みいちゃんの電話
携帯電話を新しいものに替えたお母さんは新しい携帯電話で遊んでばかり。
ひとりぼっちでは絵本もおもちゃも、ちっとも楽しくありません。
みいちゃんは、お母さんが引き出しの奥にしまい込んだ古い携帯電話を取りだしました。
古い携帯電話は、充電も切れてしまって、電源はつきません。
それを見たお母さんは、「それ、みいちゃんにあげるよ」と言いました。
その日から、その携帯電話はみいちゃんのおもちゃになりました。
みいちゃんは、携帯電話でもしもしごっこをしました。
もしもしごっこ、というのは、電源がつかない携帯電話に向かって、一人でお話しする遊びでした。
みいちゃんは、寂しくなると、携帯電話を開いて「みいちゃんは、寂しいです」と言いました。
みいちゃんは、お腹がすくと、携帯電話を開いて「みいちゃんは、お腹がすきました」と言いました。
たまに、お母さんがそれに気付いて、遊んでくれたり、おやつを用意してくれたりしました。
そんなある日の事でした。
みいちゃんのおうちに、みいちゃんのおじいちゃんが来ました。
おじいちゃんは、みいちゃんに見向きもせずに新しい携帯電話で遊んでいるみいちゃんのお母さんを見て「可愛い娘も見ずに何をやっているんだ」と、かんかんに怒りました。
あまりにひどく怒るものだから、みいちゃんが怖くなってお母さんの後ろに隠れると、おじいちゃんは、にっこりと笑顔になって、「みいちゃん、寂しい思いをさせてごめんね」と、頭を撫でてくれました。
みいちゃんは、おじいちゃんのにっこり笑った顔が大好きだったので、嬉しくなりました。
それから、お母さんが携帯電話で遊ぶことが少なくなって、みいちゃんとよく遊んでくれるようになりました。
しかし、今度はお母さんに赤ちゃんができて、みいちゃんとあまり遊べなくなってしまいました。
寂しくなったみいちゃんは、引き出しの奥から古い携帯電話を取りだして、もしもしごっこをしていました。
みいちゃんは、携帯電話に毎日言いました。
「みいちゃんは、寂しいけれど、赤ちゃんが元気に生まれてほしいです」
お母さんのお腹の中で、赤ちゃんはすくすく成長し、お母さんのお腹が、はちきれそうに膨らんだある日の事でした。
携帯電話の着信音が鳴りました。
それは、お母さんの携帯電話ではなく、みいちゃんの携帯電話でした。
とっくの昔に電源が切れて、充電もされていないその電話が鳴ったので、お母さんはとてもびっくりしました。
みいちゃんが、電話に出ると、受話器の向こうから声が聞こえてきました。
『ぼくは、ママのお腹の中の赤ちゃんだよ。もうすぐ生まれるよ』
「ママの赤ちゃんが生まれるって言ってるよ!」
お母さんがびっくりしてみいちゃんの携帯電話を取り上げて耳に当てましたが何も聞こえてきません。
みいちゃんの弟が生まれたのは、それからすぐの事でした。
みいちゃんの弟が生まれてから、不思議なことが起こるようになりました。
みいちゃんの弟が泣くと、みいちゃんの電話が鳴るのです。
そして、みいちゃんが電話に出ると、『おなかがすいたよう』とか、『おむつが気持ち悪いよう』とか、『ママに抱っこしてほしいよう』といった弟の声が聞こえてくるのでした。
そして、ある日、さらに不思議なことが起こりました。
その日は、みいちゃんのおばあちゃんが、みいちゃんのおうちにやってきました。
おばあちゃんは、みいちゃんにはいつもにこにこしていますが、お母さんには怒ってばかりです。
おばあちゃんが、お母さんにぶつぶつ文句を言いながら部屋の片づけをしていると、みいちゃんの電話が鳴りました。
みいちゃんが電話に出ると、電話の向こうからお母さんの声がしました。
『お義母さんは、うちに来るたび文句ばっかり……』
「ばあちゃん、ママがね、おばあちゃんおうちに来ると文句ばっかり言うから嫌いだって」
みいちゃんは、電話の向こうのお母さんが言ったことをそのままおばあちゃんに伝えました。
お母さんは、それを聞いて青ざめてしまいました。
おばあちゃんは、あまり気に留めていない様子で片づけを続けていました。
少しして、また、みいちゃんの電話が鳴り始めました。
慌ててお母さんが電話を取り上げるよりも早く、みいちゃんは電話に出ました。
