俺と放課後
世界がおかしくなってから二日目。世界がおかしくというと、中学時代特有の自分だけの脳内設定だとか、そういう方向の物を思い出しそうではあるけど、これは実際に起こった現実の話。俺の脳内限定での話しであれば大いに結構。むしろこっちの方がよほど現実的だ。とにもかくにも世界がファンタジー風になってから一日が経過し、今日は二日目。
世界のどこかでは巨大なダンジョンが発見されたり、自称勇者様が現れていたりと大忙し。そんな慌しい世の中だというのに、俺の住むこの日本は比較的平和。他人様に迷惑をかけるのを否とする性質だからかは分からないが、ニュースで大々的に取り上げられるような重大事件というのも無い。昨日から今日にかけてのニュースで特に目を引いたのだって、精々総理大臣に獣耳と尻尾が生えていたくらいだろう。すこぶる評判が悪い首相だったが、余計に評判が悪くなった。可憐な美少女に獣耳ならともかく、おっさんに生えても意味が無い。獣耳の無駄遣いだ。もっと限りある資源は有効に使わないといけません。
ふとした時に思い出すのは、昨日の放課後にあった嬉しいイベント。春生さんとの楽しい下校タイム。いくらお互いを名前で呼んでいようと、それはそれなりの理由があっての事なわけで、一緒に帰ろうねっ! なんて事を毎日言うほど仲が良いわけじゃない。勿論そんな事を毎日言えるほどに仲良くなりたいところだけど、それにはとてつもない勇気が必要。ま、そんなわけで昨日の事を思い出して度々頬が緩むのも仕方が無い事なのだ。
「瑞樹、さっきからニヤニヤときもちわりぃよ」
目の前にいるタイガーマスク加藤が言ってきた。その隣にはオーク田中が座っている。本来であらばもう一人いるのだけれど、今日は休みだ。なんでも本当に触手への二次元布教活動をやっているようで、風邪で休みってことにした。とメールが返ってきた。人が折角心配してメールを送ったというのに、盛大にぶち壊してくれた。
「や、アレよりは気持ち悪くないとおもうけどな」
ちらりと加藤の横に座っている田中を見る。
今現在いるのは、どこにいってもどこにでもあると思われるファーストフード店。学園からの帰りに度々寄るお決まりの店だ。ここじゃない場合は、この辺りの住民にとっては馴染み深いラーメン屋。そこそこ美味いので割とオススメなラーメン屋なのだが、量がハンパじゃないので、よほど空腹で耐え切れないとき以外は帰り道に寄ることは無い。
「見るな。見たら食欲まで食われるぞ……」
タイガーは目を背ける。彼の向く反対側にいる田中の前には、大量といっても過言ではないハンバーガーの群れと、ポテトのLサイズが1つ。おまけでコーラのLサイズ。
いくらなんでも食いすぎだ。これで晩飯まで食うというのだから、そのことを考えただけでも食欲がうせる。加藤の「食欲まで食われる」というのは的確すぎる表現だと思う。
げんなりとした表情で、ハンバーガーをもそもそと食べる加藤という男は、以前は髪を逆立てネクタイを緩め、制服の下は腰で履くというよく見かけるような風貌のなんちゃってヤンキーだった。もっともそれは高校生ぐらいの年齢にありがちな、「ちょっと悪ぶってみたい」だとか「ちょっぴり悪くみられてみたい」というものから来たもので、見た目を除いてしまえば、付き合いやすいイイ奴。というのが俺の持つ加藤の印象。そんななんちゃってヤンキーだが、ここ最近は以前の格好がちょっと恥ずかしくなったのか、割と普通に戻っている。ネクタイはちょっと緩いが。
「ムヒッ……な、なに? どうかしたの?」
ハンバーガーをむさぼっていた田中がこちらの様子に気づいたのか、手をとめて顔を向けてきた。珍妙な鳴き声が気になるが、そういう変な所は触れないであげるのが紳士という物。
「や、もっと野菜とかも食った方がいいんじゃねーの? ってさ」
