追っかけ
モヤモヤしたまま、翌日を迎えた。
「よしっ!気合い、気合い。頑張るぞ」
ネクタイをしめて、帽子を被って基地に向かった。でも、5分で着く。
警衛所の隊員に身分証を提示してから基地に入る。
新人なので早く出勤し掃除をして、給湯室を整える。先輩方が来たら、朝の一杯を出すのも仕事。
女だからではない。ここは男女関係なく新人がする仕事だ。
どんなにお偉くなっても若い頃に叩き込まれた事は忘れない。それは私たち自衛官の特徴でもある。
ベッドメイキングもワイシャツのアイロンがけも、防大在学中に厳しく仕込まれた。予告無しに呼集がかかって夜中に作業服を着て集合させられたりした。だからちょっとの音でも目が覚めてしまう。
でも、しっかり睡眠は取れって矛盾の中で私たちは生きている。
「おはようございます」
「おはよう。早いね」
始業30分前には全員席についていた。
先ずは、広報の仕事を簡単に確認します。
対外広報
基地のホームページ・SNSの更新、メディアの取材対応、プレスリリースの配信、基地見学者への対応、イベントの企画・進行など他多数。
対内広報
新隊員情報、イベントスケジュール、基地内報など基地内向けの情報の配信など他多数。
みなさんに親しみやすい航空自衛隊を発信する事です。
「香川さんに室長とブルーインパルスを担当して頂きます。手が開けば私もサポートに回ります」
「ありがとうございます。心強いです」
「では、室長に本日の行動確認をして来てください」
いきなり室長の部屋か・・・
「香川です」
「入ってよし」
「失礼します」
室長のデスクの前に行くと、キリリとしまった上官の威厳丸出しの塚田室長が座っていた。うん、やっぱりダンディーだ。
「よく寝れたかな」
「はい!」
「それは良かった。スクランブルは無いにしろ、24時間基地は動いているからね、あの轟音でも寝れるなら問題ないな」
穏やかに笑いながら「今日の仕事だけども・・・」と何故か勿体付けて話を切り出してきた。
背筋をピシッと伸ばしてその先を待つ。
「追っかけやって」
「・・・追っかけ、ですか?」
「そ、奴らの一日を把握するためにケツを追うんだ。それが当面の君の仕事」
「奴らって、ブルーインパルスの事ですか」
「パイロットだけじゃないぞ、整備員も含めてブルーインパルスだ」
「ラジャーっ!」
「イイねその眼。めげるなよ?よし、行ってこい」
本当は「は?追っかけ?なぜ?」と言いたい所だけれど、口答えはご法度だ。部下は上官が例え間違っていても、それに従うもの。
しかし、彼らを担当するなら確かに彼らの一日を知る必要がある。知らずして広報が務まる訳がないのだから。
「行って参ります!」
私は広報室を出て、ブルーインパルスのもとへ向かった。
*
「ふっー」
入り口の前で深呼吸をしてドアに手を掛けた。何故、こんなにドキドキするのか。それはあの憧れのブルーインパルスの皆さんがいるからだ。
「広報、香川です!失礼しますっ」
ガチャ、と勢い良くドアを開けるとそこには・・・!?
「誰もいないっ!」
部屋の中は空っぽだった。どこに行ってしまったのだろうか。
そうだ、彼らのスケジュール!
