第7章「影溶-中編」
「グレイル・ベンパァー……まさか、‘影溶のベンパァー’…!」
近年、裏業界で著しく名を上げている、暗殺者『グレイル・ベンパァー』。
彼は、『影溶』と称される、自らの姿を影に隠す事の出来る不思議な暗殺術を持ち、ギルドの若手の暗殺者の中ではトップクラスのスキルを持つ者である。
「何故…何故なの!なんで、ギルドの暗殺者がディンさんを!!」
レイスは怒りに震え、大声で叫ぶ。
その様子を見て、グレイルは更に嘲笑する様に薄ら笑いを浮かべた。
「おやおや、暗殺者がそんな大声だしてどうするんだ?屋敷の使用人どもが起きるぞ?」
「使用人は今、眠らせている。ちょっとやそっとじゃ起きないように、深くね」
「ほーう…」
相も変わらず、グレイルは薄ら笑いを絶やさない。
その態度に、レイスの苛立ちは募る。
「ねぇ、なんでなのよ!なんでディンさんを殺したの!?」
「なんでって…なぁ?暗殺者が人を殺す理由。……そりゃあ、そいつが標的だからだよ。それにだ、見るとこお前もそのジジイの暗殺をしなくちゃならねぇようだが、お前は気が進まないらしいな?そんなお前に代わって俺が始末してやったんだ。感謝の一言ぐらい言ったらどうだ?」
「こいつ……ふざけるなぁっ!」
レイスの怒りは頂点に達し、懐よりナイフを引き抜きグレイルに切りかかる。
「ひゅーうッ、熱いねぇ」
力は込もっているも、怒りに任せた攻撃程、隙が生じるものはない。
グレイルは、その場から一歩も動く事なく、上半身を傾け、斬撃を難なくかわし、空を切ったナイフを持つ、完全に伸びきったレイスの右腕にナイフの柄を叩きつける。
「あぐっッ…!」
肘にめり込むように叩かれた打撃は、レイスのか細い腕を叩き折る。
「おお痛そ。御愁傷さん」
まるで、今の攻撃すら完全に他人がやった事…そう思えるぐらいに、他人事の様にグレイルは、激痛に膝をつくレイスに言う。
「う、うぁぁぁぁぁっ!」
神経を逆なでする、グレイルの言葉にレイスは更に憤り、折れていない左手でローブのポケットから、手投げ用の小さなナイフを数本取りだし、それを腹の辺りに水平に投げる。
しかし、グレイルの姿はナイフが当たる直前に雲散霧消し、その後ろの壁に横列をなして突き刺さる。
「影に、溶け…た?」
窓から入る、朧な月光。
それは、レイスに視界を与えもするが、部屋の家具から伸びる影をも生む。
痛い程の静寂が、レイスの耳を突き、えもいわれぬ恐怖が自然と震えを誘う。
いつ、どこから敵が来るのかが解らない……そんな状況に陥った事のない、レイスは錯乱した。
「うわああぁああぁぁッ」
闇雲に周囲の影という影に、ナイフを突き立てる。
しかし、幾ら影に攻撃を加えようとも、実体を持たない影に刃が刺さる事はなく、床の絨毯を引き裂き、家具に穴を穿つだけである。
「っ…はぁ…はぁ…はぁッ……なんで……なんでっ」
部屋中の影を攻撃してもグレイルの姿は見つからない……否。
レイスは、周囲を警戒するがあまり、自らの下に注意をする事は無かった。
……レイスの足元から伸びるその人影。その顔に当たる部分。そこに、歪みと淀みが生まれる。
妖しく輝く、影の半月の様な赤い口。
僅かな、気配をようやく感じとり、振り返った瞬間―――レイスの眼前に敵の刃は迫っていた。
レイスの背から漏れる、月光を反射する、既に紅く染まった刃。
僅か、一瞬ながらも、レイスにはその時全ての動きがゆっくりに感じられる。
死ぬ……
死ぬ……
だめ……
避けなきゃ、死……ぬ
避けなきゃ、だ……め
やだ……
やだ……やだ…
やだ…やだ…や…だ
やだやだやだやだやだやだ……いやッ!!死にたくない!
押し潰されそうな恐怖から逃れるために、レイスは眼を閉じ、現実を否定し、生への執着を、幾度も心の中で反芻する。
…そして、その祈りが通じたかどうかは解らないが、予想をしていた痛みは生じる事はなかった。
レイスは、身構えながら、恐る恐る、瞳を開く。
瞳より、僅かな距離に、刃の先端がある。
そのまま、あと少し押し込めばレイスの目を貫くであろうに、グレイルの操るナイフは静止していた。
……正確には、真後ろからグレイルを締め上げる、アルフレッドによって、静止させられていた。
「アル!」
「せゃぁッ!!」
アルフレッドは、グレイルを床に叩きつける様に、組伏た。