食欲の事は置いておき、もう少しバランスよく食うのが良いと、田中を気遣う肉食獣。肉食の獣に野菜食えと心配されるとか色々とおしまいだ。
「野菜? ムヒヒッ、ちゃんと野菜も食べてるよー」
ほら、とポテトを一本持ち上げ自身のヘルシーな食生活を主張するオーク。というか鼻が豚になってるだけなので、オークというか猪八戒に激似。
「そりゃ、確かに野菜だけどよぉ……」
「親父さんが不憫だ……」
野菜は野菜だけど、それ炭水化物たっぷりですよ八戒さん。と言いたそうな加藤。気持ちは良くわかるが、田中に言ってもポテトイズヘルシーなので意味がない。
この猪八戒にそっくりな田中という男は、何を隠そう八百屋の息子だ。親父さんが聞いたら失神しそうなことを言っているとはいえ、これでも立派な八百屋の跡取り。お先真っ暗にしか見えないが、そこは親父さんによる今後の教育にかかっているだろう。頑張れ親父さん。
そんな彼のあだ名はベイブ。八百屋の息子で、尚且つ太っていて顔も以前はそれっぽかったからか、とあるアニメのキャラクター……言ってしまえば、ブタとゴリラをただくっつけただけの物に決定しかけていたのだが、流石に可愛そうなので仕方なくベイブになった。子豚の名前は可愛そうじゃないの? と聞こうとしたものの、ある野球の偉人っぽくてイイ! と本人が気に入ったのでベイブになった。とても残念な事に、それはベイブじゃなくてベーブだ。彼がノリノリすぎて誰もツッコミを入れられなかった事がとても悔やまれる。
「そーいえばさぁ、この近くにバッティングセンター出来たの知ってる?」
「そういえば野球部のヤツらが言ってたね」
いつの間にやら大量のハンバーガーをどこかへ消え去ってしまった田中の言葉で、野球部に所属してるクラスメイトがバッティングセンターの話題を出していたことを思い出した。一度行ってみようかな、と思っていたがすっかり忘れていた。
「おっし、そんじゃあ腹ごなしにいってみようぜ!」
加藤はすでにノリ気だ。普段はカラオケかゲーセンという無難な所ばかりな事もあり、自称野球好きのベイブも行く気満々。他に遊ぶところもそれほどないので、バッティングセンターが出来たとなれば今後も選択肢が増えるわけで、中々に充実した放課後を過ごせそうでちょっと嬉しい。しかし残念な事に、今月はあまり無駄使い出来ないので大いに楽しむといえるほど遊べるわけでもないのだが。
バッティングセンターは本当にすぐ近くにあった。その名も“ハシウミバッティングスタジアム”。何とも安直すぎるネーミングだ。都会に作ったとしたら数年後にひっそりと無くなっていそうではあるが、遊べるところの少ないこの辺りでは意外と重宝されるだろう。
外側はボールを意識したのか、半球形っぽくなっている真っ白の屋根が目を引く。変わって内部はごく普通、イメージ通りの物だ。一番奥の方にはボールを投げて的にあてるタイプの物もあったりするが、大半は打つ方。バッティングセンターなのだから当たり前でもある。
そして、どうやらここでは少し前に開店記念イベントをやっていたらしく、壁には打球の速度を計測した結果が紙で張り出してあった。うちのクラスの野球部が載ってたりしないかなと少し期待したが、結果は大ハズレ。一人も載っていない。
「ぃよーっし! やるかぁー!」
加藤は一人で奥へと歩き出す。手前のバッターボックスには70kmと書いてあり、いくつもある打席の一番奥は120kmから140kmと書いてあるのを見るに、奥へいけば行くほど球速が早くなるようだ。
どれをやるんだろうか……と思いつつもベイブと二人で加藤の後についていく。自販機が数台並んでいる通路を歩きながら、ネットの向こう側――打席の更に奥を見やると、ディスプレイのような物にプロ野球のピッチャーらしき人物が映し出されている。詳しくはないので誰なのかはわからないが、そんな画面の中の彼がボールを投げると、あけられた隙間から玉が出てくるようになっている。
