バーティカル・キューピット ー決意ー
7月に入り北海道は千歳基地で展示飛行をした後、末までスケジュールは調整のため空いていた。
松島基地でまた、いつもの訓練をこなしていた。
時に、夜間飛行をする事もある。アクロバットをするわけではないけれど、いろいろなシチュエーションに対応する為だ。
「お疲れ様でした」
「お、テールまだいたのか!」
大友飛行隊長が驚いたようにそう言った。
「はい。皆さんの夜間飛行も見たかったので」
「アイちゃんは熱心だね。さすが俺達のシッポだな」
「八神さんの追尾、昼も夜も変わらないですね!凄いです」
「あー、褒めても何もでないよー」
「っ、いりませんから何もっ」
春から勤務して半年、こんな風に皆さんと絡めるようになるなんて思ってもいなかった。ましてや彼氏が出来るなんて。
「もう直ぐソロの二人も上がって来るだろ。香川、ちゃんと沖田と帰れよ」
「た、隊長!!」
大友隊長はニヤリと笑うと「女の一人歩きは止めておけ」と言い残して帰って行った。いちばん色恋沙汰に厳しそうな人だと思っていたけど、そうでもなかった。
「くっそ、沖田のやつマジで腹立つなぁ。俺が先にアイちゃんに目付けてたのになぁ」
「もう、八神さん……」
「くくっ。けどさいい事だよ。俺達のような人間には、心の支えがあった方が強くなれる。表向きは国の為にって言うけど、やっぱり家族や恋人の為に戦う方が何倍も力になる。大友隊長はそれを分かってるから」
「誰かの為に……ですか」
「そう。俺も早くその誰かを探さなきゃなぁ」
そう言って「お疲れー」と部屋を出ていった。
気づいたら2番機の三井さんも3番機の橘さんもいない。みんな休み前は帰るのが早い。特に家族持ちはそうなる。
ガチャ……
「あれ?テールちゃんまだいたの」
「相田さんお疲れ様です」
「あぁ、待ってたんだね。もう来るからさ」
「え!あ、いやそんなんじゃ」
「よーしと。俺、合コンだから先に出るね。お疲れ様」
「あ……」
行ってしまった。もういっかと諦めようと思った。広報室にも戻らなくていいと言われているし、沖田さんが戻ったら一緒に帰ろう。
部屋の窓がきちんと閉まっているかを確かめて、ブラインドを下ろした。
「よしっ。戸締りオッケー」
「天衣」
振り向くとちょうど彼が戻って来た所だった。しかも、天衣って。
「お疲れ様です。もう帰れますか?」
「ああ。そっちはいいのか、広報は」
「はい。夜間飛行見たらそのまま帰れって言われています」
「そうか。じゃあ一緒に帰ろう」
二人並んで基地を出るのは何回目だろう。あまりお喋りでない彼はいつも話は聞き役。今日の空は晴れていて星が見えるほど。そんな夜空を飛ぶなんて何だかロマンチックだと思う。
「ねえ、星って飛んでる時、見えるの?」
「ん?ああ、そうだな。あんまり意識したこと無いけど、見ようと思えば見えるかな」
「そっか。訓練中にそんな事考えないよね」
そう私が言うと、口元だけで笑って「天衣も女の子だったんだな」と言った。発想が甘かっただろうか。
「ごめんさい。一人だけ浮ついててっ。今日の夜空は久しぶりにキレイだったから」
「天衣」
「はい」
沖田さんは私の顔を覗き込んだ。何を言うでもなくじいっと私を見つめる。なに?何か言ってほしい。
「沖っ…た……あ!」
「くくっ。基地を出たのに、天衣は俺を沖田さんと言おうとしたペナルティーな」
「えっ!ちょ、それなんか狡い」
にっこり、と恐ろしいくらいの爽やか笑顔を見舞い、私の手を取って足早に官舎に入って行く。私は引きずられるようにして、自室ではなく彼の部屋に連れこまれた。
「千斗星っ」
入ったのと同時に私の背は閉まったドアに押し付けられた。彼の顔を見上げると、瞳がフルっと揺れてその奥はギラと光って見えた。
「天衣……俺っ」
「ん?」
「おまえを絶対に手放しなくない」
「っ、どうしたの……んっ」
熱い吐息と共にその先の言葉は呑み込まれてしまった。私の躰を支える彼の手も、とても熱かった。密着したまま、ガタガタと玄関を上がりそのままベッドに倒れ込む。私たちはまだ、制服のままだ。
「千斗っ……!」
黒のネクタイをシュルリと解かれ、ポトと床に落とされた。彼も片手で自分のネクタイを緩めて放った。胸元のボタンが順に外され逞しい胸が現れる。私は思わず生唾を呑み込んだ。
「天衣……ごめん。もう、我慢できない」
「千斗星っ。あ、あの」
「嫌?」
「ううん。お願いしま、す」
「ふっ。どもるなよ」
とても優しい声で宥められ、彼は私の制服のシャツのボタンを外していった。晒されるのは初めてではない。なのに、今夜はその時よりもドキドキしている。当たり前だ。
私が許可したのは、予行じゃないのだから。
「大丈夫。ゆっくりするから」
「うん」
「好きなんだ。天衣が、凄え好きだ」
