聖女の降臨
石造りの壁と木の板を敷いた床。
壁には照明のランプと緑色を基調とした旗が飾られている。
四角い窓の外は明るく、陽の光が薄暗い室内に入り込み、足元だけを何とか明るく保っていた。
陽の光が照らす床に足を置いてソファーに座り、銀色の長い髪を揺らした女が首を傾げて口を開く。
「…それで、まんまとハスターは残り一体になりました、と? なんと情けない報告をくださるのでしょうか。感動で胸が一杯ですね」
聖女ティアモエは芝居掛かった様子でそう言うと、大袈裟に両手を広げて天を仰いだ。
すると、部屋の奥。光の届かない薄暗い影の中で、1人掛けの椅子に腰掛けた人物が口を開く。
「ハスターは一体残っていれば良い。元より一体はこちらの手にあるんだ。予定通り、話は進んでいる」
存外若い男の声だった。
男はティアモエにそう返答すると、椅子の背もたれに体重を掛けて椅子を軋ませる。
「用意周到に準備したものね? それで、この街にいるのか、それとも周辺の何処かに身を潜めているのか…もう見つけたんでしょう?」
ティアモエが溜め息混じりにそう尋ねると、男は小さく肩を竦めた。
「飛翔魔術を使っていない為、まだ姿は発見されていない。ただ、傭兵団を雇ってハスターの捜索をさせた時、確かに街にいたはずだ」
男がそう告げると、ティアモエは顔を顰めて口を開いた。
「馬鹿なのですか? それはハスターを倒す前のこと。そして、今はハスターを三体もあっさりと倒した後。なら、そんな古い情報に意味は無いのでは?」
「いや、意味はある。一度街に戻ってきた傭兵達の噂を集めた結果、奴らは暫く夜営をしながらハスターを探していたようだ。そして、今は傭兵団に任せて姿を隠している」
「じゃあ、この街か近くの集落を…ちょっとお待ちください。奴ら? 今、奴らと言いませんでしたか? 神の代行者は一人じゃないのですか?」
男の回答に、ティアモエは眉根を寄せてそう聞き返した。
すると、男は浅く頷く。
「話を聞く限り、神の代行者はレンとかいう者一人だ。だが、Sランクの冒険者パーティーを含む十人前後の者達を連れて行動しているようだ」
男がそう言うと、ティアモエは一瞬目を丸くして動きを止め、噴出すように笑いだした。
「ふ、ふふ! あははははっ! 冒険者! ただの一般人と然程変わらない相手ではないですか!」
ティアモエがそう言って笑うと、男が唸る声が響いた。
「…歩は前にしか進めないが、様々な使い道がある。相手の逃げ道を塞ぐことも出来るし、餌にして大駒を取ることも出来る。そして、突き進むことが出来た歩は、金と成る」
男がそう呟いてティアモエを見ると、ティアモエは軽く笑みを浮かべてソファーから腰を上げた。
「歩とか金とか言われても分かりませんが、どうせ私の兵達には勝てません。さっさと燻り出して踏み潰してやりましょう」
ティアモエがそう言って男に背を向け歩き出すと、男は浅く息を吐いて顔を窓へ向けた。
俄かに騒がしくなった街の中。
酒場にいた俺達に、傭兵らしき男が報告に来た。
「傭兵団《火蜥蜴の顎》の者です! 街に、兵士が溢れています! 全て聖人軍の兵のようです!」
男は興奮気味にそう報告すると、直立不動で俺の言葉を待つ。
「…聖人軍か。やはり、俺を探しに来たな」
俺はそう言って、椅子から立ち上がった。
「…間に合いませんでしたね」
リアーナが悔しそうにそう口にすると、シェリーが頷いた。
「残り一体だったのに…」
シェリーのその言葉に、ブリュンヒルト達が椅子から立ち上がりながら口を開く。
「こうなれば、私達が兵を相手取るしかありませんね」
「そうですね。レン様は聖女に集中してください」
ブリュンヒルトとメルディアにそう言われ、俺は返事を返した。
「ああ。まずは、戦える場所への移動だが、傭兵団は大半が既に街の外にいる。後は俺達が街から出れば勝手に付いてくるだろう」
俺がそう告げると、オズマが眉根を寄せて俺を見た。
「…聖人軍がいるのが分かっていて街中にいるものだから、てっきり街中で戦うものかと」
「いや、夜営に飽きただけだ。お陰でゆっくり英気を養うことが出来ただろう?」
「…なるほど。確かにテントで休むよりは遥かに休めましたが」
オグマが渋々そう答えると、緊迫した空気がわずかに緩んだ。
俺は皆に背を向け、報告を持ってきた傭兵に対して口を開いた。
「予定通り、帝国軍の本隊の足止めは頼んだぞ。分かっていると思うが、ハスターを見つけても手を出さずに俺に知らせてくれ」
「は、はい! 各傭兵団に知らせます!」
俺が指示を出すと、傭兵団の男は慌てて外へ走っていった。
それを確認して、俺は皆に横顔を向ける。
「さあ、戦略的撤退だ。一時的にだがな」
俺はそう言って笑った。
何も喋らず、表情すら窺えない重装備の兵士達が闊歩する街の大通り。
その景色は活気のある普段の様子とはかけ離れたものとなっていた。
民は殆どの者が屋内に姿を隠し、通りを歩くのは用がある商人や冒険者だけである。
そんな重い空気の中に、遠目からでも目を引くような派手な一団が現れた。
銀色に輝く鎧や、禍々しい骸骨をモチーフにしたような鎧を着た戦士も混じる、奇妙な集団である。
先頭を歩く男は、まるで丹精込めて作り上げられた芸術品のような美しく整った顔立ちの美青年だ。
目にかかるほどの黒髪の下、青年はまるで何事も無いことかのように平然と大通りを歩いていく。
その堂々とした態度に、大通りで歩き回っていた何十という鎧兵達が一斉に体の正面を向けた。
「やっぱりバレたか」
青年が口の端を上げてそう言うと、その後ろに立つ骸骨鎧の男が呆れたように口を開く。
「当たり前でしょう。まさか、これでバレないと思ってたとでも?」
男がそう言うと、それを合図としたのか、鎧の兵達が青年達の方へ集まりだした。
すると、青年は息を吐くように笑い、片手を上げた。
「【ゲイル・ブロード】」
青年が一言そう呟くと、土埃を舞い上げ、大通りに面した建物を軋ませる程の突風が吹き荒れた。
その暴風に、大通りにいた重そうな鎧を着た兵達は身動きが取れず、半数近くは地面に叩きつけられるように倒れてしまっている。
突如発生した突風は青年の周囲には影響を及ぼしていないのか、青年は髪を揺らすことすら無く、歩きだした。
「もう戦うと決めたんだ。ならば、別にバレても気にせず、堂々と撤退させてもらう」
青年がそう言って進み、骸骨鎧の男以外が後に付いていく中、男は再度呆れたように口を開いた。
「これの何処が撤退だと…?」
男の呟きは吹き荒れる風の中に混ざって消えた。




