番外編。雨降る日に①
新連載、愚鈍姫と関わる部分の番外編です。
喧嘩しつつも甘い二人をお楽しみくださいませ。
石畳が雨によって濃い色へと変化していく。その水は懸命に地下へ潜り込もうとするが、その隙をみつけられなかった水たちは小さな川となって緩やかに傾斜の下へと流れていった。
そんな中、自分が濡れるのも構わないと言った様子で歩く少年がいた。彼の服には血がにじんでおり、すれ違った人々はその様子に目を瞠るが、進んで関わろうとはしなかった。彼の銀色の髪は雨で濡れてボリュームを失っており、空色の瞳はどこか狂気を湛えているようであった。
そして人々が彼を遠巻きにする一番の理由は、この雨の中、何故か彼の服だけは濡れずに乾いたままであるからだ。
彼はしばらく放置されていたが、勇敢にも一人の女性が彼を呼び止めた。
「ねえ」
そんな彼に声をかけたのは、銀色の長い髪をした女性だった。少年は彼女の姿を見ると、少しだけ足を止め、ひどく驚いた顔をした。しかしながら、すぐに首を横に振ると、彼女を無視して一歩踏み出した。
「……あなたのお母様も銀髪だったかしら?」
「!」
少年の動きは素早かった。
いつのまにか取り出した短剣を彼女の首元に突き付け、驚いて目を丸くする彼女に鋭い声で言った。
「何を知ってる?」
「知らないわよ。ただあなた、私を見て反応したし、髪は私と同じで銀色じゃない」
彼女は不思議なほど落ち着いていた。首元に剣をつきつけられているというのに、まったく焦った様子がない。少年がそのことに気づいていぶかしんでいると、少年の後ろから声が聞こえた。
「このバカが!」
それは女性に向かって発せられたものだったようだ。
そして次の瞬間、どこかともなく吹いた強い風が、少年の体を地面に転がせた。その衝撃で薄皮一枚切れてしまった彼女の首元から血がにじみ出たのが分かったが、ゆがむ視界の中、少年は立ち上がることができない。
「ちょっと、やりすぎでしょう!」
「お前がそんなことに巻き込まれるのが悪い!」
「もう! ねえ、ちょっと大丈夫?」
長い銀色の女性が薄らぐ視界に映りこむ。
「かあ、さん……」
誰かが何かを叫んでいたが、そこで少年の意識は途切れたのだった。
暗い闇の中を彷徨う少年に、どこかで聞いたことのあるような言い争いがかすかに届いてきた。
「騎士団に突き出せっていうの!?」
「こいつはズドラジルの生き残りだ! それならこいつには領地を守る義務がある!」
「一家を殺害した犯人は見つかっていないのよ? それに、どう考えたってブレイハがあやしいじゃない! あの家が首謀したのなら、この子はまた命を狙われるわ!」
夢と現の境にいながらも、少年は彼らの話が、自分の家族の仇についてだと分かった。そしてそう理解すると、二人の声は不思議なほど明瞭になった。
「あの家が白だとは言わない。ただ、今は捕まえられるだけの証拠がない。つまりこいつの家族を殺した犯人かどうかも証明はできない!」
「どうして? あなたいつもだったら助けるじゃない! 確かに私は厄介事を引き寄せるけど、いつだって協力してくれるでしょう?」
「こいつはだめだ! お前に剣を突きつけたんだぞ! 首に怪我をするなんて! 一歩間違えたら大惨事だ!」
「じゃあ何? ラーシュはこの子が私を害そうとしたから、助けてあげないなんて言ってるの? たったそれだけの理由で?」
「たったそれだけの理由? 馬鹿じゃないのか! どうしてお前はそんなに無鉄砲なんだ! もっと自分を大切にしろ! お前はもう母親なんだぞ!」
少年は夫婦の容赦ない怒鳴り合いの喧嘩で完全に覚醒していた。しかしながら、今、起きているという宣言をすることは非常に難しかった。
少年の両親は温厚だったため、このような激しい夫婦喧嘩は初めて見るということも、彼の動きを封じた原因の一つだろう。起きているとばれないように目をつむったふりをしながらも、薄目を開けて自分がいる場所を確認する。
どうやらここは夫婦の住む家の一室であるようだ。天井がかなり高い位置にあるので、おそらくこの屋敷は大きいはずだ。
「私だって死なないように気を付けてるわ! さっきだって、ラーシュがいたから大丈夫だと思ったのよ! いつも信頼しろって言うじゃない」
