必ず帰ってくるから
朝ご飯でもなく、昼ご飯でもない時間に私たちは朝食を頂いた。千斗星が隠し事はなしだと真剣に言うので、正直にどうしてあんな事になったのかを話した。千斗星はバカにすることも、呆れることもなく黙って聞いてくれた。
「本当に薄情だよね。離れていた時はこんな風にならなかったのに、傍に居られるようになったとたんだよ?最低。自分も自衛官なのに、自衛官の妻なのに……」
「なあ、天衣。最初からドンと構えていられる人間なんていないんだよ。何度もそういう想いを繰り返して皆強くなるんだ。自衛官だって普通の人間だろ?特別な感情を抑えるのは任務の時だけでいいんだ」
「でも……」
千斗星が初めて子供の時の話をしてくれた。生まれた時から父親である暁さんも今の千斗星のように、アラート任務に就いていた。母親である月子さんは、幼い千斗星を抱えて幾日も不安な夜を過ごしたのだと。
「母さんは俺にバレてないと思ってたみたいだけど、俺が中学生になった頃までは夜中に泣いていた。オヤジの無事を祈ってね」
「そうなの?」
「慣れる事が出来なかったんだよ。自衛官の妻になって十数年経っても、不安で怖かったみたいだ」
「……そっか」
表ではいつもの事と、何かあったら仕方がない。だって自衛官の妻だから。そうやって皆、虚勢を張って生きているのだと。
そうする事で上手く自分を騙し、同時に夫は命を懸けて働いているのだと誇りに思う事が出来るから。
(みんな、不安で怖いんだね)
「俺だってそうさ。」
「千斗星、も?」
「俺が飛び立った後、正体不明な奴らから爆撃されたら。ミサイルが撃ち込まれたらって考える。管制塔が狙われたらって、怖いよ」
「……」
戦闘機パイロットが一番危険な任務を負っていると思い込んでいた私は間違えていた。基地を護る隊員たちも危険に晒されている。航空自衛隊だけではない。海上自衛隊も任務に出るときは家族に告げず、突然、艦に姿を消すのだ。それこそ、無事なのか、いつ戻るのかすら知らされない。
「私だけじゃないのに、私って情けない」
「情けなくない。そう思われているからこそ、必ず無事に帰ろうと思うんだ。待ってくれている人がいるから」
そう言いながら、千斗星は制服の下からドッグタグを取り出した。2枚目のプレートには私の名前が刻まれてある。千斗星は私の顔を見つめたまま、そこに唇を寄せた。それを見た瞬間、涙が頬を流れた。私も同じようにそれに願ったから。
「千斗星。私も必ず無事に此処に帰ってきます。だからっ……」
「天衣、そんなに力まなくていい。大丈夫だ。俺と天衣は大丈夫」
「はい」
憲法で、日本の自衛隊は自衛目的でしか動く事が出来ない。相手から攻撃されたり、されると確認取れて初めて自衛のために動くのだ。我々は軍隊ではない。国益の為に兵を派遣して威嚇したりしない!全ては日本国の平和の為に、日本国国民の安全の為だ。実際、自然災害で陸海空のそれぞれの部隊が交代で被災地に向かい、行方不明者の捜索や避難民への炊き出し。破損した家屋の解体を行って来た。
分かっている、分かってはいるけれど不安は拭いきれない。
「俺は命を懸けて国の為に尽くし、天衣のもとに帰ってる。天衣も国の為に力を尽くし、必ず俺の所に……帰ってこい!」
「……はいっ」
人は皆、自分勝手で自分の家族が一番大事だ。それでもそれを圧し殺し、国の為に尽くすのが国家公務員の仕事なのだ。
政治家も警察官も役所の人間も教師も、みんな少なからず、そう思っているはず。
アラート任務で神経をすり減らした千斗星を癒せるのは、私しか居ない。そんな立派な仕事をしている夫を持つ私は幸せだと思う。
