水呼ばぬ歌声が
「ねえ、どうして手をつないでるの?」
どうしてこうなったのか。
アデラの一言が原因で、マルティナはラーシュと手をつないで仲よさげに町を歩いている。これはアデラのいう通り宣伝効果抜群だろう。なにせこの町は学校から近く、多くの生徒でにぎわっているのだから。
これで普段の煩わしさが減ると思えば、安いものではある。ラーシュが相手なら手をつなぐことにさほど抵抗感はない。
しかしながら、別に手をつながなくても並んで歩くだけの恋人だっているだろうにとマルティナは思うのだ。
「演じきった方がいいだろ? それに手をつないでないと、お前が次に何をしでかすやら」
「私は何もしてないわ。ただもめごとにちょっと手を貸してるだけ」
「ちょっと足をふみいれるどころか、どっぷりつかってるだろ」
ラーシュの言葉は最もで、マルティナは言葉に詰まる。まだ付き合いは浅いはずなのに、色々と見抜かれてしまっているのだ。
「それで、買いたい物とかあるのか?」
歩きながら問いかけられてマルティナは首を横に振る。マルティナはアデラに付き合って町に出ただけなので、自分は特に欲しいものはないのだ。
「それなら行きたい場所があるから、付き合え」
「どこ?」
「フォンセヌラの滝」
「ベタなデートスポットね」
その滝は、町から少し外れた森の中にある。滝は小さなものなのだが、太陽の加減によっては滝の中に虹が見えるのだ。
町から外れている場所かつ、その森が緩やかな傾斜になっており、上るのにある程度労力を要することから、人の少ない穏やかな場所だ。だからこそ恋人たちの憩いの場所として人気があるのだ。
またフォンセヌラという世話焼きの女神が住んでいて、彼女の化身である虹を見た恋人たちは幸せになれるという言い伝えも残っている。フェリキスの女子生徒にはひそかに支持を得ているその言い伝えだ。
しかしマルティナは本当の由来を知っているため、正直に言って女子生徒達が騒いでいるのを見るのは複雑な気分である。
フォンセヌラは正確には悲しみをつかさどる神であり、その滝の流れる様子が彼女の涙のようだと言われていることからフォンセヌラの滝と呼ばれるようになった。こちらが正しい由来なのだが、人というものはどうしても自分に都合の良い方を信じたくなるものである。
滝は悲壮による涙だと思うより、幸せの兆だと思う方が人々の需要に叶っているということだろう。
「でも、大通り散策のほうが私たちには向いてるんじゃない?」
「そういうベタなところで数少ない生徒に目撃されたほうが、信憑性が高まると思わないか?」
その数少ない生徒がいる保証はないとマルティナは思ったのだが、今日はラーシュに借りがある。彼が望むのならば、行ってみてもいいかもしれない。
「そうね。行きましょ」
相変わらず手はつないだまま、二人は歩いていく。何気ない会話をして、全く知らなかったお互いについてを少しずつ知っていく。二人の関係は嘘であるはずなのに、こういう過程は本物のようで、マルティナは変な気分になった。
「着いた」
「運がいいみたいね」
フォンセヌラの滝。高さは五メートルほどなので、さして大きくはないが、近くで見ればそれなりに迫力がある。
太陽の光がマルティナとラーシュの背中から差し込み、滝の中に虹が生まれる。それは小さな虹だが、多くの少女たちが夢を見たくなるのも分かる気がする。
水の音が心地よく、二人は滝壺の近くにある大きな岩に腰をかけてしばらくの間ぼんやりと滝を見つめていた。
時折風が木々を揺らす。肌に感じる風。そして木の葉が揺れる音が耳を打つ。
「そういえば……ラーシュは風使い?」
風に揺れる自らの髪を無造作に結い上げて、疑問を口にした。
何度かラーシュに助けてもらっているが、いつも彼は風を自由に操っているように見えるのだ。気まぐれと言われる風は、焔や水に比べて数段扱いが難しいとされる。
焔呼びや水呼びはそれなりに安定して力を使えるが、風だけは違う。そして稀に現れる気ままな風を自由に操る人間こそ、風使いと呼ばれるのだ。
「いや……ただの風呼び」
「そのわりには、安定してるのね」
「風は気まぐれだけど、本当に望んでいることには力を貸してくれやすい」
「本当に望んでいること?」
