風と水の邂逅
風がマルティナの銀色の髪を揺らした。その風は、理性を奪う石の効力を拡散しうるものであったが、不思議とマルティナは落ち着いていた。
その風をマルティナは知っていたからだ。
「ラーシュ」
彼は少し離れた場所からじっと石を見つめていた。あきらかに自然ではない風が、地面から立ち起こり、石のある机を取り囲むようにして風が壁を作る。
まったく彼はいつからこの状況を見ていたと言うのだろうか。本当にいろんな意味でタイミングが良い男だ。
「誰か、騎士を、呼べ。長くは、保たない」
目は石から話すことなく、余裕なさげにラーシュは言った。その言葉を聞いていた女子生徒達が、慌ててこの場を離れて騎士を探しに行く。
「私たちも探すのを手伝いましょう」
その様子を見ていたアデラも、女子生徒たちの向かった方角とは違う方角を指して言う。
この場所は人通りが多い。騎士を見つけるのが早いか、彼の力が尽きるのが早いか。
アデラの言い分ももっともだが、マルティナはそれよりも効率良くできる手段を持っている。ラーシュがためらいなく力を使っていると言うのに、マルティナがそれを隠すのはラーシュに対して失礼になるのではないか。そもそもマルティナの不注意が生んだ結果なのだ。
「呼ぶわ。ここからね」
「ここから? まさか……」
「ええ」
マルティナは十歩ほど歩き、石のある場所から遠ざかる。そして一度大きく息を吸った。
「おい、何を……」
石に集中しながらも、マルティナがすることに不安を覚えたのか、ラーシュが声を上げる。しかしマルティナはそれを無視した。そして大きく吸った息を吐き出すように歌い始めた。
マルティナが選んだ曲は、遠い地へ戦いに行った恋人に告げる恋の詩だ。恋人を待つ一人の女性。待っている間も一途に恋人を想いつづけ、彼女は明るく歌を歌う。まっすぐな愛情と、恋人が必ず帰ってくると言う信頼。しかしながらその中に一抹の不安と、底なしの絶望が織り交ざる。
その歌は町中に響き渡り、帰ってきた恋人はその歌を頼りに女性の元へたどり着く。二人の邂逅はなんと感動的なものだろうか。
水呼びは水と歌の両方と共感することが大切である。
今マルティナが待っているのは恋人ではないが、騎士が来るか来ないか、そして彼は間に合うかいなか。その緊張と期待は歌の中の女性と共通する。
水に伝えたい思いを託し、高らかにそして楽しげに歌い上げるマルティナの歌声は、その場にいた多くの人々の足を止めた。
マルティナが歌の序盤を歌いきった時だった。
きらりと揺らめくものがマルティナの周りに立ち上がった。それは細く、そして大量の水の雫。それらは天高く舞い上がり、私はここにいるよとばかりに太陽の光を浴びて輝いた。世の常とは逆行して、上り詰めていくその水の様子は、おそらく遠くからも良く見えることだろう。水によって生み出されたうねる柱は永遠と空へと続いているのだ。
「なるほどな」
いかなければ。
そんな気持ちにさせられるこの歌は、聞いている者はもちろん、空気中の水を伝ってこの町全体へのメッセージとして届けられる。
「あそこだ!」
歌が終盤に差し掛かったころ、蹄の音を響かせて数名の騎士がその場にたどり着いた。 それを見たマルティナは歌は途中だったが、歌うのを止めた。
すると今まで立ち上っていた永遠に続く水の柱は、急に支えを失ったかのようにさらさらと崩れ落ちていく。立ち上っていくときとは逆に、今度は自然の流れに従て落ちていく雫は、しかしながらほとんど空気にまぎれてしまい地面までたどり着くことはない。
最後の一滴だけが、マルティナの足元にぽつりと落ちた。
「そこだな」
数名の騎士はラーシュが作る風の壁の中にある石たちを見つけると、ラーシュに目くばせをしてラーシュの風を止めさせた。
それと同時に二人の騎士が大きな布を机全体をすっぽりと覆うようにかぶせ、一人が火のついたマッチをその布にむかって投げた。
すると布の中で何かがはじけるような音がして、布の燃えた部分が奇妙な紫色に変わっていく。
「大丈夫か」
その様子をぼんやりと見つめていたマルティナは、いつのまにかラーシュが隣に立っていたことに気づいていなかった。
「大丈夫って何が?」
「お前な……!」
「君たち。ちょっといいかな」
ラーシュは何か言いたげだったが、騎士が状況の説明を求めてきたのでそれ以上喋ることはなかった。
マルティナとアデラ、それからいつのまにか戻ってきていたフェリキスの数名の女子生徒たちで騎士に状況を説明する。
そして一通りの流れを説明し終えたあと、マルティナは一歩前に進み出た。
「ここまで大騒ぎになったのは、私の不用意な行動のせいでもあります。申し訳ありませんでした」
マルティナがもう少し慎重に行動していれば、あの老婆がこの危険な石に水をぶっかけるなどという暴挙には走らなかったはずだ。
もう少しうまくやれば、老婆の逃走を防げたかもしれない。
「マルティナ様は悪くありませんわ!」
「そうです。私達、マルティナ様がいらっしゃらなければ何も知らずにあの石を買ってしまうところでした」
女子生徒たちはマルティナを庇ってくれるが、本来なら彼女たちも被害者と言ってもいい。もしラーシュが現れなければと思うと、ぞっとする。
