第一話
「……そして三時間経過」
リングワンダリングという現象をご存知だろうか。森の中で歩き回るといつの間にか元の場所に戻ってしまうアレだ。
僕は砂浜沿いを探索していたのだが、港より歩くこと数十分、僕の行く手に森林が立ちふさがった。
どう見ても人の手が加えられていない森だった。森というより樹海って感じだった。ジャングルと言っても過言ではなかった。踏み込んだら最後、死ぬまで出られそうになさそうだった。
しかし、その時の僕は正気ではなかったのだ。
『僕は光合成なんぞできん! もう直射日光はこりごりじゃー!』と叫んで森に飛び込んでいった自分を殴って埋めたい。
そんなわけで、日の光がほとんど差し込まない森の中で僕は頭を抱えているのである。
「とりあえず木に登ってみよう」
このまま白骨コースは勘弁願いたい。できることはなんでもやってみるべきだ。
枝や出っ張りの少ない大木を登るのは大変な作業ではあったが、命がかかっていると思えば大した苦労ではない。掌をすり切りながらも、周りの木より頭一つ分高いところまで上り詰めた。
うーん、建物は見えないな。
遮蔽物がなくなったことにより日光を直に浴びながら、僕は周囲の景色を見渡す。しかし目に入ってくるものは緑色ばかり。人工物はまったく見当たらなかった。
これはひょっとして本格的にやばいのでは? と思った(口にも出ていた)時、僕の頭に天啓がひらめいた。
そうだ、太陽の位置から方角が割り出せるじゃないか!
太陽は東の空から昇り、南の空を通過し、西の空に沈んでいく。今の時刻は三時過ぎ。ならば太陽の位置は大体南西あたりと考えていいだろう。我ながら冴えている。これでこの魔の森からも脱出可能だ。
そして、あとは学校に向かって進むだけ、と思っていた時代が僕にもありました。
「なんてことだ……方角だけわかっても現在地がわからないんじゃ意味がない……」
というか、そもそも学校の場所を知らない。終わった。
そして僕が『せめてワンダーフォーゲル部って何をする部活なのか知りたかった……』と木の上で現実逃避を始めた頃に、その人物は現れたのだ。
「ぷっ、くっく、ははははっ!」
「のわっ!?」
下から急に笑い声が聞こえるものだから危うく手を滑らせそうになった。
「だ、誰かいるんですか?」
「ちょ、キミ、さっきから聞いていれば、くっくく」
た、大変だ。さっきまでの独り言を聞かれていたとすれば恥ずかしすぎる。いつからいたのだろうか?
「えっと、キミが『うーん、建物は見えないな』って言ったあたりから」
ほぼ最初からだった。
「まあとりあえず下りてきなよ。いつまでもそんなとこにいちゃ危ないよ?」
それもそうだと思い、下から聞こえる声に従って地面へと慎重に下りていく。
下にいた人物を見て、僕が抱いた感想は『お嬢様学校に通っていそうな女の子』だった。白を基調とした清楚な服が映える黒いロングの髪を揺らし、上品に佇んでいる。この密林の中ではひどく場違いな存在に感じた。
本当にこの少女があの快活な声をだしたのだろうか?
「で? わたしに何か聞くべきことがあるでしょう?」
「はい?」
急にそんなことを言われても……ああそうだ、アレを聞かないと。
「ワンダーフォーゲル部ってなにをする部活なんですか?」
僕がそのことを質問すると目の前の少女はずっこけそうになった。どうしたんだろう。
「ど、どうしたもこうしたもないよ。あなたは誰なんだ、とか里はどの方向なんだ、とかそういうことは聞かないの?」
「ああ、そういえばそうですね」
「……」
少女は呆気にとられた様子で口を開けている。どうしたんだろう。
「あはははははっ!」
笑いだした!?
「ちょ、ちょっと、遭難しておきながら最初に聞くのがそれって、ぷっくくく」
「はあ、どうも……」
少女はよほどツボに入ったのか、腹を抱えながら爆笑している。もはや最初に抱いた『上品なお嬢様』というイメージは完全に崩れた。
「ワンダーフォーゲル部っていうのはね、えーっと、そうだねぇ、地球防衛隊的なアレだよ」
「マジっすか!?」
地球防衛って部活動ですることなのだろうか。
僕が疑問に思っていると少女は何故か顔を背けた。
「……やっば、この子めっちゃ騙しやすい。好みかも」
へ?
「ああうん何でもないから気にしないでね。それで、一応確認しておくけど、君って今日この島に転校しにきたんだよね?」
「あ、はい。港まで船でやってきたのはいいものの、そっから道に迷ってしまいまして」
僕がこれまでにやってきた苦難の道のりを説明すると、少女は目を覆い、苦笑いしながら天を仰いだ。
「んーっと、ゴメンね、それうちの先生のせいだ」
「え」
「いやね、今日も普通に授業を受けてたんだけど、放課後になった時に急に先生が『あ、いけね、そういえば転入生が来るんだった』とか言いだしちゃって」
まだ見ぬ先生に言い知れぬ不安を感じた。
「本当は先生が港にまで迎えにいく手筈だったんだけど、『ああもういいや。めんどい。さすがに遭難なんてしねーだろ』って迎えに行くのやめちゃったんだ」
「すみません、その人ほんとに教職者ですか?」
はははと笑う少女。反論しないのかよ。
「それとわたしは彼方。少女じゃないよ」
……どうやらまた口に出ていたようだ。
「えっと、僕は……」
「ストップ」
名乗りを途中で遮られる。ひどい。
「その前にこの島でのルールを説明しておくね。まずこの島の中では苗字を名乗る必要はないんだ」
「苗字を名乗らなくてもいい?」
そういえばこの人も彼方としか言わなかったな。
「そ、この島に来たってことは、キミもちょっと訳ありでしょ? だからみんなそういうことは詮索しないのが暗黙の了解なのさ」
「なるほど……」
それは非常にありがたい。ありがたいが、僕の場合うっかり言ってしまう危険が高すぎる。気をつけねば。
「僕は準っていいます。右も左も北も南もわからぬ新参者ですが、どうぞよろしくお願いします」
「……そういえばキミは迷子だったね」
彼方さんはそう言うと、笑いながら森を指差した。
「ほら準クン、よーく見てごらん。獣道、あるでしょ?」
指の先ををじっと見つめる。鬱蒼とした茂みの中に、確かに人一人分ほどの細道があった……なぜ、今まで気づかなかったんだろう。
両手をついてうなだれる僕。ぽん、と手を肩においてくれる彼方さん。優しさが目にしみるぜ。
「この道をまっすぐ五分ほど行ったら学校に着くからさ、行っておいで」
「ありがとうございます……って、彼方さんは学校に戻らないんですか?」
「少し野暮用があるんだ。わたしのことはいいから早く早く」
「はぁ」
何でこんなに急かすんだろう?
「急かしてなんていないってば……くくっ」
彼方さんの妙な態度を気にしつつ、僕は獣道を進んでいった。
――彼方さんは嘘をつくのが大好きな人である、ということはしばらく後に知った。