「千斗星。疲れてるでしょ?お風呂入って少し寝て?私は傍に居るから」
「ああ。そうする。あっ……」
「ん?」
千斗星がバスルームに行きかけて立ち止まる。
「なに?着替えなら持っていくよ」
「いや。風呂から上がったらさ」
「うん?」
「添い寝して」
「そいっ……////」
ニヤニヤ笑いながら千斗星はバスルームに消えていった。まだまだ私は妻としてのお勤めを理解してイないらしい……。
そして、お風呂から上がった千斗星とベッドに潜り込んだ。お互いの体温ですぐに温かくなった。向かい合ってキスをして千斗星が目を閉じると、手を握りしめる力がふわりと緩んだ。
『すげえ躰は眠りたいのに、頭が冴えすぎて眠れないんだ……』
そう言いながら呂律が怪しくなって、嘘のように呼吸が静かになり落ちた。常に神経研ぎ澄まし24時間狭い空間で過ごす。いつスクランブルが掛かるか分からない中、アラート待機を解除されても緊張を解くタイミングが分からなくなる。要撃管制には想像つかないプレッシャーを彼らは常に背負っている。でも、誰か心を許せる者が傍にいてくれるだけで、張り詰めた糸はスルリと解けるもの。
「おやすみなさい」
千斗星の息が一定のリズムを奏で始めたので
、私はそっとベッドを下りようと背を向けた。ゆっくり休んで欲しいと、そっと床に足をついたとき……。
「ん?」
千斗星が私の手首を掴んだ。強い力で握られたわけではないし、瞳も閉じられている。
「千斗星?」
「…………」
「不安、なの?」
当然、返事は返ってこなかった。しっかり閉じられた瞼の先からは、私より長いと思われる睫毛が生えている。
(神様って、けっこう偏ってるよね。天は二物を与えずって……なんなの?)
千斗星の手を離す事は簡単だった。でも、余りにも弱々しく握られると逆に振り離せないものだ。
私はベッドの脇に膝をついて、美しく整った彼の顔を暫く眺めていた。
*
洗濯を済ませると、今度はお昼ごはんはどうしようかと考える。寝室の方を見ると、千斗星はまだ眠っているようだった。こうやって、千斗星の気配を感じながら過ごす休日が増えていく。それが嬉しくて頬が勝手に緩んでしまう。柔らかな日差しを感じ、私はぼんやり窓の外を眺めていた。基地に近いせいもあって、窓を開けると轟音が部屋中を征してしまう。千斗星には家に居る時くらいは無音の環境を与えたい。
「私まで眠くなっちゃった……」
どう過ごしたらよいか、まだ要領を得ない私はソファーの上で目を閉じた。
心地よい温度に包まれてふわふわした気分だった。時々、擽ったくて首を竦める。
「ん、んんっ……ぁ」
目を開けるといつの間にか起きた千斗星が、私をソファーの上で後ろから抱え込んでいた。腹部に千斗星の腕が重なり、肩に彼の顔があって、息が首や耳にかかる。
(ワザとやってる!!)
「千斗星っ、ちょっとやめっ……擽った」
「俺、まだ何もしてない」
「まだ?まだって!」
「くくっ。力入れ過ぎだって。こうやって、くっ付いていたいだけだから」
背中に千斗星の熱がじわじわと広がった。ぐっと更に引き寄せられると、まるで二人で一つなんだと言われているようだった。
千斗星が居るから、どんな事も頑張れるし、何があっても必ず此処に帰ってくるよ。
千斗星の腕の中が私の帰る場所。私は千斗星が無防備でいられる空間をたもちたい。
「私も、必ず帰ってくるからね。千斗星も必ず帰って来てね」
「ああ。この約束は反故に出来ないからな」
「うん」
千斗星が私の顔を後ろを向くように促した。上半身を捩って見上げると、すぐに視界は暗転した。千斗星の優しいキスに寝起きを理由にして、暫し酔いしれた。