「……んっ」
躰はほんの少し苦い思いをしたけれど、心は彼の甘さに包まれていた。初めて彼に、全てを委ねた一時だった。
*
「なあ、天衣。聞いて欲しい事がある」
真剣な声色にドキンと心臓が跳ねる。
「なに?」
「今年いっぱいで、ブルーインパルスを卒業する事が決まった」
「ぇ」
任期は約3年と言われている。彼はまだ達していない。でもきっと、優秀なパイロットだから何処かの基地に引抜かれたのかもしれない。
「近々、発表されるよ」
「何処に、異動するの」
「まだ決まってない。三沢か、浜松か、何処だろうな。俺、元々はF型戦闘機乗りだから」
「そっか」
気の利いた言葉が出てこなかった。いつかそういう日が来る事は解っていた筈だ。なのに、体中が不安というベールに包まれてしまった。
彼のいないブルーインパルスで、私はやっていけるのか。初めに戻るだけなのに、得てしまった幸せを離すのがとても怖かった。
「そんな顔をするなって。終わりじゃない、これからが俺達の始まりだろ?ほら、やっと今日、天衣の初めてを貰ったし」
「ちょ!千斗星っ、何言ってるの」
「俺、言った事は守るんだよ。2回目も3回目もその先ずっと、俺が貰うって言ったろ。それに、俺の空も見せてやるって」
「千斗星……」
私は彼の胸に頬を寄せて泣いた。これからが始まりだって、ならば私も立ち止まってはいられない。戦闘機パイロットで生きていく彼を、どうにかして支えたい。飛べない私に出来る事をこれから彼の卒業までに、見つけよう。
「私、がんばるよ」
「ああ。適当にな」
* * *
時が流れるのは本当に早かった。秋以降はバタバタと展示飛行が組まれ、天候にも恵まれてあっという間に冬が来た。
時々、何かの拍子でふらつくこともあったけれど幸い倒れる事はなかった。もしかしたら治ったのかな?そう思える程、調子は良かった。
「天衣、おまえ頑張り過ぎだ」
「え?そんな事」
「あるんだよ。来いっ」
「うわっ」
それは全部、彼のお陰だったんだと思う。そろそろ危険かな、と言うタイミングでこうして甘やかしてくれる。
彼の隣で眠ると、朝まで夢を見ない。それだけ安心して深い眠りに落ちているという事だろう。
「では、明日が年内最後の展示飛行となる。それの予行を今から行う。沖田と八神は明日の展示飛行が最後だな。今までよくやってくれた」
そう、卒業するのは千斗星だけでなく八神さんもだった。八神さんは新田原への異動が決まり、エリート集団と言われる【飛行教導隊】で訓練する事が決まっている。
「でだ、沖田が珍しく俺に頭を下げてきた。卒業祝いで今日だけそれを許可する」
え?大友隊長に何をお願いしたの?
「本日の予行は八神が5番機、沖田が4番機に乗る。以上!」
「はい!」
はい!って、皆、どうしてか聞かないんですか?
心なしか、皆が私の方を見て笑った気がした。気のせいだと思いたい。
大友隊長がニヤニヤしながら「よーく見ておけよテール」と低い声で囁いて、コックピットに乗り込んで行った。
「え……なんか、怖いです」
1番機から4番機がダイヤモンド編隊で離陸した。初めて見る千斗星の4番機は、八神さんにも負けていなかった。1番機にピッタリくっついて華麗に舞っている。
それぞれのフォーメーションを確認し終えて、最後のプログラム。
スターを大空に描く。
『テール聞こえるか』
「えっ、はい!」
突然、大友隊長から無線が飛んできた。こんな事は初めてだ。
『頑張るテールにプレゼントだ。受け取れ』
「え!!」
無線は切れた。プレゼントって、何!?
空を見上げると6番機と八神さんが乗った5番機が現れて、2機が同時に上昇していった。え?スターは?
そこから二手に別れて弧を描くように下降し始める。
真白な噴煙を色濃く吐きながら……描いたもの、それは。
「なんで!」
『沖田!行けっ』と言う隊長の声で、右方向から4番機に乗った千斗星が入って来た。
「あっ………!」
シューンッと噴煙を吐きながらその中央を突破する。突破する直前に一旦、噴煙を切り、再び吐きながら突き抜けた。
彼らは何て事をしてくれたのだろうか!
それは、 バーティカル・キューピット
空に現れたのは、矢に射られた大きなハートだ。
『見えたかテール』
「ううっ…はい!見えました」
『俺たちからのクリスマスプレゼント。けど、ハートを射抜いたのは沖田だったなぁ。がんばれよー』
矢を射抜くのは4番機の役目。それを今日だけ特別に八神さんでなく、千斗星が代わりに……。完全にヤられた。
大友隊長っ、貴方は本当に粋な人。
千斗星だけじゃない!彼らを私は必ず支えてみせる。
私はブルーインパルスの熱き魂を胸に刻み、彼らと共に日本の空を護りたい。いいえ、護ってみせます。
私はその噴煙が空に溶け込むまで、見つめていた。