むしろ責めてくれたほうが楽だと言うのに、庇われてしまってはいたたまれない。アデラの方を見ると、呆れたような感心したような顔をしていて、ラーシュの方はといえば、女子生徒たちを驚いた様子で見つめている。
「軽率だった……そう反省できるなら問題ない。それに今回の件では非常に感謝している。これからは何かあれば騎士団の誰かに助けを求めてくれればそれでいい」
騎士の一人がマルティナと女子生徒達を落ち着かせるように穏やかな口調でそう言った。彼女たちはマルティナが咎められることがなかったことに安堵しているように見えた。
「一つ聞きたいんだが、どうして君はあれが媚薬だと思ったんだ? それも、水がなければただの石だというのに」
「実は……最近、学内で場をわきまえないカップルが異常に増えているんです。あの石は安価で、そして常に身に着けるように老婆は進めていました。学生こそそういうものを信じて律儀に身に着けそうだと思われませんか? 今まで露見しなかっただけで、実はすでに学内に持ち込まれている気がしてなりません」
「フェリキスに! それはまずいな。早急に調査するよう呼びかける」
「お願いします」
全ての事情を話し終えると、騎士たちは後始末をしてその場から去っていく。騎士たちがいたときは立ち止まる人も多かったが、すでに大通りはいつも通りの人の流れに戻っていた。
「ラーシュ、今回は本当にありがとう――」
騎士たちを見送ったあと、振り返りざまにラーシュの方を見ると、左腕を掴まれてそのままラーシュの方へ引き寄せられる。
まさかここで演技タイムに入ると思わなかったマルティナは、慌ててラーシュに言う。
「アデラは事情を知ってるわよ」
「他のやつらもいるだろ?」
「あ……いや、そうだけど」
どうやら離してくれる気はないようだ。こうして抱きしめられるのは二回目だが、さすがに人目がこんなに近くにあると恥ずかしいものだ。女子生徒達が嬉しそうになにやらこそこそ話しているので、なおさら。
「マルティナ」
名前を呼びながら、ラーシュは少しだけ体を離してマルティナの目を見た。深い緑色の瞳の中に、自分の姿が映っている。
「頼むから、無茶するなら俺がいるときにしてくれ」
「無茶って……今回は確かに軽率だったけど、いつもは別に無茶じゃない」
「じゃあ、もめごとに首を突っ込むなら、俺も巻き込め。気が気じゃない」
「どうし――あ、じゃなくて、ありがとう」
ラーシュの声があまりにも真剣そのものなので、マルティナはついうっかり真面目に返答しそうになってしまった。しかし良く考えると、これは恋人を心配しているそぶりだと気づき、返答を変える。
恋人が恋人を心配するのはあたりまえなので、ここでどうしてと言ってしまっては、事情を知らない女子生徒たちが困惑するだろう。
文武両道で見目も良く、地位も高くて演技力も高い。
まったくラーシュとは恐ろしい男である。
「もう、大丈夫だから」
ラーシュの演技を無駄にするわけにはいかないと、マルティナも恋人同時に相応しいであろう笑みを浮かべて、とんとんと彼の腕を叩く。
するとラーシュは少し渋い顔をした後、すっと腕の力を緩めてマルティナを解放してくれた。
「あの、本当にありがとうございました!」
「お二人の仲の良いところを見れて良かったです」
「では私たちはこれで」
ラーシュとマルティナが離れた瞬間、話しかけるのは今しかないとばかりに女子生徒たちがお礼を告げ、そして立ち去っていく。
もしかして彼女たちはずっと話しかけるタイミングを見計らっていたのだろうか。だとすると、こんな茶番劇に付き合わせてしまって非常に申し訳ない。
「お前……女子からも人気あるのな」
「人気? ラーシュのが女子からの人気はあると思うけど」
ラーシュの言葉の意味がつかめずにそう返すと、アデラが会話に加わってきた。
「マルティナはいつでも面倒事を放っておけないから、結果的に味方が増えてしまうのよ」
「なるほどね。それで懸念してた被害にも合ってないのか」
「懸念してた……ということは、ずっと見守ってたのかしら?」
「どうやらそういうことの察しは、どこかの誰かとは比べ物にならないくらい良いみたいだな」
「認めるの?」
「認めるから協力してくれ」
「いいわよ。楽しそうですもの」
途中からマルティナは話の内容について行けなくなったが、二人の中ではどうやらしっかりと通じ合っている者があるらしい。
アデラは楽しそうに笑い、ラーシュはなぜか少し疲れた表情で肩をすくめていた。
「ねえマルティナ」
「何?」
「私、やっぱり疲れたから帰ります」
アデラのその言葉で、そもそもどうしてアデラとマルティナが町に出てきたのかを思い出す。そう言えば彼女が何か買いたいものがあるといって町に来たのだった。しかし疲れてしまったのなら仕方がない。その原因の一端はおそらくマルティナが首をつっこんだことにあるのだろう。
「そう? じゃあ――」
「――マルティナはせっかくだから、ラーシュとデートしてらっしゃいな。付き合い始めということになっているのだから、そういうことをしないと信憑性がなくなるわ」




