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嘘だらけの契約恋愛  作者: 如月あい


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希望を呼ぶ風

 マルティナは動くことが出来なかった。弱っている心は確かに人のぬくもりを求めていて、驚くほどにラーシュの腕の中は居心地がよかったからである。

 しかしふと我に返り、あわててラーシュの腕から抜け出そうともがいた。しかし彼はマルティナを離すことなく、むしろ抱きしめる腕の力を強めた。

「ちょっと……! これは契約外じゃ……」

「……人の気配がした、気がする。マルティナが言っただろ? 関係を広める効果があるなら、ハグは認めるって」

「それは、そうだけど」

 本当に人の気配がしたのだろうか。自分のことでいっぱいいっぱいだっため、正直彼の言い分が本当かは分からない。

 ただラーシュがいいと言うならば、しばらくこのままでいたかった。この体勢はマルティナを落ち着かせてくれるのだ。

「こういうのは多数の前でやらなきゃ意味がないのよ」

「かもな」

 こうやって離れるための理由を提示するのに、ラーシュは一向に離す気がないようだ。そしてマルティナもまた、彼の腕を振り払えずにいる。

「貴族と言う位に俺たちは多大な恩恵を受けてる。たぶん、本当は文句なんて言っちゃいけないんだろうとも」

「そうね」

「それでも、自分の価値がそれしかないと思うのは辛いよな」

 やさしく頭の上にラーシュの片手が置かれた。そして彼の手は髪をなでるように滑り落ちていき、再び腰へと当てられる。

 ラーシュもまたマルティナと同じ悩みを抱えているのかもしれない。だからこそ、契約の相手をマルティナにしたのかもしれない。

 まるでお互いの傷をなめ合っているような関係だが、マルティナは案外この関係が気に入っていた。

「もう、誰もいないでしょ」

 そう言って先ほどよりも強くラーシュの胸を手で押し返すと、彼はようやく腕を緩めた。 深緑の瞳が物言いたげにこちらを見ている。

「帰りましょ」

「ああ」

  





 次の日、親友アデラの目を見て、彼女に対してはもう嘘をつけないことを悟った。

「今日は学校中が大騒ぎね。ラーシュがあなたを抱きしめていたっていう」

「それ、昨日までにも流れてた噂よね」

「今度は目撃者がしっかりいるんですもの」

「今まではみんな目撃者がいなくても噂を流していたのね」

 まだ昼前だというのに、どうして昨日の放課後の話が学校中の噂になっているのか。それはこの学校が全寮制で、夕食はたいていの生徒が食堂を利用するからであろう。これは想像でしかないが、おそらく学食でご丁寧にも吹聴して回った目撃者がいるのだ。

 昨日はあの後部屋からでることなく眠ってしまったので、まさかこんなに大騒ぎになっているとは思いもよらなかった。

 朝からすべてを話せと言わんばかりのアデラと、教室に入るなり羨望と好奇の視線にさらされて、しかし誰も正面切って質問にはこない状況にすっかりマルティナ疲弊していた。

 そして今、ようやく二人は昼食をとりに食堂に来ているのである。

 食堂でもやはりぶしつけな視線を浴びせられたが、さすがにあきらめて開き直ることに決めた。そもそもあのラーシュと恋人の振りをするならば、こういうことに対する覚悟は持ってしかるべきだったのである。

 それに昨日のラーシュの言葉が正しかったことも実感できた。彼はやはり誰かの視線を感じたからあの場でマルティナを抱きしめたのだ。あの行動はマルティナをなぐさめることが主体ではなく、誰かに見せつけて二人の関係性に信憑性を持たせるついでに、マルティナを慰めてくれたのだろう。

「おはよう、マルティナ」

 さきほどまでざわめいていた食堂が、一気に静まり返る。どれほどの影響力を持っているのだと末恐ろしく思いながらも、マルティナは当然といった様子を装って優雅に振り返った。

「おはよう、ラーシュ」

「今日はより一段ときれいだね」

 にっこりとほほえむ黒髪の美青年は、周囲で息をひそめていた女子生徒達を一瞬でノックアウトした。美しいとは罪なものである。なによりラーシュ・レクセルは誰の者にもならない孤高の王子だった。それが今は優しい微笑みを浮かべて最愛(・・)の恋人を見つめているのである。

「ありがとう」

 マルティナはそれをさも当然とばかりに微笑んで受け止めた。そして内心でラーシュの演技力に感心しながら、一歩ラーシュに近づいた。

 そして背伸びをしてラーシュの耳元に顔を寄せると、妖艶な微笑みをたたえながら小さな声で言った。

「あなたの計算通りね。流石だわ」

 するとラーシュが不自然に動きを止めた。

 しかしそれを気にしてマルティナが不振に思うよりも先に、さきほどラーシュの微笑みによって天上に舞い上がっていた女子生徒たちが再び騒ぎ始めた。

 知らない人から見れば、おそらくマルティナが愛をささやいたように見えただろう。実際は契約恋愛に関するたくらみがうまく行ったことに対する祝辞だったのだが。

「これからアデラと昼食を食べるの。だからまたあとでね」

 背伸びだけを止めて、お互いの体が触れそうな距離でラーシュを見上げるようにして、にっこりと微笑む。こころなしか黄色い悲鳴が聞こえた気がする。ラーシュは何もしていないのになぜだろうか。

