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「げっ」
という声は、目的地の目と鼻の先、ふと何の気なしに横道を見たぼくと目が合った、よく知る人物の者だった。
短髪の男。若くはないが、まだ働き盛りの瑞々しい力を感じさせる顔は、だが白髪交じりの黒髪と、引きつった顔で老け込んでいるように見える。半袖ポロシャツに短パンという涼し気な恰好は、よく見慣れたものだった。
スーツ姿の――そちらは面識がないが――もう一人の男と連れ立っていた。すぐ傍には公共灰皿が設置されており、彼らの手には煙草が持たれている。喫煙中らしかった。
「二間さん。来てたんですね」
ぼくは、行先への進行を止め、彼の元へ早足で近付いた。
「今日は来られないって言ってましたけど……いるのなら、連絡して頂ければよかったのに」
「やなこった、お前と外で会うとろくなことにならんからな」
彼は苦々しげに吐き捨てるように言った。
二間一。
ぼくのお得意様――『非常識』な事件、トラブルを扱う事務所のオーナーだ。
十年前のある出来事から、その関係の事件が劇的に増加している中、未だ、この国は対応の面でも、法律の面でも、有効な対応手段を持っていない。
そこで、民間の専門家に助力を仰ぎ、協力――もしくは丸投げで事にあたるということが多い。
そういったものに関わりを持とうとするぼくらにとって、一番お世話になっている――いうならば恩人とも呼ぶべき人だ。
「……えーと。ぼく、何かしましたか?」
なので、普段から厄介になっていたり、厚意に甘えている部分もあるが、そこまで邪見されるほどだろうか。
疑問符を浮かべていると、スーツ姿の連れが「ははははっ!」と溌剌な笑い声を上げて、
「気にしなくていいよ。二間さんは、君たちと話している姿をあんまり見られたくないんだけなんだ」
「見られたくない?」
さらに増した疑問を氷解したのは、ぼくの後ろにいた侑夕だった。
「女、だからですか」
「…………あー」
納得はしたものの、何とも複雑な心情になる。
二間さんの事務所――この場合の『事務所』とはタレント事務所や芸能事務所の意が近い。
要は、魔法やそれに類する事件を解決出来る能力者を抱え、派遣するという業態だ。
彼のところにも、お抱えの能力者が何人かほどいるが、問題なのは全て女の子――それもそれぞれ容姿が整った――だということだ。
警察は元々男性社会な上、その中でも特にそれが際立つ、荒事専門の特殊部隊と仕事することが多い二間さんは、やっかみを買うことが多々あるらしい。
確かにきゃらきゃらと美少女を侍らせて、殺伐とした仕事場をうろちょろされるのは、あまりいい気分ではないだろう。それに、彼女たちはそれぞれ二間さんを慕っている風でもあるから、余計に目障りだと思われていることは、想像に難くない。しかし、ぼくたちが話しかけて、そういった見られ方をするということは。
「つまり、あなたも二間ハーレムの一員としてついに認められたということですね。おめでとうございます」
ちゃっかり自分を除外した侑夕の言い草に、「うるせぇ!」と二間さんが怒鳴った。かしがしと、頭をかきながら、
「ったく、んなことはどうでもいいんだ。それより、紹介するぞ、こちら今回の警察方の実質トップ、川見さんだ」
紹介を受けた男は、いかにも優男な笑顔を、苦笑に変えながら会釈した。ミディアムヘアを固めワックスでばっちりセットした、デキる大人という風情。秋口の、まだ夜でも気温が落ちきらない中、ジャケットまでぴちっと着込んだ姿は、二間さんとの対比でとても暑苦しそうだ。
「どうも、川見です。やだなぁ、二間さん。そういうの上に聞かれたらまずいんで、冗談でもやめてください」
「本当のことを言っただけだ。実際、現場の人間はそう思ってるだろうよ」
「褒めても何も出ませんよ――えー、それであなたが――」
「はい、明井咲と申します。初めまして」と流れるように偽名を名乗り、後ろの侑夕の方へ振り返ったところで――まだ繋いだままの手に視線が落ちる。同時に気付いたのか、侑夕は瞬時にぼくの手を勢いよくはたくようにして、自由になった手を前で組んで見せ、平然とした顔で挨拶をした。
