番外編。その歌声が
本編の後のお話
「あなたはなかなかの策士ね」
マルティナの親友であるアデラは、楽しそうに言う。
「全く相手に好意が伝わらなかったみたいだけどな」
ラーシュはためいきをつきながら言った。マルティナなしでアデラと話すのは初めてだ。別に待ち合わせをしていたわけではないのだが、勉強しに来ていたカフェで、たまたま彼女が一人でやってきたのだ。
同じく勉強しに来たらしい彼女がこの席を選んだ目的は、おそらくマルティナに関することだろう。アデラには貸しがあるので、いったい何処まで話すことになるのか恐ろしい。
「気づいてはいたと思うけれど。でもきっと自信がなくて、期待したくなかったのではないかしら」
「期待したくなかった?」
「あの子がどうして面倒ごとに首を突っ込みたがるかご存知?」
ラーシュは記憶をたどるが、彼女の行動の理由は分からない。そもそも男嫌いと聞いていたのに、もめごとの中心が男であっても口を挟むのだ。それは、ネガティブな少年の件で証明されている。
「臆病なの。自分に自信がなくて、自分という存在を肯定したいがために、あの子は人を助けるのよ。あの子自身が言っていたわ。私は私のためだけに人を助けるの、と。あの見た目と爵位があるから、よくない虫が多すぎたのね。そしてなにより、彼女が最も愛する歌うという行為を誰しも忌避したというのもあるのでしょうけれど」
「歌? 俺は歌が最初だったのに」
反射的にそう言ってから、ラーシュは後悔した。アデラが目をらんらんと輝かせてこちらを見ていたからだ、どうやら自らネタを提供してしまったらしい。
「どうして好きになったのかしら? きっかけは歌なの?」
「ああ、歌だよ」
ラーシュはためいきををついてから、渋々話し出す。
あの日は晴れだった。学校が終わって、俺はなんとなく街に出た。天気もいいから散歩したくなったんだろうな。中心街抜けて、森の近くを歩いていた時だった。
歌が聞こえたんだ。悲しい歌だった。あんなに天気がいい日にこんな歌を歌うなんて、失恋でもしたんだろうって思った。でもその歌声があまりにも綺麗で、つい誰が歌ってるのか確かめたくなった。
歌を頼りに近づいて、俺は驚いたよ。失恋したと思っていた歌い手は、あのマルティナだった。学校の噂で判断するならば、マルティナは失恋からは程遠い人物だったからな。
それに、彼女は失恋したわけでもなく悲しいわけでもないっていうのはすぐに分かった。マルティナは本当に楽しそうだった。楽しそうにのびのびと悲しい歌を歌っていた。
そのアンバランスな歌声と表情は、思っていた以上に俺を惹きつけた。そして好奇心を掻き立てたんだ。こんな天気のいい日に、どうして楽しそうにそんなに悲しい歌を歌うのかってな。
だって普通は楽しい時には明るい歌を歌いたくなるだろう。
だからその日以降、俺はマルティナという人間がどういう人物なのか気にするようになった。気にするようになってみると、マルティナという人間はお綺麗な見かけによらず強かで、お節介で、人を信じられないくせに、寂しがりやらしいということを知った。
その時俺は分かったんだよ。あの歌のアンバランスさはまさに彼女自身だなと。矛盾だらけで、あがいているけれど何かに捕らわれてた。
そしてそれに気づいた時には、もう俺は堕ちてた。彼女の歌を、側で聞きたいと思った。その資格が欲しいと思った。
話し終えたラーシュは、アデラ納得した様子で微笑んでいることに気づいた。
「歌が彼女の強みであり弱みだったわ。誰もが水使いである彼女の歌を恐れたのだから。でも、あなただけは違った。あなただけはマルティナが一番認めて欲しかった歌を、まっさきに受け入れた」
カフェの店員が二人分の紅茶を運んできた。
「ありがとう。親友のああいう顔が見れて嬉しいのよ」
