樹の物語
樹の思いは、届くのか。夢は叶うのか。
あたしは、このポプラ並木と空と雲と季節の花が好き。
だから、この道が好き。
アイツがそう思うのなら、それで、いい。そう思っていてくれるうちは、一緒にこの道を歩くことができるから。
ここを歩く時だけは、嫌なことは全部忘れよう。そしてただ、アイツの隣で笑っていよう……。
「なんだよ、樹。また微妙な感じの詩、書いてるな。でも悪くない。てか、かなりいいな」
いつもの偉そうな台詞。でも、これが「使わせてくれ」の意味だというのはわかっている。小さいころから気が付けばいつも一緒だったから、そんなことはお見通し。だからあたしは、ノートのページを切り取って渡した。「よかったら使ってね」なんて言いながら。いつでもすぐ切り取れるようにミシン線入りのノートを使っている理由は、絶対に内緒。
まだあたし以外の誰も知らない、アイツの将来の夢。メジャーの世界で自分が創った楽曲で勝負したい。それを叶えるための協力は惜しまないって決めているけれど、言葉にしてしまったら、きっと「重い」と思われてしまう。
負けず嫌いの甘えん坊、自分勝手なオレサマくん。でも、憎めない弟のように思ってきた。ただそれだけだったはずなのに、あたしのアイツへの気持ちはいつの間にか違う感情へと変化していた。アイツはアイツで、ひ弱で夢見る夢子の幼馴染を自分が世話してやっているって思っていたらしいけれど、お互いの認識をわざわざぶつけ合う必要性もないくらい、あたしたちは分かり合えている、はずだった。
だから、こんな日がずっと続くということを疑いもなく信じきっていた。高校3年の秋までは……。
「『今、生きていることが奇跡です』と言ってからもう10年ですね。次に長期入院をするようなことがあれば、おそらくはもう……。大学に行く? 無茶なことを考えるよりも、1日でも長く普通の生活ができるように考えてほしいというのが医者の見解なのですが……」
物心つくころからずっと受けている定期検査の結果は、芳しくなかった。でも、あたしが思う「普通の生活」というのは、ただ両親の家に住んで、3食きちんとご飯を食べて、会話をして……というだけではなく、みんなと同じように学生生活を楽しんだり将来を夢みたり夢のために頑張ったりすることだった。だから、ここからまた10年、奇跡を起こし続けると決めた。もしも入院生活になったとしても、敷地内の大学なら体調のいい時に講義を受けるくらいならできるかもしれない。そんな思いから志望校をH大に決めた。でも、そんな理由、アイツにだけは知られたくなかった。
ただ、ずっと隣で笑っていたかった。
「ねえ、10年後、あたしたちって何してるかな。夢って、叶ってるかな」
「夢? どうかな。お前の夢は、叶ってるんじゃないの」
「あたしの夢、わかってる?」
「絵本作家、でしょ」
「それは2番目の夢。努力して絶対に叶えるって決めてるんだ。1番の夢は、もっと平凡で、でもあたし一人が頑張ればなんとかなるものでもないんだよね」
我ながらかわいくない台詞。でも、言わずにいられなかった。ただ、「そっか」って笑ってくれるだけでいい。そう思っていた。でも、アイツは見たこともないような不機嫌な顔をして、歩くスピードを速めた。
「ふうん。自分の力で叶えない夢なんて、甘えてるだけじゃねえの。てかさ、お前の書く文章とか言ってることってさ、綺麗ごとなんだよな。そんなんで2番目の夢だって、叶うかどうかだよな」
返ってきたのは、そんな冷たい言葉だった。あたしの紡ぐ言葉の意味を誰よりもわかってくれていると思っていたのに。しかも、あたしの夢まで否定するなんて……。最近急に態度がよそよそしくなったり、一緒にいても話を聞いていない時があったり、何度もくりかえしてきた他愛のない冗談に本気で怒ったりすることが続いていた。何か悩みがあるのかと思って聞いてみたことも何度もあったけれど、いつも「気にするな」「なんもないよ」「心配すんな」と言われていたから、あたしはただ「そっか」と笑うことしかできなかったけれど、心の壁ができはじめていることには気がついていた。
そして、あたしも自分の悩みをアイツに話せなくなっていた。そんな状況をもどかしく感じていたあたしは、心にもない拗ねた言葉を言ってしまった。
「そうだね。10年後なんて、わかんないよね。生きてるかどうかだって、わかんないのに」
こう言ってしまってから、検査結果を思い出してひどく悲しい気持ちになってしまった。アイツへの気持ちに気がついてしまった今、ずっと一緒にいられないという現実が何よりも悲しかった。
立ち止まったあたしに気づかないふりをして、アイツはどんどん歩いていってしまう。そして、語気を荒げてこう言った。
「俺はね、来年はもうこの街にいない。10年後なんか、いるわけがない」