「槙侑夕と申します」
「槙さんね、よろしくどうぞ。でも、相手側からの要求は明井さん一人で来ること、だったんじゃなかったのかい?」
幸い、川見さんは気にならなかったのか触れずに会話を続ける。ぼくは心持ち傷付きながら答えた。
「要求を無視することになりますが、彼女と二人で行こうと考えています。あちらも無能者に女一人が増えたところで、警戒はされるでしょうが、その程度でしょう。ああいった類の人間は、自分が足をすくわれることなんて考えてもいないでしょうし」
「ふうん。まあ、そうだろうね」
優しげな笑みのままだが、あまり興味がなさそうに、川見さん――実際に興味が無いのだろう。こちらの作戦の成否は彼らには関係のないことだ。
今回の現場トップ、といったか。川見さんとぼくは、今が初顔合わせになる。事前調整の会議で居なかったところを見ると、階級的に少し下がるのか、何かしらの体勢変更があったのか。気にならないといえば嘘になるが、そこは既に二見さんが事情や経緯を聞いているのだろう。
ぼくはそう判断し、とりあえずの目先確認のため「現状はどうなってますか」と尋ねた。川見さんは正面の僕から向きを変え、どこか遠い所を見るようにして、
「後ほど本部できちんと説明しますが――予定通り、部隊は対象が指定したクラブを囲むように、既に配置が完了しています。もちろん、勘づかれないよう、偽装してね。合図があれば、いつでも近辺の封鎖、突入が実行出来る状態です。ホシは想定通り十一名。主犯格の藍住も確認済みです。それから」
一度言葉を切り、ぼくの方へ向き直る。
「突入の合図は、明井さんが中に入ってから銃声が聞こえた時、もしくは君の殺害、またはそれに準ずる事態が確認されたときで、変更ないのかな?」
と尋ねて、ここで出会ってから初めてぼくと目を合わせた。笑顔のまま、冷たい奥底を感じさせる瞳がぼくを貫くように観察していた。
ぼくは一切の瞬きと呼吸が封じられた心地のまま、だが一瞬たりとも目を離さないまま、
「ええ、問題ありません」
と、答えた。
しばらく、ぼくを眺めるように見やってから、「そうですか」と淡々と告げ、火が消えた煙草を灰皿に押し込んだ。
「では、時間ですので本部に案内します。といっても、単なる型落ちのセダンを改造しただけなんですけどね」
時計を確認しながら、川見さんは、ぼくらが元来た方向へ歩き出す。その後ろ姿を見ながら、既にして一戦終えたように体が脱力した。
これまで何度か、二見さんと共にこういった事件に関わったことはある――だが、今回のように、警察と直接会話をするのは初めてだったが、なるほど。さすがというべきか、所詮小娘もどきのぼくでは、視線一つで、蛇に睨まれた蛙ごとく。渡ってきた修羅場の数が違うというやつなのだろうか。早くも場違い感から帰りたくなってきた気もする。
「お疲れ」
言いながら、ぼくの肩を叩いたのは、二間さんだった。
「取りあえず、第一の門突破ってやつだな。お前が少しでも迷ったり、覚悟が見えないようなら、あいつは違う手段に切り替えただろーぜ。お眼鏡に叶ったってわけだ」
「は、はぁ、そうですか……でもあと何回、門を潜ればいいのかと考えると、気が遠くなってきました」
「てめぇ、自分から言い出したくせに、なに弱気になってんだ。そこのいけ好かねぇ女も、お前を信じてここにいるんだろうが。ほら、さっさ行け行け」
乱暴に尻を蹴られて、「わわっ!」と数歩前方によろめく。
「セクハラですよ!」と思わず――思わず言ってしまったことに、若干の胸のしこりを残しながら――抗議の声を上げると、「うるせぇ、帰ってきてから聞いてやるよ」と、がははと笑う声を残して、二間さんは背を向け、逆方向にがに股で離れていく。
うーん……ちょっとフラグっぽくてやだなぁ……
「……結局、あの人は維咲に会いに来ただけのようですね。親バカでも拗らせたんでしょうか」
侑夕がぽつりと呟いたいつも通りの減らず口に、突っ込む気力はなかった。