電話を終えたみいちゃんは、お母さんのほうを見ました。
「ママ、ばあちゃんがね、ママのことを思って言ってるのに、そんな風に思われてたなんて悲しいなって」
それから何日かしたある日のことでした。
「おはよう」と、言いながら食卓に着いたみいちゃんのお父さんは、とても眠たそうです。
お父さんは、ここ最近毎日遅くまでお仕事をしているみたいでいつもみいちゃんが寝た後に帰ってきます。
お母さんが朝食を準備してお父さんの前に置くと、お父さんは「これだけでいい」とコーヒーだけ飲んで出かけようとしました。
「体調悪いの?大丈夫?」と、お母さんが心配そうに聞きますが、お父さんは首を横に振りました。
その時、みいちゃんの電話が鳴りました。
お父さんは、もうとっくに電源が切れているはずのその電話が鳴るのを初めて聞いたので、とても驚いていましたが、それを言葉に表すことはできませんでした。
なぜなら、それよりも前に、みいちゃんがもっと驚くべきことを言ったからです。
「ママ、パパね、本当は残業じゃなくて『きゃばくら』に行ってて、今日は二日酔いで気持ち悪くてご飯が食べられないなんて言えないって」
それを聞いたお父さんは青ざめていましたが、お母さんは顔色一つ変えることなくお父さんのお弁当箱を取り出して言いました。
「お昼ごろにはおなかがすくかもしれないから、お弁当は用意するわね」
その時、またしてもみいちゃんの電話が鳴りました。
その音にお父さんがびくりと振り返ると、すでにみいちゃんは電話に出ていました。
「ママ、怒ったから、パパのお弁当に期限切れのお惣菜入れるって」
お母さんは、それを聞いて仕方なく期限切れのお惣菜をお弁当箱から放り出しました。
みいちゃんの電話は、本当の気持ちを教えてくれる不思議な電話でした。
お母さんとおばあちゃんは本音で話し合うようになりました。
本音を隠しても、みいちゃんの電話で分かってしまうから。
お父さんは、キャバクラに通うのをやめてまっすぐ家に帰ってくるようになりました。
嘘をついてもみいちゃんの電話で分かってしまうから。
みいちゃんの電話のおかげで大好きなお母さんとおばあちゃんが前よりも仲良しになって、大好きなお父さんが早くおうちに帰ってくるようになりました。
それに、大好きな弟が泣いてしまっても、みいちゃんの電話があればすぐにどうして泣いているのかがわかります。
みいちゃんの電話はみいちゃんにとってとても大切なものになりました。
みいちゃんはいつ電話が鳴ってもいいように電話を首から下げて肌身離さず持つようになりました。
そんなある日のことでした。
みいちゃんのおじいちゃんが、久しぶりにみいちゃんのおうちにやってきました。
「おや、みいちゃん、そんなもの首から下げてどうしたんだい?」
久しぶりに会ったおじいちゃんは、みいちゃんの電話のことを知りません。
みいちゃんは、得意になって電話のことを話しました。
しかし、おじいちゃんは、それを聞いても、まったく楽しそうではありません。
それどころか、どんどん不機嫌になってしまいました。
「こんなものけしからん!」
おじいちゃんは、今までみいちゃんが聞いたこともないような剣幕で起こると、みいちゃんの電話を取り上げてしまいました。
みいちゃんは「返して!」と、縋りつきましたが、おじいちゃんは、そのまま帰ってしまいました。
電話を持っていないみいちゃんは、弟が泣いてもどうして泣いているのかわかりません。
弟は泣き続けているのにどうしていいかわからなくて、みいちゃんも悲しくなって泣き始めてしまいました。
二人の泣き声に驚いたお母さんがやってきました。
お母さんは、みいちゃんがいつも首から下げていた電話がないことに気づきました。
「みいちゃん、電話は、どうしたの?」
「お、おじいちゃんが……怒って……持って帰っちゃった……」
みいちゃんは、泣きながらなんとかそれだけ答えました。
お母さんは、「ちょっと前におっぱいあげたから、おむつかな?」と言いながらおむつを見て「あ、おむつぐちょぐちょ!」とおむつを替えました。
おむつを替えたお母さんが弟を抱っこしていると弟は泣き止みました。
それでも、みいちゃんは、しくしく泣いたままでした。