「うん――」

 ラーシュは人好きのする愛想のよい笑顔を浮かべて、そしてごく自然な動作でマルティナの髪を掬い上げてキスをした。

 反射で飛びのきそうになった体をどうにか抑えて、顔の微笑みを保ったまま小さな声で問う。

「ねえ、やりすぎでしょ。これじゃバカップルの称号をつけられるじゃない」

 演技はとことんやりたいと思ったのはマルティナの方だったが、どう考えてもラーシュが悪乗りしているようにしか思えない。

「そうか? そうは思わないけど。面白いだろ」

 案の定、面白いという本音を漏らしたラーシュは、周りにも聞こえるように後でね、と言い残しその場を去ったのだった。

「マルティナ?」

 アデラの存在をすっかり忘れていたマルティナは、彼女に話しかけられて初めて思い出した。

「わかった。わかったから、話すからとりあえず食べながらね」

 そうして席につき、数日前の一連の流れを全て話した。

 正直に言って、マルティナはアデラの反応が怖かった。今まで男を振り続けていたマルティナが恋人を作ったことで、アデラは喜んでくれていたように思うのだ。だからこそ、それが本物ではなく、ただお互いの利益のための契約だと知ったら、彼女はどう思うだろうか。

 しかし、そんな不安を抱えながら話を終えたマルティナは、アデラが存外楽しそうな笑みを浮かべていることに、安堵と共に疑念を感じた。

「いいと思いますわ。相手がラーシュ・レクセルなら、私も賛成です」

 昨日とはほぼ反対のことをいうアデラに、マルティナが何も言えずにいたら、アデラは楽しそうに笑いながら付け加えた。

「さきほどのやりとりを見ていて思いましたの。きっと彼なら上手くやってくださるわ」

 どうやら先ほどの小声でのやり取りを聞いていたらしい。確かにラーシュは当初の契約通り上手くやってくれている。時折契約に関係ないのではという行動もとるが、そこは単に彼がお人よしであるだけだろう。

 マルティナはアデラが異様に楽しそうに笑っているのを気のせいだと思うことにした。おそらくなにかの理由があるのだが、彼女もマルティナと同じく、話す気になった時にしか話してくれないからである。






 放課後、アデラが買い物をしたいと言うので、寮には戻らず町に出てきていた。町と言っても、この町の収入を支えるのはフェリキス学園の生徒である。そのため他の町と違い比較的治安も良く、学生が必要とするものが多く取り揃えられていた。

「あそこの”島”何をしているのかしら」

 新書が入荷したという本屋の張り紙に目を引かれていたマルティナは、アデラの言葉で視線を”島”へと移す。

 ”島”というのは、行商人たちの屋台のことであり、定期的に人も場所も変わる。大通りの流れを寸断するかのように不規則にぽつりぽつりと現れるそれを、このあたりの人間は”島”と呼んでいた。

「あれ、フェリキスの子たちね」

 ”島”に群がる人のうち、数人の女子生徒に見覚えがあった。彼女たちは何かにひどく興味をしめしており、熱心に品定めをしている。

「気になるのね?」

「まあ……」

「いつになったらマルティナは首をつっこむのをやめてくれるのかしら」

「ありがとう」

 呆れたように首をすくめながらも、ちゃんと”島”へと足を向けてくれる親友に礼を言い、二人は静かにその場へ近づいていく。

 その”島”の主はかなり高齢の女性に見えた。目深に紺のフードをかぶり、どことなく怪しげな占い師のような格好をしているため、正確な年齢は分からない。しかしながらフードから零れ落ちている髪は白髪であるし、彼女の手はたくさんの皺が刻まれごつごつとしている。

 少なくとも若くはないだろう。

 老婆の足元では黒い猫が、毛づくろいをしながらこちらをじっと見つめていた。

「これは、肌身離さず持っているだけで憧れの人に近づける石だよ。気休めと思うかもしれないが、試してみる価値はあるぐらいの値段だろう?」

 マルティナとアデラを含め、数人の新たな客に向かって、老婆は商品の売り込みをして見せた。すると新たな客がにぎわっている輪の中に入る。

 もともといた女子生徒たちはマルティナとアデラに気づくと、こちらに挨拶をしてから、再び商品の品定めに戻る。

「放っておいても大丈夫じゃないかしら。高くもないし、あの人も効果の信憑性に関しては嘘をついている様子もないもの」

 老婆が売っているのは、大きさが多少まばらな石だった。ごつごつとしているが、きちんと角はとられているらしい。ベースは濃い灰色の半透明の石だが、ところどころ赤い光が石の中ではじける。見た目は怪しいものの、確かに値段は安く、そしてなにより老婆自身が気休めかもしれないことを口にしている。