「俺の周りを吹く風は、どうにもお節介が多いみたいでね」
ラーシュは答えているようでこたえていない。どうやらはぐらかされてしまったようだ。しかしなんとなく追及してはいけない気がして、マルティナは押し黙る。
「お前は、水使いだよな」
風が二人の間をすっと潜り抜けていく。きっとこれはラーシュの風だ。ラーシュが妙に確信を持った口調で断定するので、そんな風に現実逃避をしたくなってしまった。
「まあね。どうしてそう思ったの?」
「あの石を濡らすときに、歌わなかったから」
水は水呼びに共鳴する。その共鳴に使用するのが歌である。歌はなんでもいいのだが、水に何を求めるかで曲を変える人が多い。歌は媒体であり、水と自らをつなぐ架け橋になるからだ。
また、水呼びは歌を歌えば基本的に水を呼ぶことが出来る。だが逆に言えばそれは絶対条件ともいえるものなのだ。そして、例外的に水使いは歌なしで水を呼ぶことができる。
「それに、本当は歌えるんだろ? 水を呼ばずに」
「歌えるけど……聞いたでしょう。絶望の歌。ああいう曲なら歌えるわ」
水呼びだと判明すると、まずは無闇に歌わないことを覚えさせられる。そしてその後、歌っても水を呼ばない技術を身に着けるのだ。さして力が強くなければ、少々周りの人間が濡れてしまうくらいで済むのだが、マルティナのように力の強い水使いの場合はそうはいかない。下手をすれば一週間振り続ける雨を呼んでしまうこともあるのだ。
「どうして絶望の歌なら歌えるんだ?」
「水を呼ぶには共鳴が必要なの。絶望してないときに絶望の歌を歌っても、水は来ないの」
言葉にすれば簡単そうだが、案外これが難しい。何せ歌を歌っているときは、しらずと感情をこめてしまったりする。すると簡単に水はやってきてしまう。
まったく共鳴しないというのが難しいのだ。
深い悲しみの詩ならば、比較的容易だが、明るく楽しい歌は共鳴しやすい。それはすなわち水を呼ばないための歌としては難しい。
「でも、お前は歌える」
たいていの人間は、こうやって説明したら納得してくれる。それなのにどうしてこの男はこうも引き下がらないのだろう。
「そして歌うことを望んでる。違うか?」
いつだって、ラーシュの言っていることは正しい。
「どうしてそんなこと……」
たとえ共鳴したとしても、水を呼ばないように努力できるのが水使いなのだ。水呼びと水使いの決定的な違いは、その抑制力にある。
しかしマルティナは怖かった。自らの力の強さを自覚しているからこそ、余計に。
この国の民は風に好かれているのか、他校よりも比較的風呼びが多く、逆に水呼びはとても少ない。だからこそ水呼びに関する誤った知識も多く民間で信じられており、水呼びが歌えば町全体が流されてしまうほどの水を呼んでしまうと本気で信じている人もいるほどだ。
マルティナの力は強い方だが、よほど強く望まない限り町を押し流すほどの濁流を呼び寄せることはできない。
それでもマルティナが水使い、あるいは水呼びだとわかると、マルティナが歌うことを極度に嫌がるきらいがある。
そういう反応をされ続けてきたからこそ、それを押し切ってまで歌うことは怖くてできないのだ。自分の抑制力を証明できるチャンスかもしれないが、もしかすると失敗するかもしれない。
服が多少濡れるくらいならば笑いごとで済まされるが、それで済まない可能性もマルティナの力の大きさだと在りえるのだ。
「楽しそうだった。絶望の歌を歌っていても、歌うことが好きなんだろうなと俺でも分かった」
「俺でもっていうけど、あなたはきっと他人に対していろいろ敏感よね」
「お前が鈍感なだけじゃないのか」
「私は人並みよ!」
「世間の人並みはおそろしくレベルが低いな」
ラーシュは挑発するように笑い、そのあと真剣な表情になってこちらを見た。
「歌ってくれないか? 希望のある曲」
「正気?」
問いかけながら、ラーシュが正気であることはマルティナには良くわかっていた。彼のどこを見れば彼が正気でないなどと思えるのだろう。
「歌ってほしい。マルティナの歌が聴きたい」
「……どうなっても知らないから」
最後の抵抗とばかりにそう言ってみるが、ラーシュはただ静かにうなずいた。
