4
中の様子が完全に見えない、重たい防音扉を開けたそこにあったのは、「VIP」という名前からくる先入観通りの、華美の限りを尽くしたようなゴージャスな部屋だった。
入口正面の奥壁には、巨大なテレビモニターが取り付けられたおり、すぐ袂にアンプとスピーカーが置かれている――カラオケ設備のようだ。その隣には簡易なステージが設けられていた。
それを見るような位置取りに、上級そうな黒い木製の円形の机が配置されている。取り囲むように、重厚な革を張ったソファーが、壁に沿ってずらりと並ぶ。
だが、並んでいるのはソファーだけではなく――当然、先客が居座っていた。
「よう」
部屋に入ったぼくに、何人もの目線が注がれる中。気安く、そうぼくに話しかけたのは、だが初対面の男だった。ソファーの中の一つ、まるで王様のように偉そうに腰掛けながら、不敵な笑みを浮かべている。
髪を顔の中心部分から左を重たい灰色、右を軽い金色に染めている。唇の右端と、鼻の右穴と、右耳にピアスをそれぞれ二つずつ付けているという、奇抜なスタイルの男は、ぼくのこれまでの短い人生の中で、一度も関わり合いにならなかった人種だ。最も、自分からお近づきになりたくもないが。
「って、なんだその完全装備な恰好はよ。お呼ばれされた側のマナーってもんがなってねえな。肩の一つも出さねえで、俺らと交渉するつもりか?」
と、彼は気安い挨拶から一転、怒気をはらんだような表情を見せていた。
「すみません、ぼくは冷え性なもので。それに、女の価値は隠すことから始まる、っていうのがぼくの持論なんです」
ぼくは、首まですっぽりと覆った黒い厚手のジャケットを、グラスを持っていない手で、持て余すように触りながら余裕げに微笑んで見せた。
「へえ」と、男は感心したような声を上げ、自分の隣を叩くように示した。そこに座れ、ということらしい。
ぼくは優雅に会釈してから、室内へ一歩、足を繰り出した。
男達の視線を真正面から受けながら、堂々と彼らの目の前を歩き、指定されたソファーに腰掛ける。すぐ後ろに、おっかなびっくりという態度を隠せていない侑夕が、ぼくのもう一つ隣に座った。
「一人で来るようにと指定したはずだが?」
咎めるような言葉だが、だがそういった気配は感じられない態度で、男。
――彼らがぼくに持ちかけた取引は、『雪の紋章』という魔道具を引き渡す代わりに、一人きりで彼らの前に姿を現せ、というものだ。確かに指定を破っていることにはなるが――予想通り、あまり気にしていない様子だった。
「クラブに一人で入る勇気が無くて。何か問題でもあったなら謝りますけど」
と、一つ目の読みが当たったことに内心胸を撫で下ろしながら言うと、彼は乾いた笑い声を上げた。
「噂に名高い伝説の一族の娘が、この程度のクラブに入る勇気がないたぁ、笑わせてくれるな。なあ、四十崎維咲さんよ」
その唐突な展開に、反応しないように腐心しながら、口から捻り出すように言葉を紡ぐ。
「…………随分古臭いしきたりの家でして。滅多に外にも出れないものでしたから、こういった俗世には、どうしても腰が引けてしまうんです」
言いながら、ぴくりと反応していた侑夕の袖を掴む。
「それにしても、ぼくの名前をご存知でしたんですね。招待状には表の名前が書かれていたものですから、驚きました。ところであなたが藍住洋平さん……で合っていますか?」
「ああ、そうだ。はは、俺のような小物の名前を知って頂けているとは光栄、とでも言えばいいのか?」
ぼくの牽制にもならない反撃に、男は余裕げに笑っただけだった。
それを、貼り付けた笑みで返しながら、回らない頭でぐるぐると思考を巡らせる。
――束の間の安堵は一瞬。最悪の状況といってもいい。
実のところ、ぼくが想定していたのは、偶然、『雪の紋章』を手に入れたチンピラに毛が生えた連中が、それを探しているらしい超絶美少女たるぼくを、あれやこれやするために手に入れようとしている、というものだ。多少は危険な目に合うかもしれないが、一瞬でもそれに触れることが出来れば状況を打破出来るだろう――また、侑夕の力なら、少々強引に奪い取ることも出来る見込みもある――という程度の考えだった。
