表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

最後の願い

作者: 夜見 洋
掲載日:2026/02/04

 ついに画期的なテロメアの修復技術を完成させた。様々なデータによる検証と実験によりその確証を得たとき、私自身よりも、助手が椅子から大きくのけぞり、ひっくり返った。

「あの、先生、要するに、つまりこれは、まさか、本当に、その、あれですか、エジプトのファラオが望み、秦の始皇帝が望み、いや世界中の誰もが望んだ……」

「回りくどいな、全然、要してないじゃないか、そうだ、不老不死技術の完成だ」


 ようやく、か。大きな仕事をやり遂げた達成感、感無量だった。恩師との約束を果たすことができた。

敬愛する恩師を亡くしたのは20年前だ。それから、私はひたすら研究に打ち込んできた。この研究が完成する確率は限りなく低く思われた、が私には研究を続けるほかなかった。科学だけが私の生きがいであり、恩師に科学を教わった濃密で充実した時間だけが私の人生のすべてだった。

私は不遇な環境で生まれた。両親はおらず、孤児として児童養護施設で育った。間もなく18歳になるときでも、将来に何の希望も見いだせなかった。だが、そんな私が唯一夢中になったのが科学だった。ある時、何かのイベントでたまたま話をしてくれた科学者が恩師だった。だが、知り合った時に恩師はすでに70歳を過ぎていた。その後10年にも満たず、恩師は老衰によって亡くなった。科学の楽しさや奥深さを教えてくれた恩師との死別は耐えられないもののように感じた。そのためだったのか、今となってはよくわからないが恩師の最期を看取ったとき、科学者としての私が伝えた最後の言葉は、不老不死を実現させるというものだった。それがいつのまにか恩師との残された唯一の絆のように思われ、自分自身が背負う十字架の誓いのようなものになっていた。


以前に、大学の研究室の同僚とこんな会話をしたことを思い出す。

「お前、まだテロメアの研究してるんだって? 不老不死とか本気で考えてんのか?」 

私は黙っていた。

「よく考えてみろ、テロメアは自然が与えた寿命制御機能だ。人為的にそれがいつまでも機能するようにしたら、可能性として寿命は延びてもあちこち不具合が出てくるに決まってるさ」

そんなことは百も承知である。お互いに生物学者だ、分かりきったことを分かった上で言っている。

「それに、不老不死なんて退屈そうでおれはいやだね。学ぶことも生きることも投げやりになりそうな気がする、なにせ時間を気にする必要がなくなるんだからな」

「またその話か、そんなことは不老不死になってから考えたらいい、今だって退屈そうにしてるんだからお前に退屈うんぬん言われたくはない」

「まあ、そりゃそうだ」

同僚はそう言うと屈託なく笑った。


だが、今やそれは笑い事ではなかった。

この大発見、大成果について、ほかならぬ私自身がうろたえ始めていた。この研究を世間に公表した場合のインパクトはまさに空前絶後のものとなるだろう。世紀の発見といわれた相対性理論や宇宙の加速膨張であってもこれの比ではない。

じゃじゃーん! みなさん、大ニュースです、今日から人間が死ななくなります、なんて言ったら正気じゃないと思われる。私はなにかとんでもない金額の宝くじにでも当たったような、ふわふわした心地で落ち着かなかった。


その夜、私は二人の友人を研究室に呼んだ。二人とも私の子供の頃からの親友で、最も信頼をおくことができ、仕事はもちろん、プライベートなことも何でも相談できる間柄だった。しかも研究分野はお互いに違うが、生物学者でもあった。私の研究の成果を打ち明けるのにもこれ以上ふさわしい人間はいない。

実際に顔を合わせると、二人とも心持ちいつもの表情にも緊張の色がうかがえる。まあ、私が自身の研究成果について、折り入って二人にも聞いてほしいと持ち掛けたので、なんとなくただ事ではないことは気づいているのかもしれない。

私はとりあえず缶ビールを取り出し、私の助手を含めて四人で軽く乾杯をした。なんのための乾杯か自分でもよくわからなかったが、私は自分の手が緊張でしきりに震えているのを自覚していた。軽く酔いが回ったところで、私はおもむろに研究の成果を二人に打ち明けた。


「これはすごい、本物だ」

「すばらしい成果だ、いつのまにこんな、おまえ、こんなアプローチをいつ考えた?」

私が用意したデータを穴が開くように見ては、友人は次々に感嘆の声を上げた。

「いや、ブレイクスルーはほんの数か月前だ。これだけにリソースのすべてをつぎ込んだ。もうなにも残ってない」

「いや、素晴らしいよ、言葉がない。それでどうするんだ? いつ公表する?」

「それを悩んでいるんだ、この成果を普通に公表したらえらい騒ぎになるだろう」

「それはそうだ」

「これなら、介護施設も病院いらなくなるな、葬儀屋も」

「墓もだよ、あ、お寺もだな」

「おい、真面目に話せよ」

「すまんすまん」二人は顔を赤らめて頭をかいた。

「なあ、仮に、この技術を実用化したらいくらかかるんだ?」

「見当もつかないけど、一人一億円は下らないな、スキームが完成したらもっと下がるかもしれないけど」と私は答えた。

「一億……。そうだよな、そうするとあれだ、SF映画みたいに富裕層だけがその技術の恩恵に与ることができて、貧乏人は死ぬわけだ」

「だから真面目に話せって」

「真面目だよ、これ以上ないくらいの究極の格差の誕生だ、寿命格差だ」

「……そうだな」私は渋々うなずくよりほかなかった。

「人が減らなくなるなら、人口爆発にさらに歯止めがかからなくなるし、エネルギーの枯渇も急激に早まるかも」

「人が不老不死になるなら、定年が無くなるな。ということは老後という概念もなくなるから年金制度も保険制度もいらない――いや、まあ成り立たないというべきか。みんながいつまでも働いて税金を納めてくれるなら財務省も大喜びだな」