アデラは紅茶に砂糖をいれ、スプーンでかき混ぜる。しかし彼女は紅茶に口はつけずじっとティーカップを見つめている。湯気の立つ紅茶はまだまだ熱いからだろう。
「ねえ。私は猫舌なの。紅茶、冷ましてくれない?」
「ああ。分かった」
アデラの頼みだ。それにそのくらいの小さな風ならきっと大丈夫だ。
そう思ったラーシュは、まったく変わらずに立ち昇る湯気を見て、自身の敗北を悟った。どうやら今日は風にそっぽを向かれているらしい。
「悪いーー」
そう言いかけて、アデラが笑いを噛み殺していることに気づき、ラーシュは憮然とした。
「おい」
「ふふ。ごめんなさい。やっぱりあなた、風呼びね」
「ムラの激しい風呼びだ」
からかわれていることを自覚して、ラーシュは照れ隠しに思っていたより不機嫌そうな声を出してしまった。それがまたアデラに面白そうな顔をさせることになる。そして彼女は何故か急に立ち上がった。
「私はもう行くわ」
「もう行くってどこに?」
立ち上がったアデラに問うと、予想外の方から声が聞こえてきた。
「ラーシュも呼んでたの?」
ラーシュを惹きつけて止まないその声は、どことなしか驚いているようだった。アデラは一度ラーシュの方を見て素早くウインクすると、ラーシュの斜め後ろに立つ彼女に向かって言う。
「そうそう。私は行くわね。マルティナの分の紅茶も頼んでおいたから」
そう言ってからアデラが去ると、マルティナは先ほどまでアデラが座っていた場所に座った。
「ラーシュは知ってたの、私が来ること?」
「いや」
「もうアデラったら……」
マルティナは湯気の立つ紅茶を見つめ、カップをそっと手で包み込んだ。
「まだ熱いから飲めないわね」
「冷ましてほしい?」
きっと今日は調子が悪いに違いない思いながらそんな提案をする。
「できるの?」
「保証はしない」
しかしそんな思いとは反対に、風はあっさりと力を貸してくれた。保証はしないとラーシュが言い切るより先に紅茶の湯気が不自然に揺れて、その後にマルティナの前髪を揺らした。
「すごい、こんなこともできるのね。って、どうしたの?」
無性に恥ずかしくなってばったりと机に伏せたラーシュに、マルティナが心配そうな声をかけてきた。ラーシュとしては、ここまで明確に自分の心が傾いていると自覚していなかったのだが、風が不本意にも自分の本心を教えてくれた。
「大丈夫だ。ただ、俺がお前に惚れすぎて困ってるだけ」
顔を上げながらそういえば、マルティナは目を丸くして、そのあと顔を耳まで赤くした。そして少し怒ったような表情で言う。
「こんなところで、なにそんな恥ずかしいこと言ってるの!」
「契約の時はもっと恥ずかしいこと言ってただろ?」
「あれは演技でしょ!」
「いや俺は本気だったって」
「でも今とは話し方とか別人格じゃない」
本当にマルティナは素直じゃない。あの時好きだと率直に告げて、俺の止まりかけた心臓をショックで復活させたのは誰だったのか。
「悪いって。今度はお前が歌ってる時に言うよ」
「歌い終わってからにして」
口調は素っ気なくとも、どこか嬉しそうにいうマルティナは本当に美しい。
「お前美人だな」
「知ってるわ」
誰にも彼にも言われ続けてきた賛美ではどうやら彼女の心には届かないらしい。
「俺のために明るい歌を歌えよ。服一式水浸しでもいいから」
今度はどうやらマルティナの心に響いたようだ。彼女が嬉しそうに微笑んでそして大きくうなずいた。
「ありがとう。歌を認めてくれて」
「こっちこそありがとう、だな。お前が水使いで良かったよ」
「どういう意味?」
「お前の歌を独り占めできるだろ」
マルティナは再び照れて文句を言うが、ラーシュはそれすら幸せだった。
彼女の歌は俺だけのために。
風使いの俺は、彼女だけの前で。
彼女が歌うことを望む限り、俺は決してそれを妨げたりはしないだろう。たとえ、それによって、大量の水をかぶることになったとしても、だ。