一番奥のスペースには、いかにもつっぱってますと見た目からして分かるのが騒いでいたが、加藤のタイガーマスクを睨みつけた瞬間に凍り付いていた。それもそうだろう、彼のタイガーなマスクは人がかぶるような代物ではなく本物の彼の顔なのだから。それはもうリアルだ。お供が猪八戒というのでは凄味に欠けるかもしれないが、それでもリアルタイガーは結構怖かったりする。
「俺ここな」
そそくさと退散していく方々を尻目に、タイガーな彼は気にせず最高速が出るバッターボックスへと入った。
無謀だなぁと思いうが、とりあえずは「がんばれー」と応援しておいた。
「じゃ、僕こっちやろうかなー」
加藤につられてか、ベイブは隣にある90kmから110kmに入る。両者共自信あり気な顔をしている。もしかしたらもしかするのかもしれない。
「ホームラン賞は俺が貰った!」
「ムヒィッ! それは僕の物さ!」
二人とも全てのボールをホームランと書いてあるボードにぶち当てるつもりらしい。200円で25球という高いのか安いのかよくわからない値段設定のソレを全てだ。もしもベイブが一球でもホームランに出来たとしたら、俺だけこっそりベーブと呼ぶことにしようと思う。ちなみに、全てあてるとホームラン賞で5000円分の商品券が貰えると壁紙に書いてあった。そんな凄腕がいっぱいいるわけもないので、商品券は一生安泰な生活を送れるだろう。
画面の中のピッチャーが構え、洗練されたフォームで振りかぶり、投げる!
「フンッ!」
「ムフゥッ!」
見えないように置かれたピッチングマシンから送り出された玉は、それはもう速いものだった。だが、決して綺麗ではない二人のスイングは、傍目から見ても渾身の気合が込められた力強いモノだった。それと同時に俺は確信していた。こいつらはやる時はやるヤツらだ、と。もっともその時は今じゃないのが寂しいところだ。
スカッ、と思わず口に出して言いたくなるほどの綺麗な空振り。二人の挑戦する球速は違うというのに、そのスイングは見事にシンクロしていた。お美事にございまするとほめるべきだろうか。
「チッ、かすったか……」
渾身のスイングがあたらなかった加藤は、悔しそうに呟いた。
どうみても掠ってなかったが、そういうことにしておこう。
続いて第2球目。ピッチャーはやはり先ほどと同じ洗練されたフォームで投球。
スカッ。
何故この二人は、球速の違うピッチングマシンを使っているのにそこまでシンクロするのか。もしかしてコントやってるのだろうか。もしも狙ってやってるコントであれば、お茶の間の人気者になれる。
二人のコントにツボというツボを刺激され、問いただす暇もないほどに笑わされたおかげで、玉を打つよりも遥かに楽しい時間を過ごすことができた。実に経済的。
ひとしきり笑った――もとい遊んだ帰り道。家の方角も違うのでその場で解散し、今は一人寂しく住宅街を歩いている。
半海学園から見て南から西にかけては様々な店が集中しており、丁度その中心を通るように大きな通りがある。ようは大通りを中心に発展していったのだ。だからなのかもしれないが、大通りから少し外れると一転してほとんどが住宅街になってしまう。遊ぶ方としては、学園の比較的近くに集中しているので何かと便利。
少し薄暗くなってきた夕方、特に急ぐ理由も無いのでのんびりと家へ向かって歩いて行く。夕食の支度をしているのか、通りすぎる家からは食欲をそそる匂いが漂ってくる。こう匂いだけを延々と嗅がされると、腹が減ってくる。Sサイズとはいえ、フライドポテトを食べたからそこまで腹が減らないかも。などと思っていたら大間違いだった。笑うのは意外とカロリーを消費するのかもしれない。
