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嘘だらけの契約恋愛  作者: 如月あい


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始まりは契約から

 物悲しい旋律は、すべてを拒絶しているようだった。その歌詞はただひたすらに絶望する少女の気持ちを歌っていて、聞く者の心を締め付けた。

 なによりその声が、美しくも力強く凛としたその音色が、その歌の悲しみを最大限に引き出しているのだ。

 少女の声は降りやまぬ雨のようにしとしとと聞く者の心を支配していく。

「どうしてその曲なんだ」

 問いかけたのは一人の少年だった。

 癖のない黒髪に深い緑色の瞳。とても整った顔立ちの男だ。

 少女は歌うことを止め、少年をまじまじと観察する。男という存在が面倒であまり好きではない少女も、この少年の名前くらいは知っていた。

「ラーシュ・レクセル。学年一の人気者が私に何か用?」

 ラーシュ・レクセル。レクセル侯爵家の二男で、その身分の高さと顔立ちから、女子生徒の絶大な人気を誇る。しかし彼自身はそれを面倒だと思っているらしく、どの女の子の誘いにも乗らない。

 それがまた女の子たちのハートに火をつけるらしい。

「気高い孤高の花と名高いマルティナ・アルクヴィストに名前を覚えてもらってるとはね」

 ラーシュは自嘲気味に笑って、すこし肩をすくめて見せた。

 マルティナはその様子を見て、この男はやはり自分とどこか似ていると直感する。この男もまた、誰からも見てもらえないのだ。この学校の全ての人間が彼の名を知ると言うのに、この学校の全ての人間が彼のことを知らない。

 マルティナが気高い孤高の花などと呼ばれているのは、多くの男子生徒に告白されてはすべて秒殺で断っているからだ。

「特に用事はないの?」

「いや、ある。でも歌を止めたのがそんなにまずかったか? 水を呼んでいたわけじゃないだろ」

 (みな)呼びと呼ばれる人間がたまに存在する。水呼びはその名の通り水を呼ぶことができる人間で、それと同じような存在として風呼び、(ほむら)呼びというのも存在する。

 十人に一人ぐらいがその三つのうちどれかを呼ぶことのできる呼び人(よびびと)であるので、珍しいと言えば珍しいが、そこまで驚かれるほどのことでもない。

 そのため、あえて自分が呼び人だと言ったり、逆に隠したりする人は少ない。

 マルティナも例に漏れず、自分が水呼びだと、厳密にはそれよりもさらに力の強い水使いだとほとんど明かしたことはなかった。

「私は気持ちよく歌っていたのよ」

「絶望の曲を?」

 明るい曲を歌うのは、難しいのだ。正確に言えば、明るい曲を水を呼ばずに歌うのは難しいのだ。

 しかしそんなことをわざわざ初めて会話をするこの男に教えてやる義理はない。

「歌いたい曲を歌えば、気持ちいい気分になれるでしょ」

「そんなものか」

 そんなものよと言って、マルティナは自分のシルバーブロンドの髪を適当に一つに結った。腰まである髪は気に入ってはいるものの、時折邪魔だなと思ってしまうものでもある。

「ところで、用事がないならまだ歌いたいんだけど」

「用事はある。簡単に言えば提案がある」

「提案?」

 マルティナはラーシュと接点が今までにあったのだろうかと考える。マルティナは男の名前を覚えるのは苦手だが、少なくとも学校でこれだけ目立つ男と関わったことがあれば、記憶に残っているはずなのだ。

「私たちって話したことあった?」

「いや? 俺も噂で知ってただけ」

「なのに、提案?」

 いったいこの男は何を提案しようと言うのだろう。この男に提案されるような事案がさっぱり思いつかなかった。

 マルティナが考えているとラーシュは唐突に手を挙げた。するとふわりとマルティナを包み込む何かを感じた。そしてそれが何か分かるよりも先に、適当に結んだマルティナの髪がするするとゴムから抜けて、背中の方へと流れ落ちていく。

 風だ。

「風呼びなの?」

「まあね」

「風だけじゃなく、風呼びも気まぐれなのね」

 風と水と焔。それぞれには性質があり、扱うときに注意しなければいけない点でもある。代表的なものとしては、風はきまぐれ、水は繊細、焔は豪胆。そんな風に言われている。

 風はきまぐれなので、風呼びに力を貸すか否かも気まぐれ。風を呼ぶ力を持っていても、いつも同じように風を起こせはしないのが彼らの中の常識なのだ。

「気まぐれって?」

「風を呼んでまで私の髪をほどきたかったの?」

 気まぐれで遊んでマルティナの髪をほどいたのだろう。そう思ったのだ。この男はまったくもってつかめない。本当に風のように気まぐれで、放っておけばそのうちどこかへ消えてしまっていそうだ。