四年間ずっと探し続けて――突然転がってきた実物を持った人間からの、直接指名。そんなものが偶然起こりえる確率はいかほどか。
この誘いに乗ることに、二間さんと、特に侑夕は猛反対したが――ぼくの想いを鑑みて、最後には不承不承に納得してくれた――いや、ぼくが納得させた。
甘すぎた、と言わざるを得ない。目先しか見えていなかった。考えなし、という先程の侑夕の言葉が浮かぶ――確かに、今のぼくにはぴったりだ。
「――顔色が悪いようだが、どうかしたのか?」
ふと我に返ると、隣から覗き込むように藍住がぼくを見ていた。同時に、スカートの上から、ぼくのふとももの辺りをなぞるように触れていた。
「――――っ!?」
思わずソファーから、飛び上がるように立ち上がり、彼から距離をとる。突然の過剰な反応に「ふ――あはははははは!」と、藍住は身の毛がよだつ哄笑をした。
「いい、いいな――その顔だ! 俺は、お前みたいな怖いもの知らずな人間が、そういう顔をするところを見ると興奮するんだ!」
実に気持ち悪い告白をした男――この男が犯した罪状を思い出していると、舌なめずりするような声で彼は言葉を続けた。
「お前のことは先生から聞いた。お前が四十崎の家から逃げ出したことも、魔法が使えないことで、ろくな扱いを受けてなかったこともなぁ。なあ、あいつらは積極的にお前を探してはいないようだが、面汚しが自分から戻って来たら、何をすると思う?」
「……さあ、想像もつきませんね」と答えたぼくの声は、動揺をひた隠しにしたものの、僅かに震えていた。ぼくの様子に、藍住は満足げに、にんまりと笑っていた。
「怯えなくても、そんな真似はしねえよ。俺たちは、な。先生からお前を連れてくるように頼まれただけだ。バカみたいな報酬を貰ってな」
「……先生?」
「そうだ。お前にもそれで伝わると言っていた」
先生――。
先生、ね。
胸中で何度か反芻する。その単語で呼んだ人物は、誰だったか。ぼくは口元を無理やり、にやりと形を変え、
「複雑な家庭環境でして。ぼくが、そう呼んだことがある人間は、手が十本あっても数えきれないほどですね。誰です?」
「あ? 教えるわけねーだろ、馬鹿か。それに俺も本名は知らねえよ」
と、ぺらぺらと藍住は答えた。ぼくは「……そうですか」と拍子抜けしながら言って、質問を続ける。
「先生とやらは、ここに来ているんですか?」
「来てねえよ。後でお前を連れてあの人の所へ移動するつもりだ。ブツはそこで渡してやる――それまで、生きていれば何をしてもいいとのお達しだ」
言葉に合わせて、周りの男達が下品な笑い声を上げた。
「いうまでもないが、ここまで来て辞めはナシだ。俺たちは例のブツをくれてやる代わりに、何でもお願いを聞いてもらう約束をしたんだからな。お願いの内容を聞いた時点で、てめえはもう逃げられないってこった」
完全に勝ち誇ったように藍住は言う。ぼくが一度取り乱してしまったことから、場は雰囲気は、完全に相手側が優勢なものになっていた。さっきまでの肌を刺すような緊張感が無くなり、代わりに粘っこい視線がぼくを上から下まで嘗め回しているような、おぞましい感覚。
それを感じながら、気にしないような素振りでぼくは続ける。
「念のため聞きますが、あなた方は四十崎とは関係ないんですか?」
「関係ねえよ。先生は何か絡んでいる素振りだったが、俺らみたいな日陰者には、あんなおっかない所とは死んでも関わり合いになりたくないね。その関係で、あの人は街中には出てこれないらしいしな」
「……さっきから随分話すんですね。いいんですか、そんな情報を喋っても」
「いいんだよ。冥途の土産ってやつだ。あの魔力反応しかしないゴミが何なのかは知らねえが、それにほいほい釣られる、とんでもねえ馬鹿に対する、な」
「そうですか、それはありがたく受け取っておきます。実際、ぼくも馬鹿だと思いますよ」
自嘲気味に言うと、藍住は声を上げて笑った。ぼくはその様子を観察しながら――
違和感。