今日の晩飯は何かなと考えるものの、親父の手料理はそれほど美味くないのを考えると微妙な気分になる。作ってくれるだけでもありがたい事ではあるけれど。
ふと帰り道にある公園に目を向けると、誰かが座っていた。色はライトブラウンで、少しウェーブのかかった背中までの綺麗な髪。服装を見るに、女の子なのは間違いない。そんな彼女はベンチに座り、俯いたまま動かない。
……春生さんに似てる。
遠めから確信を持てるほどの視力はないけれど、見た瞬間になんとなくそう感じた。
彼女が何でここに? なんで俯いてる? 疑問が一気に湧き上がってくる。何も無いなら何も無いで良い。でも、もしも何か物凄く落ち込んでいたとしたら? そう考えた俺の足は、いつの間にか公園の中へと歩みだしていた。
これといった遊具があるわけでもなく、中央の小さめの噴水とその周囲に申し訳程度にベンチが置かれているだけの公園。ここが活用されているのはあまり見た事が無い。
目的のベンチが近くなると、俺の直感は確信に変わった。少し俯いているため表情の全てを見ることはできないが、間違いなく春生さんだった。
「……あの、」
「……っ!」
俺が声をかけた瞬間、彼女はビクリと肩を揺らして驚いた。
「ご、ごめん。驚かせるつもりじゃ」
「あ……瑞樹くん。どうしたのぉ? まだ制服だけど」
「俺はちょっと寄り道。春生さんは?」
どうしたのは俺の台詞だ。と言いたいのを我慢しながら、彼女になるべく自然を装って問いかける。あまり心配してますというのを顔に出すと、言いたい事も言えなくなってしまうかもしれないからだ。
「うん……ちょっと、ね……」
あまり言いたくない事なのか、軽く顔を俯けた。それほどに言いたくない事なのか、それとも男には話せない内容なのか、俺には彼女を落ち込ませている要因がわからない。でも、もしも俺に何とかできることならなんとかしたい。好きな人の笑顔はやっぱり特別なもので、彼女の笑顔は俺の生きる糧だ。
「何か悩みがあるんだったらさ、何でも言ってよ。俺にでも話せるような事ならだけど」
「ん……ありがと。でも、だいじょぶ。だいじょぶだから」
拒絶、と言っても良いのかもしれない。そんな春生さんの反応に少し落ち込みそうになった。でも行き成り相談に乗るなんていわれても、普通は戸惑ってしまう。ならここは無理に聞こうとせず、そっとしてあげた方がきっと良い選択だと思う。一人で何か考えたい時っていうのは、少なからず誰にでもある物だし。もっとも、明日もずっと様子が変だったら、その時はその時だ。「大丈夫?」と一声かけるくらいなら、ウザったく思われないんじゃないだろうか。
時刻は夕方という事もあって、少し肌寒くなってきた。
「ん……あ、そうだ。ちょっと待ってて」
大丈夫。と言う彼女の主張に反抗せず、俺は彼女に断って、帰るまでに自販機へと行く事にした。いくら春とは言え、暗くなるとまだまだ寒い。でも俺が傍にいたらきっと彼女は落ち着かないだろうから、せめて何か暖かい物を渡そう。そう思った。
公園に設置してある自販機へと小銭を投入し、ホットのレモンティを購入。好みが分からないので俺の好みで選んだ。その小さいペットボトルに入ったかなり甘めなレモンティを取り出し、春生さんの下へと戻る。
「はい、これ」
「……えぇ? そんな、わるいよ」
「いいからいいから……じゃ俺帰るから!」
と、彼女にレモンティを押し付け、そのまま駆け足で家へと向かう。
もしかして、キモイとか思われただろうか。と微妙に心配になりながらも、キザっぽい事をした恥ずかしさを忘れるためにも家へとひたすら走りまくった。これはいわゆる青春ってヤツだろうか。だとすれば、俺はこの恥ずかしさに耐えられるのか疑問でならない。
結局、その日はなかなか寝付けなかった。