待っていて!いつか私も貴方の空に
そして私は広報室長室に居座っている。
「香川、本気か?」
「本気です!冗談でこんな事っ、言えません!」
「はぁ……参ったな。参った」
塚田室長が机に両肘をついて、頭を抱え込んでしまった。そりゃ、そうなるよねとは思います。広報の人間として赴任して1年弱の私が、トンデモなお願いをしたのだから。
「悪いが時間をくれ。私一人では決められないし、力もない。様子を見て司令にお伺い立てるしかないよ」
「はい。申し訳ありませんが宜しくお願いします!」
室長には本当に申し訳ないと思う。でも、決めたから!
あとは上の反応がどう来るのか、それをじっと待つしかなかった。
そして、いよいよ千斗星が明日ここを出る。浜松で3ヶ月ほど戦闘機の訓練をしてから、築城基地へ正式に配属となる。
(仙台と静岡、更に九州かぁ……遠いよ)
『景気づけに飯、作ってやるから来いよ』
最後の夜も千斗星の部屋で過ごすことになった。準備で大変だろうから私の部屋に来たらって、言ったけれどやんわりと断られた。
千斗星の料理は何度目だろう。男飯なんだけと、美味しいの。
「わぁ、さすがに殺風景になっちゃったね」
「まあね。カーテンとベッド周りだけ明日片付けたら終わりだ」
本当に行ってしまうのだと突きつけられた現実。ローテーブルに並んだメニューはニンニクがほんのり効いた、レバニラ炒めに仙台名物の牛タン焼きとサラダ。そしてお味噌汁だ。
「またこれ、スタミナ付きそうなメニューだね」
「飯食ったら運動するだろ?カロリーと血を作るんだよ」
「運動……て」
千斗星はにや、と笑って私にご飯をよそってくれた。運動は言葉の綾だけれど、カロリーと血を作るって私の為だよね。
薬だけじゃなく、食べてきちんと摂れと言っているのだ。
「いただきます」
「おう。残すなよ」
「うん」
嬉しさと切なさが混じって、今夜の夕飯の味はよくわからないまま終わった。
食器を洗って片付ける間に、千斗星はシャワーを浴びに行った。もう湯船は使わないのだと。綺麗に磨き上げたからと、意外に几帳面で潔癖だ。
でも、それを私に押し付けたりはしなかった。
窓際に立ってカーテンを開けると、遠くに漁船だろうか淡いオレンジの灯りが見える。私は太平洋へと続く海を眺めながら、自分の気持ちを整理していた。大丈夫!自分に自信を持って!
カチャ……千斗星が出てきた。窓に千斗星の姿が映った。
私を見つけてゆっくりと向かって来る。振り返るべきか、このまま気づかかない振りをするべきか。
迷っていたらあっという間に背中から抱き込まれた。
「千斗星」
「ん?」
千斗星のちょっと気の抜けた声が鼓膜を震わせる。この声が好きなの。どんな薬より彼の声を聞くだけで、痛みが、苦しみが和らいでいくの。ずっと聞いていたいのに。
「訓練、頑張ってね。私も頑張るから。あと、スクランブル……絶対に無事で帰ってきて」
「ああ」
千斗星は私をその躰に取り込む勢いで、ぎゅっと抱き締めた。一定の息遣いが私の項を擽る。今夜だけは私だけのもの。私だけのファイターパイロットなのだと思わせて。
「スワロー、グッドラック」
「ぷっ。ばーか」
笑って過ごしたかったから、笑顔で見送りたかったから。
無愛想な千斗星の貴重な笑顔を目に焼付けたかったから。
私たちは、今まで一番甘く、長い夜を過ごした。次に会えるのは夏頃だろうか......。
* * *
翌朝、広報担当として沖田千斗星を見送った。
今回は民間機ではなく、浜松基地に向かう連絡機に乗って行く。T‐4ブルーインパルスと同じ機種だ。しかし、操縦は浜松基地の隊員がする。
「沖田。しっかり訓練して築城での活躍を祈る」
「はっ!ありがとうございます」
全員で敬礼をして、その背中を見送った。
後部座席に乗り込んだ千斗星はこちらに合図を送る。エンジン音が変わった。滑走準備に入るのだ。
暫くは会えない。でもこれは別れではない。
私も貴方が護る日本の空を護るの。だからっ……
互いの旅立ちに胸を張って、笑顔で……泣かない!絶対に泣かない!
一瞬、千斗星と目が合う。お前だから出来ることをやれ、と言われた気がした。
敬礼で伸ばした指先が震える。
機体がふわりと浮いて、直ぐに車輪が収納された。機首を上げぐんぐんと高く登り、大きく旋回して雲の彼方へと消えて行った。
頬を流れた熱いものを拭うことさえ忘れて、その大空を仰ぐ。
『千斗星。私もやるよ!驚かせてやるんだからっ』
制服の袖で素早く頬を拭って、広報室に戻るためにその大空に背を向けた。
*
「香川。ちょっと、いいか」
戻ってすぐに室長からお呼びがかかった。以前、私がお願いした例の件だろう。
ドキドキする胸を押さえ、深呼吸をして室長室のドアを開けた。
「香川天衣、入ります!」
そこにはいつもと変わらない室長が、書類に目を通していた。室長かチラと私に目を向けた。ゴクリと唾を呑み込む。室長は書類を静かに机に置くと、ガタと立ち上がり私の前にやって来た。
思わずピンと背筋を伸ばす。黙ったまま室長はぐるりと私の周りを一周した。
「香川」
「はいっ!」
「体の方は大丈夫なのか」
「お陰様で、薬で平常を保てております」
「そうか……」
そして、再び私の前には立ちはだかる。
塚田室長も曾てはパイロットだったと聞く。大きくてガッチリとし躰が簡単に想像を掻き立てた。
室長がひゅっと息を呑んだ次の瞬間、
「准空尉 香川天衣。職種、警戒管制。第5術科学校を命ずる!」
え?今、何て……!
「返事!!」
「は、はい!」
嘘!本当に?私、警戒管制の仕事に……っ。
「幸い君は我が防衛大学校を卒業し、幹部候補生学校も出た。驚くことにパイロット試験にも挑んでいる。斎藤司令からお許しが出た。小牧への異動を許可すると」
「ありがとうございます!」
警戒管制とは普通の航空管制員でとは違う。それは防空に係る重要な任務となるのだ。24時間管轄している領空を監視する仕事。
簡単に言えば、緊急発進の指示を出し、領空侵犯を取り締まる部隊なのだ。
「試験に合格しなかったからって、受け口はないぞ!心して挑め」
「はい!准空尉、香川天衣。死にものぐるいで励みます!」
室長の厳しい顔がすっと、緩み「はぁ」とため息を漏らす。頭をガシガシ掻きながら弱った風に愚痴を言う。
「全く、前代未聞だよ。こんな部下は見たことがない」
「申し訳ありません」
「こうなったら必ずやり遂げろよ。お前の空への思いをぶつけるんだ」
「はい!」
こうして私の小牧基地への異動が決まった。
『千斗星!待っていて!必ず私も貴方の空に行くから』
次回、千斗星視点となります。
宜しくお願い致します。