電話を持っていないみいちゃんは、お母さんの役に立てていないと思ってしまったからです。
お母さんは、みいちゃんのことをいらない子と思っているかもしれないと、思ってしまったからです。
本当はそうではないかもしれないけれど、電話がない今、お母さんの本当の気持ちはみいちゃんにはわかりません。
お母さんも、お父さんも、弟も、何を考えているかわからなくなってしまって、みいちゃんは怖くて怖くて泣き続けました。
泣いて、泣いて、泣き続けて、いつしか泣き疲れたみいちゃんは眠ってしまいました。
眠っていたみいちゃんは、電話が鳴る音で目が覚めました。
その音は、いつものみいちゃんの電話の音ではありませんでした。
目が覚めると、お母さんがおうちの電話で話しているようでした。
真剣そうに電話の向こうの話を聞いていたお母さんは、だんだんと顔色が悪くなり、目に涙をためて、その場に座り込んでしまいました。
おじいちゃんが倒れて、病院に運ばれたという知らせでした。
みいちゃんは、お母さんに連れられて病院に行きました。
おじいちゃんは、口にチューブが入っていて、あちこちに点滴が入っていて、たくさんの機械がつながっていて、お昼間にみいちゃんの電話を取り上げたおじいちゃんとはまるで別人みたいでした。
「おじいちゃん?」
みいちゃんは、おじいちゃんに話しかけましたが、反応はありません。
いつもだったら、「なんだい、みいちゃん」って笑ってくれるのに。
みいちゃんが、おじいちゃんを起こそうとその体に触れたとき、電話の音がしました。
それは、みいちゃんの電話の音でした。
みいちゃんは、おじいちゃんの傍らに置いてあった電話を手にすると「もしもし」と、電話に出ました。
『もしもし、みいちゃんですか』
電話の向こうで話しているのは、おじいちゃんでした。
『みいちゃん、今日はたくさん怒ってしまってごめんね。
本当は、みいちゃんにお話しして伝えたいけれど、おじいちゃんは声を出せそうにありません。
本当は、みいちゃんのお顔を見て伝えたいけれど、おじいちゃんは目を開けられそうにありません。
だから仕方なく、この電話で伝えることにしました。
この電話は、確かにすごい電話だ。
でも、おじいちゃんは、この電話がほしくて持って行ったわけじゃあないよ。
みいちゃんに大切なことを知ってほしかったからなんだ。
みいちゃんは、電話がなくて困ったかもしれない。
急に、みんなが何を考えているかわからなくなってしまったからね。
でも、よくよくみんなの顔を見て、話していることを聞いて、周りの様子を見たら、みんなが何を考えているか想像することはできたと思うんだ。
その方が、全部わかっちゃうよりもわくわくすると思うよ。
いつもおじいちゃんが来ると笑顔でおじいちゃんの目を見て話してくれていたみいちゃんだから、きっとできると思うんだ。
ねえ、みいちゃん、できるだろう?』
みいちゃんは、しっかりうなずきました。
「おじいちゃん、みいちゃん、おじいちゃんと、お電話じゃなくておしゃべりしたいです」
『みいちゃん、ごめんね、それはできそうにない……』
電話の向こうのおじいちゃんは、困った声で答えました。
「おじいちゃん、みいちゃんは、おじいちゃんの笑った顔が見たいです」
電話の向こうからは何も聞こえなくなりました。
機械からけたたましいアラーム音が聞こえてきて、お医者さんや看護師さんが走ってきました。
お医者さんが時計を見て何かを言いました。
そして、おじいちゃんについていた機械はすべて外されました。
みいちゃんは、機械がすべて外されたおじいちゃんの顔を見ました。
おじいちゃんは、みいちゃんの大好きな笑った顔をしていました。
みいちゃんの電話はみいちゃんのところに返ってきましたが、みいちゃんはそれを引き出しの奥にしまいました。
みいちゃんの弟が泣きだしました。
みいちゃんは、電話には目もくれずに弟のところへ駆け寄りました。
「ママ!おむつかえてだって!」
「そうなの?」
「だって、おむつ、ぐちょぐちょだもん!」
みいちゃんは、電話がなくたって泣きません。
おじいちゃんの言った通り、みんなの顔を見て、声を聴いて、周りの様子を見て想像する方がずっとわくわくするし、素敵だと気付いたからです。