「俺はそんな形での信頼は望んでない! なんでわざわざ自分から相手の懐に飛び込む真似をするんだ!」
完全に意識が覚醒した状態でこの夫婦喧嘩を聞いてみると、どなりあっている割に、言っている内容がどこかかゆくなるような甘い発言がちらほらと見受けられる。
ラーシュと呼ばれた男のほうは、妻が心配で仕方がないようだったし、女性の方も彼を信用しているからこそ、さきほどのような行動に出たようだ。
「あの……」
「何!」
「なんだ!?」
ためらいながらも身を起こすと、二人はそろって反応した。しかしながら、それをお互いの発言だととらえているらしく、まだ少年の方を向いてはいなかった。
「すみませんでした」
女性の首に巻かれている包帯を見て、少年が謝ると、今度は二人がいっせいにこちらを向いた。
「あら! 目が覚めたのね」
「目が覚めたんだな!」
この夫婦は漫才のように同じタイミングで似たような発言をすると、見事に対照的な表情で少年に話しかけた。
「具合はどう?」
女性は自分が傷つけられたことを忘れてしまったかのように、優しい笑みをこちらに向けた。
しかしこうしてみてみると、意識が途切れる寸前に、母親と混同したのが不思議なくらい、美しく若い女性だ。母親は愛嬌のある顔立ちではあったが、彼女のような隙のない美しさは持っていなかった。
「何故あんなことをした!」
一方、ラーシュと呼ばれていた黒髪の男性は、鬼の形相でこちらを睨みつけていた。
「家族を殺した犯人の……手がかりを知りたかったんです。僕が誰か、ご存知ですね?」
「……ああ。荷物を調べさせてもらった」
ラーシュは先ほどよりは少しだけ怒りを収めて、それでも堅い表情でそう返してきた。
「ごめんなさいね。うるさい男で。私はマルティナ。マルティナ・レクセルよ」
「レクセル……? 侯爵夫人ですか?」
「ええ。一応はね」
「ということは……」
少年はさっと血の気が引く思いだった。レクセル侯爵家といえば、少年の実家など足元にも及ばないほどの名家だ。
いくらやさぐれていたとはいえ、その侯爵夫人に剣を突きつけたのだと思うと、自分の無謀さに震え上がった。
「ラーシュ・レクセル。一応、侯爵よ。まだ爵位を引き継いだばかりの新米だけど」
そんな少年の様子をみて、マルティナは茶目っ気たっぷりにそう言った。
どうやら彼女は本当に少年の行動を気にしていないようだった。
「余計なことをいうな!」
「あら、本当のことでしょう?」
「とにかく、武器は没収させてもらった。これからのことだが――」
「――しばらく家にいていいわ。名前は?」
「レオ・ズドラジルです」
「おい! 俺はそんなこと認めないぞ!」
ラーシュがそう叫んだ瞬間だった。どこからともなく降ってきた大量の水がラーシュに襲い掛かった。彼はどうやら水を飲んでしまったらしく、酷くむせている。
「っう……けほっ」
「私だってそんな横暴認めないわ。少しは頭が冷えたでしょう」
「……ったく……それは反則だろ」
どうやら彼女が水を呼んだということはわかった。しかし全くもって歌っていた気配はない。
「私は水使いなの。あなたは焔使いよね? でももう少し感情をコントロールしなくっちゃ。雨だからよかったけれど、そうじゃなかったら火だるまよ」
「……使ってましたか?」
「気づいてなかったの? あんなに雨が降ってても、あなたの服は濡れてなかったもの」
あの短い時間で彼女はそんなことまで見ていたというのか。レオは感心とともに、彼女の心の広さに感謝した。
「とにかく、しばらくはここにいなさい。身の振り方を考えるのは、もっと後でも遅くないわ」
「……部屋を用意させるが、少しでも妙な真似をしたら、たたき出すからな!」
どうやら彼もレオを置いてくれる気になったらしい。もちろんまだ信頼はされていないようだが、マルティナが許すという限りは、レオはここにはいられるだろう。
もう誰も信用すまいと思っていたレオは、自分がいつのまにか、あっさりとこの夫婦を信用していることに気づいて驚いた。
「……お世話になります」
「ふふ。素直な子は好きよ」
「なっ……! マルティナ! 俺にだって言わないくせに!」
「え? 何のこと?」
しかし同時に、この終始のろけているような夫婦を信用しないというのはひどく難しいことだと、レオは実感したのだった。