 商売方法としてはさして悪辣ではない。いつもだったらマルティナは何も言わずにその場を去っただろう。

 しかしマルティナは人ごみをかき分けて、老婆の前に進み出た。

「おばあさん。これ、一ついただいても?」

「マルティナ!?」

 焦ったようなアデラの声が聞こえるが、マルティナはすでにお金を老婆に渡していた。そして一度振り返り、アデラにウィンクをした。するとアデラはどうやらマルティナに意図があると気づいたらしい、あきれたように肩をすくめてすっと集団から一歩身を引いた。

「好きなのを一つおとり」

「どれにしようかしら……」

 石に悩んでいるふりをしながら、マルティナは机の下で伸びをしている猫に視線を一度だけやる。

「まあ、マルティナ様もお買い求めになってるわ。ラーシュ様とより一層幸せになれるようにということかしら」

「今でも十分にお幸せそうだけれど、やはり相手がラーシュ様では、お守りがほしくなる気持ちもわかりますわ」

 後ろから見当違いのささやきが聞こえてくるが、今はそれを気にしている場合ではなかった。

 マルティナはさりげなくまわりを見渡した。今この場にいる客はざっと十名ほど。そのうち半分はフェリキス学院の生徒だ。そしてさらに大通りにも目をむける。

 残念ながら巡回騎士はいないようだ。

 タイミングとしてはあまりよくないかもしれないが、周りに怪しげな集団が特にいなそうなので、おそらく老婆に仲間はいないだろう。

「これにするわ」

「ありがとねお嬢ちゃん」

 すでにお金をはらっているので、マルティナがそう言って石を一つとれば、老婆はただ礼を言って注意をマルティナから反らした。

「かわいい猫ですね。抱き上げても?」

「猫が好きなのかい? いいよ。石を食べられないようにおし」

 老婆はフードを押えながら空を見上げてから、マルティナに許可を出す。

 マルティナは猫を抱き上げて、石が置いてある机から少し離れると、ふたたび猫を地面に降ろした。しかし猫が動き始めるよりも先に猫の鼻の近くに買った石を近づける。

「かわいいわね……」

 そういいながら猫を撫でた。老婆の顔は良く見えないが、なんとなくこちらに視線を向けている気配はある。

 何かが足りない。マルティナは一度目を閉じて、今までの行動を思い返してみる。

 老婆はさきほど空を見た。

 今日は雲一つない快晴で、()など降ることは万に一つもなさそうだ。

「なるほどね」

 つぶやいたマルティナは、石を握っている手に集中した。するとまるで手が泉になったかのように少なくない量の水が、手のひらから地面へと滑り落ちた。

 そしてしっとりと石を濡らした水は、手から零れ落ち、地面に寝そべっていた猫の顔の前に落ちた。

「お嬢ちゃん!」

 老婆の切羽詰まった声。それと同時に、石を持っていた手に鋭い痛みが走る。さきほどまでおとなしくしていた猫が、急に襲い掛かってきたからだ。

 引っかかれて血ににじんだ手を振るとついでに、石を地面にそっと投げる。すると猫は気の狂ったように石を追いかけまわし、するどいうなり声を上げだした。

「さて……これはどういうこと?」

 老婆は立ち上がっていた。フードはすでにずり落ちて、顔が見えてしまっている。深いしわが刻まれている顔に、鋭く光る赤い目。

 マルティナは立ち上がり石の並んだ机に近づいた。そして怪我をしていない方の手で石を持つと、それを老婆の前に掲げて不敵に微笑んだ。

「これ、媚薬でしょう? それも、水に濡れると効果を発揮する特殊なもの」

「ちっ」

 すると老婆はその見た目からは想像のつかない素早さで屈むと何かを手に再び立ち上がった。

 このまま逃がすわけにはいかないと老婆に近づこうとしたマルティナは、老婆が手に持っているものに気づいて息をのんだ。

「やめなさい!」

「ばかな子だねっ」

 老婆は手に持っていたものを机の上に置かれていた数十もの石に向かって投げつけた。

 それは一瞬の出来事だった。

 老婆の手から離れたものは、きらりと太陽の光を受けて輝いた。甲高い音と共にはじけ飛んだのは、鋭いガラス片と、透明な水。

 美しく輝く水はその場にあった石を全て濡らしていく。

「それはただの媚薬じゃない。嗅いだもののあらゆる理性を奪い去り、快楽へみちびく魔法の石さ」

 老婆の勝ち誇ったような声が聞こえると同時に、マルティナは左手で鼻を覆う。

 たった一つの石で猫があれだけ狂ったというのに、この量の石が大通りのど真ん中で効力を発揮しているのは非常にまずい。

 マルティナの全身が燃えるように熱くなる。考えなければ。水を呼ぶ自らの力は、この場では何の役にもたたない。


「マルティナ」

 

 ふと自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。

 それと同時に、一陣の風がマルティナの銀髪をそっと揺らした。

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