俺と彼女
「いってきまーす」
聞こえているか分からないが、家を出る時にお決まりの台詞を言いながら、玄関の引き戸を開ける。見事な快晴。強い日差しが寝不足の眼に突き刺さるように飛び込んできた。思わず目を細めながら、家の外へと歩き出す。
「いってらっしゃーい」
と、上の方からドラゴンなカーチャンの声。
カーチャンは、現在ドラゴンになった際にぶち抜いてしまった両親の部屋でのんびりしている。部屋を野ざらしにするのはまずいとは思うのだけど、よそ様から見ればただのドラゴンである母を野放しにするのもそれはそれでまずい。どう考えても通報物だ。通報されても困ること確実だが。そして、野ざらしと野放しどちらが良いかと言われたら、「部屋を野ざらしにする」を選ぶ他無い。二階にまで届きそうなほどの巨体じゃ床が抜けるかと思いきや、ウィンドドラゴンは風を使って体重の調整をすることができるため、我が家は無事。これ以上でかいドラゴンだったら、おそらく床が抜けている。
屋根からキリンが首を出すテレビコマーシャルがあったが、屋根からドラゴンが首を出すコマーシャルをやったら受けないだろうか。
しかし今更なのだが、うちの母はドラゴンの肉体への適応力がやたら高い。初日にはすでに飛んでいたし、風を使うことも出来る。もしかしたら地球上で最強な生物はうちのカーチャンかもしれない。その際、人類としてカウントしていいのかは疑問だけど。
空に向かって欠伸をする母に顔を向け、「いってきます」と朝の挨拶を返す。欠伸で思わず出てしまうらしい竜巻型のドラゴンブレスの音が耳に届くが、それは聞こえないフリ。気を取り直して通学路へと向き直り、歩き出す。
今日も出来れば平和でありますように。
「うーっす、おはよーさん」
昨日は休みだったので、一日ぶりに聞いた声。下半身触手男の長谷川涼太だ。
声のした背後へと振り返り、こちらも朝の挨拶をする。
「おはよ……って、あれ? もう触手の調教は良いの?」
触手に二次元を布教するという未知の挑戦をしていたのだから、もっと長くなると思ったのだが、たった一日で学校に出てくるとは思わなかった。こっちとしてはコイツが居ると一日面白いから良いが、また触手祭は勘弁してほしい所。
「調教っていうなよ、触手を調教するような趣味は無いぞ。それじゃ俺が変態みたいじゃないか」
変態だろ。と言いたいのを必死に我慢。話しが変な方向に飛んでったら興味のある方が聞けないまま学園についてしまいそうだ。
「悪い悪い――で、肝心の布教は?」
「フッ……俺を誰だと思ってやがる」
涼太はニヤリと不敵に笑った。何かを成し遂げた男の顔。
「誰って、触手」
「いやまぁ、確かにそうだけど……ってそっちをメインにすんな」
と、軽めの朝のじゃれ合いをしておく。こういうのはまぁ、挨拶のような物だ。
「とにかく俺はな――やったぜ」
またしても涼太は不敵に笑う。二本の腕を組み、二本の触手も組まれた腕と同じように組む。ずいぶんと触手の使い方が巧くなってる。僅か一日でここまでやるとは。
「そんなまさか……ほんとに?」
「二次元の素晴らしさは生物の壁を越えるんだよっ! 見ろっ!!」
涼太はカバンからおもむろにギャルゲーを取り出す。もしかして、この為だけに学校にギャルゲーをもっていくつもりなのだろうか。持ち物検査でもあったらどうするつもりなんだ。
涼太がギャルゲーを天に向かってかざす。すると、吸盤の無いタコの足に良く似た触手がにゅるんにゅるん、うにょんうにょんとギャルゲーに巻きついて行く。ちょっと驚きの光景だ。まさか本能だけで生きているような生物がギャルゲースキーになるだなんて、ぶっちゃけありえない。
「見ろ、こんなことも出来るぞっ!」
二枚目のギャルゲーを取り出すと、やはりそれにも触手が巻きつき、涼太の手からゲームのパッケージを巻き取る。二本のギャルゲーを持つ触手は、不意に――ギャルゲーのパッケでお手玉を始めた。
「これも愛のなせる業だ」
そう自慢気な涼太に呆れながら、俺はふと思った。
これ、ペットに芸を教えただけじゃね?