四十崎だなんて、その道の人間が聞けば、頭を抱えて発狂するような名前が出ておきながら――彼らはとんだ役者不足に感じる――やはりただの悪質なチンピラ紛いでしかない。最悪、本家絡みの人間がいるのかとも思ったが、そういうわけでもなさそうだ。
この状況を作った『先生』とやらも、どうやらここにいないらしい――が、このまま、その人間と会うのは避けたほういいと、全直感が警告している。
その前に、手を打つべきだ。打てる選択肢など、既にあってないようなものだけれど。
「取引をしましょう」
ぼくは、一際大きい声でそう言った。藍住は、突然なその台詞に、怪訝そうな表情をしている。
「ああ? お前、自分の立場が分かってるのか?」
「ええ。それは十全に。しばらく逃げることは叶わなくとも、命の保証はされたということですよね」
そう言うと、怒気をはらんだ幾つもの視線がぼくに向けられる。
「……舐めてんのか? 死なないってだけで、死にたくなるような真似をするもしないも、俺らの気分次第なんだぞ」
「舐めているのはあなた方ですよ。頼みとは先生とやらの元にぼくを連れていくことなのでしょう。取引と何の関係もない、あなた方のような、汚らわしいゴミの掃きだめに付き合ってやる義理はない」
顔に青筋を立てながら、藍住は立ち上がり、背の低いぼくを、遥か上から見下ろすように詰め寄った。
「――その汚らわしいゴミに、良いようにやられる気持ちを教えてやろうか? そもそも、こんな見え透いた罠に飛び込んできた時点で、取引もくそもねえ。自業自得だ」
確かに。とぼくは納得しかけるが、首をかぶり振って切り替えた。
「だから、取引――いや、軽いゲームみたいなものですよ。藍住さん。今から例の物を手に持った状態で、ぼくから取られずに十五分間逃げきれれば、ぼくはここにいる間、一切の抵抗をしないことを約束しましょう」
「は!?」
と驚愕の声を上げたのは、侑夕だった。その音量に、藍住はややびくつきながら、
「なんだそりゃ。それを俺が受けてやるメリットはなんだ?」
「受けない場合、ぼくは全力で抵抗します」
淡々と言ったその台詞に、男達は堪えきれないとばかりに、噴き出して声を上げ、笑った。ぼくは彼らに向けて、とびきり満面の笑みを浮かべた。
「ええ、抵抗します。具体的には蹴る殴るから始まり、何とは言いませんが、引きちぎったり、噛み千切ったりします。腐っても四十崎の一員ですからね――ご先祖様は、異界から押し寄せた化け物共を相手に、文字通り最後の一人まで戦って、死んだ四十人を弔って四十埼と名乗ることにしたらしいです――座右の銘は『最後の塵一つになるまで戦え』」
ごくり、と生唾を飲む音が聞こえたような錯覚を覚えるほど、部屋の中は静まり返った。どんちゃんと、クラブの喧騒が遠くから聞こえる。侑夕が、困惑したように周りをきょろきょろと見渡していた。
「あー……例の物をお前が取った場合は、なんだ?」
頭をぽりぽりと掻きながら、藍住。ぼくはゆっくり息を吐いて、
「どうもしません。ただ、先に渡してもらう。それだけですよ。あなた方が持っていることは事前の魔力探査で分かっていますが――だからこそ、早く手に入れたいんです」
「なんでそこまで、こいつを欲しがる? あれに一体どんな価値があるんだ」
「……。価値なんてありませんよ。ただの、ぼく自身のこだわりだというだけです」
藍住と男達は、互いに目配せしてから、答えた。
「分かった。お前の取引とやら、応じてやるよ。本当のところ、『先生』の女をどうこうするつもりはなかったが、てめえが言い出したことだ。負けた時は――分かってるな?」
下卑た笑みを浮かべながら、藍住は念を押した。
ぼくは「分かってますよ」と言って、
「おあつらえ向きに、ステージがあるので、そこからスタートとしましょうか。ちょっと狭いですけど」と指差した。
「ああ、あと――始める前にちゃんと、例の物を見せてくださいね。持っていなかった、じゃ困りますので」
生意気な言い草に「ちっ」と藍住は舌打ちし、はす向かいに座っていた男が、懐から取り出した何かを受け取り、
「これでいいか?」
と、右手で高く上げるように、ぼくに向けたのは、僅かに光が灯った、白い真珠のような石が金製の台座に収められているアミュレットだった。