「えっと、今の時間帯は…、MRって?あっ、モーニングレポートか」
モーニングレポートとはその日の天候状況を把握し、フライトスケジュールの確認をする作業だ。その後、フライト準備とブリーフィングと言って飛行前の確認となる。
場所を移ると正に今はブリーフィングの真っ最中だった。
ここは邪魔してはならない。私は廊下からその様子を伺うことにした。
手元の資料で先ずライダーたちの名前を確認した。
1番機は飛行隊長の大友さん、ウルフ…ん?何それ
リストを見ると・・・
1番機 飛行隊長 大友英之 ウルフ
2番機 飛行隊長付 三井雄大 ホーネット
3番機 飛行班長 橘誠 パンサー
4番機 八神真司 サンダー
5番機 沖田千斗星 スワロー
6番機 相田翔 ファルコン
「これって、俗に言うタックネーム?…かっこいい」
あ、だから昨日言われたんだ。
『へぇ、あの飛行見ただけで分かるんだ』
私が口にしたのはまるでスワローだって、それって沖田さんのタックネームだったんだ。なるほど。
あんなにツンケンしてるのに腕は確かなのよね。でなければソロの5番機には乗ることが出来ないから。
「おいっ、入るのか入らないのか」
「わっ。え?入っても宜しいのですか」
「窓から影が動いてるのが見えて気が散るから」
「ああっ、すみません。入ります!」
思わず大きくなった声に室内の空気が止まった。…怖い。
改めて小声で「入ります」と言い部屋の端に静かに移動した。
「ぷっ。アイちゃんおもしろ過ぎだよ。ふははっ」
笑いだしたのは一番最初にお会いした八神さんだった。彼は4番機のパイロットだ。多少軽そうだが、彼が乗務する4番機は非常に難しい位置を飛ぶ。特にダイヤモンドテイクオフをすると1番機の尾翼が視界に入るし、下手すれば噴煙を被ることになる。かなり難しいポジションだ。
「なんだお前、もう名前呼びかよ。気をつけな、こいつ手も早いから」
「え、あっ。はい!」
「はい!じゃねえし。くくっ、ツボった」
気をつけろと忠告をくださったのは3番機、飛行班長の橘さんだ。彼は左翼機。その隣で微笑んでいるのは2番機、飛行隊長付の三井さん。右翼機。一番優しそう。
そして一番上座(お誕生日席)に座るのが、飛行隊長の大友さん。1番機を操る編成機のパイロット。強面なのがタックネームを思い出させる。正にウルフだ。
5番機の沖田さんは何を考えているのか分からない表情で、その向かいに6番機の相田さんが座っていた。彼が一番若そう。
「これでブリーフィングを終わる!乗務準備せよ」
「ラジャー」
ヘラヘラ笑っていた八神さんも真顔に戻る。
後ろに控えていた後方に座るパイロットたちもキリリとしまる。
よく見ればみんな精悍な顔つきになり、私までもピリッとなる。これがブルーインパルス…なの?
濃紺のパイロットスーツを着た集団が機体が格納された場所へ移動する。途中、F−2、F−4の戦闘機パイロットとすれ違う。
彼らは濃いカーキ色のパイロットスーツなので、一目で分かる。
彼らもブルーインパルスを経験した事がる、もしくは今後経験するかもしれない人たちだ。ブルーインパルスは全国のパイロットたちから選抜された優秀な人材。
「はぁーあ、俺も早くF−15に戻りたいよ」
「八神!口を慎め」
「はい、はい」
ブルーインパルスはT−4。もともとは練習機と同じ部類に入る。
しかし、彼らが乗るのは展示飛行専用のT−4なのだから、私たちパイロットの卵から見たらF型もT−4も同じレベルだと感じる。
私は邪魔にならないように彼らの後方で、必死になってメモを取っていた。ドルフィンキーパー(整備隊)の様子も忘れずに。
それにしてもこの私の格好は動き辛い。
「大友隊長!」
「なんだ」
「作業服に着替えても宜しいでしょうか」
「「は?」」
全員が何に言いやがるんだこの女、みたいな顔で私を睨んだ。
「おいおい、まさか私にもやらせて下さいなんて言うんじゃないよな」
橘班長が眉間にシワを寄せて聞いてきた。
「違います!この制服では動き辛いのです。タイトスカートが…苦手なんです。申し訳ありません、このままで勤務続けます」
そう言うと格納庫内がシーンとなった。不味い空気だ、どうしよう。
「うわはははははっー!!!!」
「「!?」」
大友隊長が、笑っている!?