君が代の正しい解釈
私は、日の丸、君が代の強制教育をぎりぎり免れたため、日の丸、君が代の両者に対して、特別な感情を持っておりません。
私が高一の時、学校の旅行のバスの中で、
君が代は、千代に八千代にさざれ石のブギウギー
おーどれ、天ちゃん!
うーたえ、天ちゃん!
苔のむすまで
と、歌って、踊って、バカウケしていた奴がいましたが、もう二度と、あのような時代は来ないんでしょうね。
この、当時有名だった替え歌でも、「苔のむすまで」は替えられていないのですが、ここを替えちゃうと、「天ちゃん」は、永遠に、踊り、歌い続けなければならなくなる可能性があるわけで。
何が言いたいのかというと、「苔のむすまで」の「まで」があると、
永遠に続く
のではなくて、
終わりがある
という意味になるということです。もちろん、「まで」の前が不可能なことであれば、終わりがないとも解釈できますが。
私はこれが気になるのです。
君が代というと、
「君」は天皇なのか?日本人なのか?
歌詞は日本語なのか?
というのが話題になりますが、もし日本語だとすると、
天皇または日本人が滅ぶ、または、滅んだ
という
結果
だけが書かれたものだということになります。
君が代というと、よく、
天皇または日本人の繁栄を祝った詩
だという、曲解がなされることが多いのですが、
天皇または日本人が滅ぶまでの過程
については、一切書かれていません。
長く続く
ということが、繁栄の根拠となっているようですが、君が代には、終点ついて書かれているだけで、始点については全く触れられていないため、長く続くかどうかは、判断出来ません。
そう、君が代の最大の疑問点は、始点、つまり、
始まりは何時なのか?
ということになります。
でも、これは無理なので、
天皇または日本人は、何時滅ぶのか?
終点について考えていきたいと思います。
1961年に、君が代の「さざれ石」が発見され、その後、天然記念物に指定させているため、
ちよにやちよにさざれいしのいわおとなりて
の部分は、
もう既に過ぎた
と、判断して良いと思います。残りは、
こけのむす
ですが、さざれ石に苔が生えているかどうかは、具体的には、知らないのですが、
苔は植物なので、条件さえ揃えば、生えるのに一年かからないと思います。
つまり、君が代が日本語だとすると、その正しい解釈は、
天皇または日本人は、条件次第で、一年以内に滅ぶ
というものになります。
中には、
ちよにやちよにさざれいしのいわおとなりてこけのむす
の部分は比喩
だと主張する人もいますか、根拠が全くありません。
まあ、仮に比喩だとしても、
天皇または日本人が終わらない
のかというと、やはり、「まで」があるので、永遠に続くとは解釈できないです。
それに、現実は君が代の予言通りなんですよ。
天皇は権力を失い、日本人は減っています。事実と合致しているのに比喩だとは!
なろう小説のバブルが終わる
ということを書いている人がいましたが、
日本人は減っている
んですよ。それも、若い人が。
基本的には、何もかもが衰退していきます。
日本がよかった頃を知らないと、理解できないかもしれませんが。