マルティナは一度大きくため息をつき、そして座っていた大きな岩から降りた。ラーシュを背に、滝を見つめて息を吸う。
凛とした歌声が風に乗る。あの日歌ったのとは違う、明るい曲。旅立ちの日を描いたこの歌は、明るい明日を信じて進んでいく希望に満ち溢れた歌だ。
あの時よりも大きな声で、息をたっぷりと使って歌い上げていく。体全体をつかってリズムを取り、全身で感情をこめて歌う。
それと同時に、水を呼ばないことにも集中していた。この感覚は人には説明できない。ただ、呼ばないということにはそれなりのコツがいるのだ。
明るい曲だからだろうか。
あれほど怖かったというのに、すんなり楽しく歌えている自分に驚いていた。やはりマルティナは歌うことが好きで、誰かに自分の詩を聞いてもらえるのが楽しい。
曲の最後の余韻を残して、マルティナは全ての歌詞を完璧に歌い終えた。
それと同時にその場は再び滝と風の音だけの静かな空間に戻る。
「綺麗な歌だな」
ラーシュは穏やかに笑っていた。その笑顔を見た瞬間、マルティナはふとラーシュがとても整った顔立ちであることを思い出した。
「怖くないの? 私が歌うこと」
「怖くない。信じてるから」
「そう……ありがとう。歌わせてくれて」
「こちらこそありがとう。歌ってくれて」
帰り道、二人は無言だった。
学校の敷地内まで戻ってきた二人は、ようやく本来の目的を思い出す。
「手、つなぐか?」
「今さらでしょ」
いつのまにか離してしまっていた手だが、並んで歩く二人の距離は縮まっている。
マルティナはラーシュに一線を踏み越えることを許したのだ。それはマルティナが常に他人に引いている線。普段はけっして男には踏み越えさせることのない線。
「せっかくのチャンスなのに、もったいないことした」
「もったいない?」
「……なんでもない」
時折そんな会話も交えながら、学内を歩き続けていた時だった。
「どうして」
ふいに声をかけられて、振り返るとそこにはしつこい男がいた。どうやらまた来たようだ。
この男がマルティナを見る目は、いつも狂気じみている。この男は危険だとマルティナは直感していた。だからこそ、一度たりともその気のあるそぶりを見せたことはない。そんなそぶりをマルティナが見せることはまずないが、こういう男は一度そうすれば最後、永遠とマルティナに付きまとうだろう。
「どうしてって何が?」
うんざりだという気持ちを隠さずに声に乗せても、しつこい男は近づいてきた。
「本当に好きなのですか?」
信じられない、自分がいるのに。そんな思いが透けて聞こえてきそうな問いかけだ。どうしてそうも思い上ることができるのだろうか。
この男は確かにマルティナを求めているように見える。しかしこの男はおそらく自らの意のままに動くマルティナの姿をした人形を求めている――マルティナはそう感じていた。
「ラーシュのこと? ええ、大好き――」
「――人の女に付きまとわないでくれる?」
この男を早く追いやってしまいたくて、おざなりに口にした告白を遮るようにしてラーシュがマルティナを抱き寄せた。
マルティナは今回ばかりは素直に身を預けた。
その瞬間の男の目にマルティナの背筋が凍る。しかしふいと視線をそらすと、踵を返してその場を去っていく。
「ありがとう」
自然な動作でマルティナはラーシュの腕から抜け出して、礼を言う。
「どういたしまして。俺ではあまり虫除けにならないみたいだな」
二人は再び寮に向かって歩き出す。
半分おどけながらそんなことを言って見せるラーシュに、マルティナは呆れたように息を吐いた。
「あなたで虫除けにならないなんて恐れ多いわ」
学年一の人気者が何を言うのか。そう言う意味を込めて言えば、ラーシュは首をゆるゆると横に振った。
「それでもああいうやつがいるだろ?」
「あんなの稀よ。ほとんどの男は私にもう話しかけてこないわ。みんなラーシュには叶わないと思ってるみたいね」
「役には立ってるのか」
「ええ。とっても。さすが――」
マルティナは言いかけて、人の気配に気づき口を閉じた。
「あれは……」
「ネガティブ君と……あの子……」
とっさにマルティナは木の影に身を隠して様子を窺う。木の向こう側にいるのはあのネガティブ君と、彼に告白した令嬢だった。