あたしは心の中でつぶやいていた。「あたしは、この世にもいないかもしれないんだよ」
でも、それを声に出して言ってしまったら、この関係はきっと終わってしまう。
ちょうど並木道の終わり。あたしはいつものように空を見上げた。モザイクがかかったように雲の輪郭がにじんでいた。
アイツは高校を卒業すると上京した。「音楽で食べていく」って、啖呵をきって出て行ったと彼の母が話していた。
東京に好きな人がいて一緒に暮らすために上京したらしいという噂も聞いたけれど、それが本当でも嘘でもかまわなかった。なぜなら、アイツの夢を叶える近道は上京することだったから。あたしには、ただ応援することしかできないから。
はじめの頃は時々メールを交わしたりもしていた。いつも一方的に自分の日常生活や音楽のことを書いてくるだけだったけれど、それでも嬉しかった。だからあたしは、いつも笑顔の顔文字や少しおちゃらけたスタンプを返して、田舎にいる仲のいい幼馴染を演じ続けた。けれど、いつしかそれも間遠になり、1年が経つと音信不通になっていた。
その頃、新聞社の絵本コンテストで入賞したことをきっかけに絵本作家としてのデビューが決まった。当時ボランティアで絵本の読み聞かせをしていたこともあり、地元のFM放送局で詩や絵本の朗読をメインとする番組を担当することになった。何度目かの収録の日、局内に無造作に置かれているデモCDの1枚に目が釘付けになった。懐かしいアイツの名前……。
「あの、すみません。このCDは……?」
「あ、それね。インディーズの新人さんらしいんだけど、こっち出身の人だから、良かったら何かのタイミングにかけてくれって送ってきたんだよね。デモはいろんなとこからよく送られてくるけどさ、正直いって全部聞いてすらいないんだよね。何、樹ちゃん、興味あり?」
「たぶん、知っている人……なんです」
「そうなの? じゃ、ちょっと聞いてみる?」
そういって聞かせてくれた楽曲は、あたしが最後にアイツにあげた詩に曲をつけたものだった。
その日の収録で詩を朗読し、一度だけ曲をかけてもらった。誰かに届きますように……そう願って。
けれど、残念ながら特に反響もなく、その後放送局でアイツのデモCDを見かけることもなかった。
それから数年が過ぎ、ラジオの最終収録の日、仲の良かったスタッフから思いがけないアイツの近況を聞いた。
「樹さんの知り合いのインディーズデビューしてた人、こっちに帰ってきたらしいですよ。でね、今、うちの中途採用の最終選考に残ってるの。内緒ですけど、たぶん採用になるんじゃないかな。おそらくだけど、樹さんの後の番組が地元のインディーズ応援企画なもんだから、ちょうどいい人材なんだよね」
アイツが、帰ってきている。
同じ街にいる。
それを嬉しいと感じる自分が、嫌だった。帰ってきたということは、アイツの夢が叶わなかったということなのに、喜んでしまう自分。こんなんじゃ、アイツと再会なんてできない。そう、思った。
それからのあたしは、毎週リスナーとしてアイツの声を聴くことだけを楽しみにして生きた。
病院のベッドでヘッドフォンから直接響く懐かしい声を来週も聴くこと。それだけを目標にして日々を生きた。
けれどもう、あたしの時間は、そんなにたくさんは残っていなかった。
ある日の放送で、アイツはいつもの投げやりな口調ではなく、高校時代に夢を語ったあの声音でこう言った。
「僕は、夢を追って、夢に置いて行かれた人間です。でも、一度は本気でやったからこそ、今本気で頑張っている人たちを本気で応援したいんです。この世界は、歌がうまいだけじゃダメ。演奏がうまいだけでもダメ。曲がいいだけでも、詞がいいだけでもダメ。全部そろったとしても運がないとダメ。そんな厳しい世界に一人で挑もうとしているヤツがたくさんいると思います。でも、もしかしたら、ここで縁をつなぐことができるかもしれない。同志をみつけることができるかもしれない。そんな思いから、詞だけ、曲だけの募集をします。放送を聞いて、グッときた作品があったら、どうか番組まで連絡をください」
嬉しかった。アイツは夢を諦めたんじゃなかった。ただその形が少し変わっただけだったんだ。
あたしの最期の時が近づいていた。
だからこそ、アイツのラジオ番組に1つの詞を送ることを決めた。
その詞にどんな人が曲をつけてどんな風に歌われるのか聴くことはできないけれど、アイツならきっと最高の一曲にしてくれるはずだから。それが、アイツの夢の第一歩になるはずだから。
あたしは本当に幸せ者。
高校生の時、「あと10年、奇跡を起こす」って決めてからちょうど10年。2番目の夢だってちゃんと叶えた。
そしてもうすぐ、あたしの1番の夢が、叶う。
あたしは空になって、ずっとアイツのそばで、その夢を応援することができるのだから……。
二話完結です。
お読みいただき、ありがとうございました。




