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スワローテールになりたいの  作者: 佐伯瑠璃
第1章 ドルフィンライダー 
15/78

これからが始まり

あれから夕方になると、沖田さんは部屋に戻る前に、私の所に顔を出してくれるようになった。必ず何かを手土産にして。


「顔色、良くなってきたな」

「うん。お薬と休養のお陰です。あ、どうぞ中に」

「ありがとう」


夏の制服に切り替わったので、以前に増して爽やかさに拍車がかかっている。半袖から覗く鍛えられた腕に、つい目が行ってしまう。

この間、この腕に抱きしめられた事を思い出す。


ドクンと心臓が大きく跳ねた。


「明日、検査だろ?」

「うん。鹿島先輩が、付き添ってくださるって」

「そう。なら安心だな」


沖田さんは基本的に無駄話をしない。たから、用件が終わると会話が途切れてシンという音がしそうになる。

でも、ここは空自官舎。ゴゴゴーとエンジン音が間を埋める。


天衣(あい)、って呼んでもいい?二人の時だけ」

「ぇ、あ、もちろん!」


そう答えると、沖田さんがふっと笑った。


「ぁ……」


思わず声を漏らすほど、その表情(かお)が素敵だった。自分だけに向けられた柔らかな表情に私は釘付けになる。


「口が開いている」

「あっ、失礼しました」

「くくっ。天衣って、面白いやつだな」


(わ、笑った!!沖田さんが、笑ったーー。)


「検査終わったら教えろよ。みんな心配していた」

「あ、すみません。もう直ぐ次の展示飛行がありましたよね」

「ああ。順調だから安心して」

「はい」


遅くなるといけないからと立ち上がり、沖田さんは玄関に向かう。

私は見送る為に後ろについて行く。

靴を履き、彼が振り返った。


「沖田さん。いつもありがとうございます」

千斗星(ちとせ)

「え」

「俺の名前。沖田さんより、そっちがいい」

「っ、千斗星さん」

「さんも要らない」

「ええ!……千斗星、ありがとう」


余りにも恥ずかしすぎて顔を伏せた。一気に顔に熱が集中して、耳まで滾っているのが分かる。

すると、ポスっと彼が私を腕の中に収めた。

ああ、やっぱり安心する。私は本当に5番機を操る、沖田千斗星が好きなんだ。


「じゃあ、また」

「うん」


パタンとドアが閉まる。トクトクと胸の音が耳に残った。



* * *



翌朝、鹿島先輩が市内にある自衛隊病院に付き添ってくださった。

念のため前回の診断書も持参した。

今は血液検査である程度の事はすぐに結果が出るようで、私達は病院屋上の喫茶スペースで時間を潰していた。


「あれから、体調はどう?」

「はい。処方された薬のお陰か、以前と変わりありません」

「そう。よかった。私たちは女性はみんな貧血気味よ。ストレスも絡んだら厄介だから、この際きちんとしておかないとね?」

「はい。皆さんにはご迷惑をお掛けして」

「あ、そうそう。沖田くんとはどうなの?」

「え!」


鹿島先輩に沖田さんの事を振られて動揺する私。先輩はにこにこ笑いながら「知ってるわよ」と言った。


「聞いたんですか?沖田さんから」

「ううん。見たら分かるわよ。定時に上がって、香川さんの部屋に行くところ見ちゃったから」

「なるほど」

「それに、ね。八神くんが悔しがってたから」

「八神さんが?」


鹿島先輩が言うには、八神さんが沖田さんに私の事を聞いたと。私を助けたのは沖田さんで、その後一晩付き添いをした事も。


「香川さん。すっかりブルーたちの心掴んじゃって」

「そんなつもりはっ」

「褒めてるのよ。彼らは何処か孤立した感じがあったから」


どこに行っても歓迎されるブルーインパルスは、航空自衛隊の花形となっていた。それは時に内部からの妬みのタネともなる。

広報担当者もどこか腫れ物を触るように遠巻きから見ていたと。それを変えようと塚田室長が、新人の私を放り込んだと。


「ならば尚更、恋愛なんて。ましてや現役パイロットと」

「それはそれよ。そういうのはコントロール出来ない。ダメと言っても、諦められるものではないでしょ」

「まあ……」

「それより、いい方に切磋琢磨して欲しい。沖田くんの良さが生かされるように」

「はい」



     *



そして、午後。検査結果が出た。

【溶血性貧血の疑い】

何らかの原因で赤血球が壊れてしまうこと。

症状としては、黄疸、脾臓の腫れ、悪寒、発熱、脱力などが現れる。

症状が進むと「溶血クローゼ」と言うショック症状に陥り、命の危険さえも起こりうるのだと。


「まず、香川さんの今の状態ですと、薬での治療からで良いと思います。一度倒れたのは、疲労も重なっていたからだと推測します」

「これ、大変な病気……ですか?」

「まだ詳しく調べてみないと分かりません。ご家族にこういった症状の方はいないですか?」

「特に聞いたことは」

「そうですか」


更なる分析が必要で1週間ほどかかるそうだ。

聞き慣れない言葉に、私はどう気持ちを整えたら良いのか分からなかった。とにかく無理はせず、これまでのように生活を送ってくださいと言われた。

大した事ないのか、重大な事なのかよく分からなくなっていた。


「とにかく、普通に過ごしましょう」

「はい。ありがとうございます」


1週間後に予約を入れて、基地に戻った。


「そうか。取り敢えず、1週間後に詳しい結果が出るんだな」

「はい」

「体調はどうなんだ」

「はい。休ませて頂いたお陰で以前と変わりありません」

「無理はするなよ。体調が優先だ」 

「ありがとうございます」


その日は休んだ分の書類の処理に追われた。次の展示飛行のスケジュールと展示内容を確認した。

次は美保基地。そして、輪島基地だ。

季節が進むに連れて天候との戦いとなる。輪島はいつも微妙な天気なのだとか。


「てるてる坊主でも作ろうかな」


天気予報を見ながらそう呟いていた。


「香川、上がっていいぞ」

「え?」


時計を見ると、とうに時間は過ぎていた。まだ、3時間しか働いていないのに。


「5番機が待ってるんじゃないのか」

「ありがとうござ……え!」


先輩方がにやにやしながら私を見ている。

バレてる!! なんで!?


「香川っ……か、帰りますっ」


真っ赤な顔を隠すようにして退室した。なぜ、皆知っているの!

逃げるように基地を出た所で人とぶつかる。


ドンッ


「っあ、ごめんなさい」


なんてそそっかしいのだろう。深く頭を下げた先に男性の靴が目に入る。誰とぶつかったんだろう。


「全く、相変わらずだな」

「あ」


沖田さんだった。

見上げた彼の顔は呆れたような、でも不機嫌な感じはなかった。


「お疲れ様です」

「お疲れ」


私たちは並んで官舎まで帰った。制服を着ている間は先輩と後輩だから、付かず離れずの距離を保って。

やっぱり会話が弾む気配はないけれど、嫌ではなかった。無言でもその空気は私の心を和ませた。不思議な人。


「飯は?」

「まだです。帰ってから適当に」

「じゃあ、俺の部屋に来いよ。検査結果も聞きたいし」

「え、行ってもいいんですか」


そう聞き返すと、ニヤと意地悪そうに笑って「ダメなら誘わない」と当たり前の答えを聞かされた。

本当は距離の取り方が分からないだけ。

異性とお付き合いするという事。それが、同じ職場のしかも優秀なパイロットだという事に戸惑っていた。


もっとちゃんと、恋愛しておくべきだった。

今更ながら過去の自分にボヤいてみる。

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