「そっちのが似合う」

「……それはどうも」

 しかし、ラーシュは案外真面目な顔をしてそんなことを言ってのけた。外見に関しては称賛され慣れているマルティナだったが、この男にそれを言われるのは、何故か胸が騒いだ。

「それで、提案って?」

 この調子ではラーシュはいつまでたっても本題に入らない。そう直感したマルティナは、答えを急かすように話を戻した。

「ああ……。契約恋愛しない?っていう提案」

「契約恋愛?」

 聞いたことのない単語に、マルティナがおうむ返しをすると、ラーシュはそれは単なる造語だと笑って言った。

「噂が正しいならば、マルティナ・アルクヴィストは言い寄ってくる男たちにうんざりしている。そしてその理由はきっと、あいつらはその美貌と伯爵令嬢という肩書きに群がっているだけだからだ……とマルティナ・アルクヴィストは思っているから」

「それで?」

「俺もいろんな女に言い寄られたり、両親から縁談を持ち込まれたりするのが面倒なんだよ。そして俺は別に好きな女がいるわけでもない。ちなみに――」

「――私もいない。なるほどね。それで契約」

 ラーシュの言いたいことがわかったマルティナは、彼の言葉を遮って一人つぶやく。

 確かに彼の言い分は間違っていないし、この男はどことなく嫌いになれない。馬鹿でもなさそうだし、なにより最高の虫除けになってくれるだろう。

 なぜならこの学校のほとんどの男子生徒は、ラーシュ・レクセルに叶うはずがないと思っているに違いないからだ。

「いいわ。契約って言うのは?」

「別にむずかしいことじゃない。とりあえずしばらくの間、恋人のふりをするってだけだ。デートしたり、手をつないだり……ハグは許容範囲か?」

「ハグは、それが効果的に私たちが付き合っている宣伝になるのなら」

 ラーシュはマルティナの言葉に一瞬きょとんとして、そしてふっと笑った。

「案外乗り気だな」

「演技するって決めたら、とことんやりたいのよ。私は」

 これは上手くすれば、学校を卒業するまで虫除けとして使える可能性があるのだ。もちろんラーシュに学校を卒業するまで恋人の振りをしていてほしいというわけではない。

 ただ、ラーシュとの契約恋愛を本物に見せれば見せるほど、マルティナの理想が高いので男たちは軒並み振られるのだと思わせることができる。そう思わせられるくらいにはラーシュは優良物件だとマルティナでも分かっている。

 それに実際にこの男の中身がどうかはまだわからないが、自分と合わないタイプではないと直感的に分かっている。

「とことんねえ……じゃあ、これは?」

 自分の思考には待っていたマルティナは、ラーシュの深い緑色の瞳に自分の唖然とした姿が映し出されているのを見て現実に引き戻される。

 腰を掴まれ、顎をもちあげられて、この先にされることは一つしかない。

「それは契約違反!」

 慌ててマルティナが腕をつっぱると、ラーシュはあっけなくマルティナから離れた。どうやらもともとキスするつもりはなかったようだ。

「契約の範疇を確かめとかないとな」

 そういって悪びれずに言うラーシュの余裕ぶった態度が、どことなく気に入らない。いつもは自分が男を振り回しているのに、今日は振り回されてばっかりなのだ。

「契約破棄してもいいのよ」

 マルティナはあえて機嫌の悪さを装ってラーシュに背を向ける。するとさきほどまでの余裕はどことやら、ラーシュは慌てた様子で近寄ってマルティナの顔を覗き込むようにして言った。

「悪かったって! 謝るから!」

「……いいわよ。契約成立ね」

 にっと唇をつりあげて笑えば、ラーシュはマルティナの態度が演技だと気づいたらしい。やられたとばかりに舌打ちして、それから首を振って手を差し出してきた。

 マルティナはその手を握ってにっこりと笑う。

「よろしくね。私の大切な恋人さん」

「ラーシュってよべよ」

「じゃあ私のことはマルティナで。フルネームでは長すぎるから」

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