恐らくだが、丸一日行われた謎の布教活動により、「俺の上にのってるヤツやべぇ、まじヤベェ……」みたいな事を本能的に感じ取ったのではなかろうか。ようは上下関係がはっきりしたということだ。でなきゃ触手がお手玉なんてするわけがない。謎の生物に芸を教えられる時点で色々おかしいと思うが、きっと涼太は天性のテイマーなのだ。調教と冗談で言ったけど、まさか本当に調教だったとは思いもよらなかった。
「……おめでとう?」
「おうよ!」
めでたいのかは正直よくわからない。しかし、これで春生さんも安心して学園生活を送れるというもの。
春生さん、今日は元気だと良いなぁ……。と心配しながらも、学園へと続く道を進んでいく。触手の芸を眺めながら。
いつも通りの授業に、いつも通りのクラスメイト。やはり今日もこの町は平和だ。
ただ、その中で春生さんだけが浮かない顔をしている。いつも元気な彼女の様子が違うのは友達も分かったようで、「どうしたの?」「だいじょうぶ?」と心配していた。俺は新学年の新学期からは離れ離れになってしまった席から、少しだけ様子を見ているだけだ。わざわざ大丈夫? なんて聞きにいったら、変に注目されてしまいそうだし、そういうのは春生さんとしてもイヤだろう。まあ、中学生じゃないんだから変な雰囲気になることもないだろうけど。
とにかく、今出来ることは、放課後まで様子を見る事。でも、普段通りに過ごすと言葉で言うだけなら物凄く簡単だけど、実際に意識してやるのは大変だ。
「なぁ、瑞樹……どうした? そんな難しい顔して」
前の席の涼太が声をかけてきた。長谷川と姫川なので、席が自然と近くなる。今年は間に誰も居ないので、前の席は涼太になる。
「んー、別に」
「そか? なら良いけど。ああ、そうそう――」
結局、春生さんは午前中ずっと浮かない顔をしていた。彼女のことは気になるが、間断なく襲い掛かってくる睡魔と戦うのでいっぱいいっぱいの午前だった。薄々こうなるんじゃないかと思ってたんだ。でもやっぱり睡魔に抗うなんていうのは無理で、気がつくと目の前に担任の望月先生が青筋をこめかみに浮かべて立っていた。唯一救いだったのは、触手が大人しい事で彼女の機嫌がよかったことだろう。どことなく残念そうに思っているかもしれないが、そうでないことを祈ろう。
適当に仲の良い連中との昼飯タイム。
今日は弁当を作る時間的余裕が無かったので学食だ。うちの学食はそれなりの生徒数にも耐えられるように作ってあるので、なかなか広い。が、肝心の生徒数がここ数年でガクっと減ったので、飯時といっても結構空いてる席がある。おまけに、生徒数が少ない影響なのか分からないが、手放しで美味いと褒められるほどの物じゃない。かといって、我慢比べなんかのイベントに使われそうなほどまずいわけでもない。言ってしまえば物凄く普通の味。良いところを挙げるとするならば、コンビニで飯を買うよりもお財布に優しいところだろうか。
券売機に千円札をつっこみ、少し考える。はて、何を食べようか。ご飯物もいいのだけれど、今日は麺類な気分だ。それもラーメンみたいなのではなく……と考え、天ぷら蕎麦を注文。学食のおばちゃんに券を渡し、少し待つ。ここは立ち食い蕎麦か? と思ってしまうほどのスピードで出てきた蕎麦を受け取り、涼太や加藤、田中を探すと、すぐに見つかったので、蕎麦をこぼさないように気をつけながら向かう。利用者が多くないというのもそうだが、下半身の触手はともかくとして、虎顔はとにかく目立つ。生徒は色んな所にポツポツといるのにも関わらず、ヤツらの周りだけ人っ子一人いないのもすぐに見つかった要因の一つだろう。触手男に虎男、そして豚男と変人大集合なわけだから、周囲に空白地帯が出来るのも頷ける。俺としては周囲に人が居ないほうが落ち着いて食べられるのでありがたい事だが。
「よ、っと、お待たせ」
「ムヒィ……腹へったぁ」
「さーて、メシメシ!」
俺の到着や否や、皆それぞれ弁当を食べ始める。
美味しく昼飯を食べるコツ。それはベイブの方を見ないことだ。ただの弁当ではなくて、どこの正月のお重ですか? とツッコミを入れたくなるくらいに巨大な物。それを貪り食っているのだ、こっちの食欲まで失せる。
「…………ん?」
ふと涼太が周囲を見回した。
「どうかしたか?」
彼の隣に座っている加藤が声をかけた。
「や、何か視線を感じたような……」
「そりゃタコっぽいのがくっついてりゃ気になるヤツもいんだろ」
「イヤでも目立つのはしょうがないな」
涼太は視線の主を見つけることができなかったようで、首をかしげていた。しかし、触手はイヤでも目立つのは確かなのだから、視線の一つや二つは感じない方がおかしいだろう。
今日の昼も、やはり平和だ。
そして5時限目。いまだ1時限短縮になっているので、後もう少しで放課後。
だがしかし、昼飯を食って気が緩んだのか、気がついたら放課後だった。というか誰もいない。せめて起こしてほしかった……涼太といい、それでも友達かッ!と叫びたいところだ。
「ふふ、おはよ」
「……ぇ?」
