彼はそれでも食べたかった
ねらい目はショーケース上から2段目、左から4番目のショコラムース。
少年は自分の財布の中身を確かめ、それを買うだけのお金があることを確認した。
彼はかねてより食べてみたかったそれを、母がいつか買ってくるのを待ちきれず自分で買う決心をした。
彼の通う学校の通学路、強面で知られている彼。
それを買うにはあまりにも高いリスクを払わねばならない。
「大丈夫…。今日の俺は、絶対に俺だとは気付かれない。
なぜなら! この親父臭いポロシャツに、親父臭いトレンチハット!
そして、親父臭いスラックス! 親父臭いサングラス!
この姿で誰が俺だとわかるというんだ!? いや、そんなヤツはいない!」
あまりの自信に彼は大声を張り上げていた。
不審がる通りすがりのおばちゃんども。
彼は、ひとつ大きな咳払いをし、おばチャンどもから目を逸らした。
気まぐれで母が買ってきたショコラムースは、姉の脅迫によりいつも少年の口には入らなかった。
だから、今日のこの日というチャンスを逃すわけにはいかないのだ!
目の上のたんこぶの姉が2泊3日の修学旅行で留守・・・。
そう。この機会を逃せば、彼は一生ショコラムースを口にすることはできないのだ!
そんな暴挙が許されていいのか!? いや、よくない!
彼は、サングラスの位置を正すとケーキ屋へと足を向けた。
すれ違う下校中の生徒は、誰も彼だとは気がつかないようだ。
…微妙に避けて通っている気はするが。
彼はケーキ屋の自動ドアをくぐった。
そして、心の中で何度も反復した言葉を、ついに口にした!
「上から2段目、左から4番目のショコラムースをください!」
「はーい!」と、ショーケース越しに声が聞こえた。
彼はあまりの嬉しさに思わず顔を上げた。
そこには、彼のクラスメイトの少女が立っていた…。
「あれぇ? あんたが何でウチにくるの?? …もしかしてケーキ、自分で食べるわけ?」
少女の顔がニヤニヤと笑っている。
ケーキ屋は、少女の家だったのだ。
彼は無言でケーキを受け取り、無言で走り去った。
弁解もないままに。
帰りついた彼は、無言で涙を流しながらショコラムースをほおばった。
ただ、今はその甘さが、無性に泣けてきた。
翌日、彼の噂がどれだけ流れるかなんて今の彼には関係なかった…。
意外と変装してても気付かれたりするもんですよね。