第三話
「寮の部屋は勝手に決めとけ、と言われても」
周囲に誰一人いない薄暗い寮の中で呟く。木造の廊下は掃除が行き届いているものの、歩く度にギシギシ音がしてちょっと怖い。ビビりで悪いか。
閑話休題。
僕はこの学校が全寮制だと聞いていたので、生活用品の類は一通り用意しており、すでに寮生活の準備は出来ている。
なので、早速寮母でもある先生に寮まで案内してもらおうと思ったのだが。
『面倒。どうせ部屋は余ってんだから適当に決めとけ』とのありがたいお言葉を受け、こうして孤独に寮内を徘徊しているのです。
このままでは埒があかないので、そこらへんのドアをノックして空いている部屋を教えてもらおうかと悩んでいると、
「やっほー準クン、昼間ぶりだね」
どこからともなく笑顔の彼方さんが出現した。
「……楽しそうですね」
「そりゃそうだよ、なんせ久しぶりの転校生なんだし。ただでさえウチは生徒の数が少ないしね」
本当に三人しかいないのか、いやそれよりも。
「彼方さん、あなたの教えてくれた方向って真逆じゃないですか!」
一体全体どういうことなんだ、と彼方さんに詰め寄る。
「あーうん、多分あれじゃないかな? 蜃気楼的なアレ」
「蜃気楼が起きても方角は変わりませんよ!」
「細かいこと気にしちゃだめだよ」
僕の命は細かいの部類に入るのだろうか。
あははー、と笑ってごまかす彼方さん。僕としてはまったく笑えねぇ。
釈然としない思いを抱えながらも、まあ一応反省はして……いると仮定して、わざとではない……はずだ。多分。
「……ほんとにゴメンね、わたしがうっかり方角を間違えたばっかりに、準クンに辛い目に遭わせちゃって」
そう言って、彼方さんは目を伏せ、俯いてしまった。
……ざ、罪悪感が。
「いえいえ、全然平気っす! やっぱりあれですよね、森の中での有酸素運動ほど健康にいいものはないっすね!」
「……ボソッ、ちょろいな」
ん?
「許してくれてありがとうね、準クン!」
「え、はぁ」
なんなのだろう、この腑に落ちない感じは。
「でさでさ、準クンはこんなところで何やってるのかな? 夜這い? 青春の暴走? 一夜の過ちを犯しちゃうの?」
「例えそうだったとしても彼方さんはないです」
この人との付き合い方がなんとなくわかってきた気がする。
人間、距離感って大切だよね。
「ふむ、わたしの推測によると、自分の部屋をさがしているのかな?」
「そのとおりです」わかってんじゃん。
「新しい子が来るって聞いたからさ、わたしがすでにキミのための部屋を用意していたのだよ!」
自分でババーン、と効果音をつけていた。
……まあいいか、普通にありがたいし。
「わざわざ気遣いくださってありがとうございます」
「うんうん、みっちり感謝したまへ」
腕を組んで偉そうにしている彼方さんに苦笑する。
まあ、悪い人じゃないみたいだな、この人。
「ほら、すぐそこの部屋だよ。開けてごらん」
指し示された扉の前まで移動する。この寮は周りが古ぼけた木造なのにも係わらず、扉だけは金属製だった。妙に威圧感があるな。
なにわともあれ、ここから僕の新生活が始まるわけだ。
ほんの少しの不安と、多くの期待を胸に、僕は扉を開く。
部屋の中には着替え中の女の子がいた。
「ジーザス」
扉を閉めた。
息を大きく吸っては吐き、吸っては吐く。クールになるんだ、僕。
あまり効果はなかったが、幾分正気を取り戻すことができたので、下手人を睨みつける。花の咲くような笑顔だった。おいアンタ。
「弁明はあるか」
「てへっ☆」
反省も後悔もしていない。ダメだこいつ。
「そんなことよりもさ、見た? 見たよね? 感想は?」
「言うに事欠いてそれか」
この学校の生徒は僕の想像以上にクセが強いということが判明し、頭を抱えてしゃがみこんだ。誰か助けて。
だが、都合よく仏は蜘蛛の糸を垂らしてくれなどしない。
「――それは私としても興味があるわね」
背中にドライアイスが突っ込まれたかと錯覚した。それほどまでに冷たい声が背後から響き渡った。
僕はしゃがみこんだ態勢のまま振り向けない。ぶっちゃけ怖い。
「あ、和泉ちゃん! それがねそれがね、この見ず知らずの男が『ふへへ、JKマジ最高』って言いながらキミの部屋に押し入ったんだよ! わたしは必死に止めたけど!」
「冤罪すぎるわ!」
やっぱりこの人は信用できない。
しかし、彼方に(さん付けも敬語もいらんだろう)騙されたといえど、着替え中に部屋に押し入ってしまったのは事実。ここは誠心誠意こめて謝るべきだ。
「えっと、和泉さん? あの、ほんと、わざとではなかったのですけれども、このたびは大変失礼な真似を」
「黙りなさい」
一刀両断。
「なにか勘違いしているみたいだから言っておくわ。私にとって、あなたが彼方に騙されていようが、謝罪の意思があろうが、心底、どうでもいいの」
出来の悪い生徒に言い聞かすように区切りをつけて説明してくる。
僕はといえば、透き通るような綺麗な声だな、と場違いなことを考えていた。現実逃避とも言う。
「私が貴方に聞きたいことはただ一つ」
「な、なんでしょう?」
ゴクリと唾をのむ。
「――見たか、見てないのか」
生か死か、それが問題になっているらしい。シェイクスピアも真っ青の二択だ。
「もし、見たなどと申し上げたならば、ワタクシはどのような扱いを受けるのでしょうか?」
「とても子供には聞かせられないことをするわ」
賭けてもいいが、絶対にエロいことではない。
「まず手始めに貴方を社会的に抹殺します」
手始めの時点で僕の人生は終わった。
というかアンタ何者だよ、社会的に抹殺って。
「ちょ、ちょっと待っ」
「待ちません」
取り付く島もない。
このままでは彼方の謀略により大変なことになる(僕が)。そう思った僕は、とっさに胸を張ってこう言った。
本当は高校生とは思えない大人びたネグリジェから色気たっぷりのショーツまで全部バッチリ見たけど、「見てません!」
「……」
「……」
空気が凍った。
「ねぇ彼方」
「なあに?」
「ひょっとして……僕、やっちゃった?」
満面の笑顔でサムズアップ。はは、終わった。
「いやね、少し言わせてもらうけどさ、僕が今日この島に来てから苦難の連続なんだけど、それは一体どういうことなのかな?」
「楽しそうだね!」
「アンタが一番楽しそうだよ!」
「そこの下郎」
「はいぃ!?」
下郎って僕のことだよね? とうとうそこまでランクダウンしたの?
「こちらを向いてもいいわよ」
……思ったよりも優しい声だ。
ひょっとすると、情状酌量の余地があるのかもしれない。
緊張しながら振り向いた僕の視界に入ったのは、細い足と膝小僧。
「へ?」
ドゴォッ!
「うわ~、振り向きざまのシャイニングウィザードって、準クン死んだんじゃないの?」
彼方のそんな声が、意識が消える寸前に聞こえた気がする。