不意に、隣から声が聞こえた。ほわんとしていて、甘い雰囲気のする声。
「は、春生さん……どうして?」
声の主に顔を向けると、声の通りに春生さんだった。俺のすぐ隣の席に座り、こちらを見ながらにっこりと笑っている。なんでこんな誰もいない教室に、彼女だけが残っているのだろうか。
もしかして、寝顔をずっと見られていたのかな、と考えると思わず顔が赤くなりそうだった。
「えっとね……やっぱり、相談にのってほしくて……起こさないでって長谷川君達に頼んだの、その、まずかったかな?」
思いもよらない発言に、少し驚いた。それと同時に、少しは頼りにしてくれているという事実が嬉しかった。放課後の人気のない教室で二人きり、素晴らしいシチュエーションだ。寝不足万歳。
「そ、そんなことないよ! 元気がなかったから、心配してて……放課後になったら、声をかけようかな、なんて思ってたからさ」
「そうなんだ……えへ、ありがとぉ」
少し顔を赤らめて、彼女は柔和に笑う。やっぱり春生さんは落ち込んでいるより、笑っているほうが断然良い。
「えっと、それでさ、相談って?」
「う、うん……そのね」
一転して、彼女の表情に影が落ちる。
「…………ガなの」
よく聞き取れなかった。ガ、ってなんだろう。ガって。
「ごめん、よく聞こえなかったんだけど、何て?」
「だから、ね……オーガなの」
オーガ、とだけ言われてもどうにもピンとこない。ゲームとかでモンスターとして出てくる程度にしか分からないが、そのオーガがどうかしたのだろうか。
「察しが悪くてごめん。オーガが、どうかしたの?」
「私とね、混ざっちゃったの……オーガが」
混ざったという事はつまり、俺で言えばグリフォン。涼太の場合で言う触手。っていうことは、彼女は見た目が普通の女の子でも、どこかしらオーガの影響を受けてる部分がある、ということか。
「なるほど……春生さんが最初に言わなかった理由がわかったよ」
幻想的な生物であれば、喜ぶ事もまだあるかもしれない。ところが、混ざったのが凶悪なモンスターじゃ、流石に彼女も言い出しにくかったんだろう。オーガの事に詳しいわけでもないが、凶暴で恐ろしいモンスターとかそういう方向性なのは知っている。そんなのと混ざったと友達に知られたら、離れていってしまうかもしれない。きっとそう思ったに違いない。あくまでも俺の予想では、だけど。
「うん……昨日は誰かに言うのが怖くて言えなかったんだけど、瑞樹くんなら私の事嫌いにならずに、聞いてくれるかなって、あの後思って……」
だから放課後俺に相談を持ちかけてきてくれた。ということか。友達というには微妙かもしれないが、確かに彼女とは同じ悩みを共有する仲なわけだし、そんな俺なら理解してくれると思ったのだろう。これは何とか彼女に力にならないと男が廃るっていうものだ。
「じゃあさ、具体的にオーガのどういうところが嫌いなの?」
何を理由で嫌っているのかが分からない事には、相談に乗りようがない。
「全部、全部イヤっ! だってお父さんのパソコンで調べてみたらね、凶暴とか残忍だとか、人を食べるとか……そういうのばっかりなんだよ!? そんなのやだよぉ……」
人を食べるというのは初めてきいたが、なるほど確かにその通りだ。
「それにね、一昨日の事もそうだけど、ものすごく力が強くなってるの……軽く握ったはずなのにドアノブが潰れちゃったり……こんなのいらない、怖いよ……」
かすかに俯き、彼女のつぶらで愛らしい瞳に涙が溜まっていくのが見えた。思わず何でも良いから励ましの言葉を出そうとする俺の口を必死におさえ、考える。
彼女が落ち込んでいた理由、それはオーガという凶悪な魔物が怖いというのもあるのかもしれない。でも、それ以上に身体の変化についていけず、それが何よりも怖いのかもしれない。そして、現実離れした現実とようやく向き合うことができたからこそ、昨日からずっと浮かない顔をしていた。初日は、きっとオーガが何なのか分からなかったんだろう。だからこそ普段通りでいられたし、心のどこかで夢か何かと思っていた可能性もある。現に俺がそうだった。
彼女の言葉に、「うん、うん」と相槌を打つ。そうしながらも考え続け、俺の頭の中で一つの結論が出た。
春生さんは、何か思い違いをしている。ということだ。あくまで俺の中での予想でしかないし、実際彼女がどういう恐怖を抱いているのかまでは想像できない。でも、この数日で得た彼女の印象から考えても、やはり自体を深刻に考えすぎていると思う。そりゃあオーガがイヤなのは分かるけど、彼女は彼女であって、オーガじゃない。確かにソレが混じったのは本当のことだけれど、どこまで行っても御堂春生は御堂春生なのだ。そりゃあオーガの本能に忠実というなら話は別だが、俺にはとてもそうは見えない。つまり、俺にできることはただ一つ。
俺は、彼女に怒られるのを覚悟で口を開いた。
「春生さん――あのさ」
彼女は俯きながらも、俺の言葉に「……ん」と反応を示した。
キミは、バケモノなんかじゃない。何よりも、それをただただ伝えたい。
後ほどちょっと修正するかもしれません