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スワローテールになりたいの  作者: 佐伯瑠璃
第1章 ドルフィンライダー 
17/78

初めてのデートは潮の味

1週間はあっという間に過ぎた。

次の展示用のフォーメーションの確認や、予行練習。忙しくなったとは言え、毎日飛べるわけではない。他の部隊と調整しながら、週に二、三回が限度だった。


「お疲れ。明日は飛行は無し。休暇の者もいるが、それぞれでイメージを膨らましておくように。以上!」


大友飛行隊長が締めて、本日のデブリーフィングは終了。

そう、さすがに展示飛行のシーズンは練習後のミーティングが行われる。タイミングのズレは命取りとなる。噴煙を出すポイントやターンをする時の角度。並列飛行の距離などがとても重要となる。

特にブルーインパルスの編隊飛行は機体がくっ付いているのではないかと、目を疑うほどの距離を取る。


本日のブルーインパルスの活動は解散。


「アイちゃん」


部屋を出て振り返ると八神さんが立っていた。


「八神さん」

「明日、病院だって聞いたから。……沖田(あいつ)が休み取るなんて珍しいからさ」

「検査結果を聞くだけなんですけど」

「何かあったら言ってな。今回は黙って引き下がるけど、俺はまだ諦めたわけじゃないから」

「え」

「そんな顔しないでよ。仲を壊そうとか、そいう事はしない。アイちゃんが幸せなら俺はなんにも」

「八神さん」


「じゃあなーー!」と爽やかに手を上げて去って行った。初めて声をかけてくれた人、私を励ましてくれた人、私を好きになってくれた人。

とても感謝しています。私は彼の背中に頭を下げた。



     * * *



翌日。沖田さんは約束の時間に私の部屋を訪れてくれた。

初めて見る私服姿に胸が高鳴り、顔に熱が集中していくのが分かった。着痩せするタイプだろうか、全体的に細く見える。でも、ヒョロヒョロではなく例えるなら……細マッチョ。


「っ……!(格好良すぎ)」

「おはよう」

「おはよう、ございます」


目元をスッと緩ませて、柔らかな笑みをくれた。まだ、慣れない。

ドキドキして胸を掻きむしりたい衝動にかられる。


(どんだけ経験値低いんだろう、私っ)


「車、借りたから」

「え」

「電車だと時間がかかる。帰る頃には一日が終わるだろ?折角だからドライブくらいしてもバチは当たらないよな?」

「あっ……うん。ドライブ、したい!」


彼が運転する車の横に座れるなんて、過去の私が聞いたら卒倒するかもしれない。まさかブルーインパルスのパイロットと恋に堕ちるなんて。

きっと私の表情(かお)はだらしないに違いない。でも、もうポーカーフェイスには戻れない。


「おい。病院が先だからな」

「うっ、分かってるよ」


ニヤけ顔が直らないまま、病院に向かった。



     *




予約時間に合わせて受付をし、待合いスペースの椅子に座る。

ここは自衛隊病院の為、隊員やその家族しか受診することはない。一部、一般に開院している県もあるがごく稀だった。



「香川天衣様。第二診察室へお入り下さい」

「はい」

「俺、ここで待ってるから」

「うん」


家族でも上司でもない彼は結果を聞くことは出来ない。私は深呼吸をして、扉を開いた。


「香川天衣さん」

「はい」

「体調は如何ですか?」

「はい。あれからは特に症状はありません」

「そうですか。では、当面は服用で様子を見ましょう」

「……」

「では、検査結果をお伝えします」


医師は検査結果が書かれた紙を私の方に広げて見せた。アルファベットと数字、見たことのない単位で数値が表記されていた。

ぱっと見ても、じっくり見ても分からない。医師は淡々とした口調で私にこう告げた。


「溶血性貧血でした。今の香川さんの様子ですと保存療法と投薬治療で好いかと思われます。しかし、これも今はとしか。過度のストレスには気をつけてください。一度倒れています。酷くなるようなら、脾臓摘出手術も頭に入れておいて下さい。幾分かは改善されます」


「……」


「あと、ご家族にこう言った症状の方がいないか、聞いておいて下さい。治療の方法の参考にもなりますから」


結局は溶血性貧血と言うものだった。何でもないように医師はその事実を知らせてくれたが、今後はどうなるのか。治るものなのか。


「あの。仕事は続けても?」

「もちろんです。今のあなたの勤務内容ならば、問題ないでしょう」

「ぇ、あのっ。将来的にパイロットを目指しているのですが」

「パイロット、ですか……」


医師は私の顔を見ながら、考えていた。言葉を探しているようにも見える。少しの沈黙の後、「お薦めしません」と言った。

その言葉が耳からゆっくりと脳に染み込むと、私の心は膝を折った。


「ありがとうございます」

「いえ。二週間ごとに通院をお願いします。ご家族の事もご確認ください。長い付き合いになるかもしれませんが、普通の生活は出来ます。あまり思い詰めないように」

「はい」


私は診察室を出た。


心の何処かで、女だから戦闘機乗りにはなれない。法律がそれを許していないからと逃げた時もあった。せめて、後方支援部隊で操縦桿を握りたい。自分なりに妥協点を探っていた。

でも医師はパイロットそのものは諦めろと言ったのだ。

過度の緊張、それは避けられない。コックピットで気絶すれば自分だけでない。多くの人を巻き込んで大変な事故に繋がるのだ。

私は絶望と言う真っ黒なマントで身を包んでしまった。


「天衣」


その声で私は、沖田さんが居たのだと気づく。どうしよう、どんな顔で何と話せばよいのだろう。


「お待たせしました」

「もう、終わったのか」

「はい。薬を頂いて終わりです。二週間ごとに通院ですけど」

「そうか」


彼はそれ以上、聞いてこなかった。

私は出来るだけ笑顔を絶やさないようにした。この後は初めて外でデートするんだもの。悲しい顔はダメ!



薬を受け取り、少し早めのランチを済ませた私達は『松島』に来ていた。日本三景と呼ばれている有名な場所だ。

私たちは福浦島に繋がる橋を並んで歩いていた。赤で縁取られた趣のある橋は真っ直ぐに伸び、海の上を渡っていた。


「初めて来た!歩いて島に渡れるなんて素敵。んー潮の匂いだ」

「せっかく松島にいるんだから、一度は来ないとな」

「うん!天気が良くてよかったぁ」

「俺たちはいつも空から見ているけど、やっぱり地に足つけて眺めるのがいいな」


松島湾に点在する島々を空から見れるのも、彼らパイロットの特権だ。


「そっか上から見てるんだもんね。いいなぁ、私も見たい」

「パイロットになれば見れる」

「……うん。そう、だね」


私は今、ちゃんと笑えているだろうか。

日本の空を護りたいと願ったあの日の自分は、こんな自分を見てどう思うだろうか。美しいこの日本を、如何なる脅威からも護りたいと。


「天衣?」

「ん?」


不意に沖田さんに呼ばれて振り向いた。

一瞬、顔を歪めた彼の表情が見えたけどすぐに見えなくなった。


「我慢しなくていい。泣けよ」


私は沖田さんの腕の中に閉じ込められていた。ぎゅっと抱き締めて、「泣けよ」と私の心を刺激した。


「千斗星、私っ」


涙が先に溢れてきて、喉の奥から熱いものが込み上げてくる。それを抑えようとしても、マグマの如く沸き上がってくる。


私は彼の背に手を回し、子どものように泣いた。


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