ。
ぼくは冷や汗をかきながら「ご、ごめん侑! 言い過ぎました! すみませんでした!」と叫びながら、低姿勢に部屋を飛び出し、彼女の後を追った。