「なあ、なんか明るい話はないのか?」聞くことに我慢しきれず、私は言った。

「もちろん、あるよ。なにせ不老不死なんだから、死の恐怖からも解放されるな。何かを学んだり体験する時間も山ほどある、宇宙旅行だってできるだろう、そういう意味じゃあ人間は究極の檻から解放されるんだ、真の自由じゃないか」

「究極の檻ってなんだ?」

「この人体だよ、限られた生命という時間のことだ」

「まあ、それはそうだな」

「たいしたもんだよ」、

「いや、本当のところ実感がわかないんだよ、こんなことがまさか実現するとは」私は正直に心の内を打ち明けた。

「そうだな、それはお察しするよ」

「だが、それでも言わせてもらえば、やはりこの大成果のもたらすかもしれない、悲惨な出来事や混乱は少なからずあるだろうな、その責任だけは忘れないようにしないと」

「それは、私が考えることなんだろうか」

「まあ、避けては通れないよ、お前はこの研究成果で間違いなく歴史に名前を残すことになる」

「しかし、まあ、この研究を草分けにして、そのほかの医療分野や社会保障の研究もさら発展すればそれだけでもいいじゃないか」

「そんな牧歌的なことを言ってる場合じゃない、これは草分けどころか、フロンティアそのものだよ、ほとんど大事件だ、よく考えないと」

「どうすりゃいい?」

「もう少し公表は待ったほうがいいかもな」

「待つといってもいつまで待つんだ、今ならいい、という日がくると思うか?」私はいささか動揺しながらつぶやいた。

「そりゃこないだろうな」

堂々巡りである。私はもう一つ缶ビールを開けた。


すると、これまで黙って缶ビールを飲みながらおとなしく話を聞いていた助手が口を開いた。いつ言おうか迷っていたかのように、堰を切ったような話し方だった。

「先生、しかしこれは人類の偉大な進歩ですよ。人類は発明と冒険によって文明を発展させてきたんです、海にも潜り、空を飛び、宇宙にも進出できるようになった、次は永遠の命だ、我々はついに成し遂げたんじゃありませんか。人類は空想したことをいつか必ず実現する。仮に先生がいま発見しなかったとしても、ほかの誰かが必ず発見したはずです」


しばらくみんな黙っていた。それから、

「それは一理あるな」と友人が言った。

私は公表する決意を固めた。何の整理もついていなかったが、考えるには大きすぎる問題だった、私の学者としての知識や倫理といったキャパはとっくに超えていた。学会の委員長へその場で電話をかけ、テロメアに関する重大な研究成果の発表を行うことを通知した。

散会した。


その夜、私はいつまでも寝付けなかった。研究を公表した時の興奮を想像もしたが、それと同じくらい、この公表をして世界はどうなるのかについて、心のどこかで不安が広がっていた。

安全装置が必要かもしれない。ふとそんな言葉が口をついた。

歴史が何度も証明してきたように、テクノロジーはときに暴走し、多くの被害をもたらしてきた。それは医療はもとより、すべての産業におよび、公害、自然破壊、大気汚染、戦争兵器開発による軍拡競争にいたるまで枚挙にいとまがない。

安全装置か……。そういえば、テロメアは寿命の制御装置でもあることを思い出す。なんとも皮肉だ。寿命の制御装置であるテロメアをテクノロジーの力により利用しようとしている者が、一方でテクノロジーの暴走を憂いている。この場合、自然の摂理に背き永遠の命を得ようとする人間の欲望はどこまで拡大するか。

ひょっとして、創造主はそれすらも見越していたのだろうか。そんな空想が脳裏をよぎった。不老不死を求めること、やがて人間が到達するであろう尊大な試みを。それを阻止するためのテロメアではないのか。それこそが、天の配剤とでもいうべきものかもしれないな。それは神秘のベールに包まれていたのではなく、最初から目の前にあったのかもしれない。

だが、とも思う。世界の人口は今や80億人超ともいわれている。人口爆発もエネルギーの枯渇も、何もしなくてもこのままいけば人類の滅亡は免れない。もちろん、これだけの人口すべてが不老不死技術に与ることだって到底不可能だ。大きな混乱や社会の停滞、格差の拡大、争いも、あるいは避けられないだろう。私が何を公表しようとしまいと、どのみち世界の運命は決まっている。世界? いつ私は不遜にも世界のことも考えうる立場になったというのか。何がなんだかわからなくなった。こんな時に、(自信をもって公表したらいい、悲観的なことばかり考えずに思い切りやってみなさい)恩師ならそう言ってくれるかもしれない。そうだな、と改めて考えた。これは人類のための一つの選択肢だ。我々は太古の昔から命を繋いでヒトとして生きてきた。自身の意志ではなく地球上のどこかであるときに産み落とされ、自由に生き、死ぬときには死んだ。だが、もしも永遠の命を得られると言われたら、あるいは人はどんなことでも出来るのではないか。そこに何らかの可能性を見出すことはできないか。

「科学は誰に対しても平等だ、そして科学は人に新しい夢を与えてくれる」恩師はかつてそう言ってくれたことがある……。私はそこまで考えたところで、いつの間にか深い眠りに落ちた。


私は数日後、学会の用意した大ホールで、ありのままを世間に公表した。


それからあっという間に400年が経った。

私は地球から遠く離れた惑星Nで、400年前と変わらない姿で、悠々自適な日々を過ごしていた。今週は、いつ以来だろうか、いつもの二人の友人と会う約束をしていた。今は二人ともそれぞれ近くの惑星に暮らしており、テレビ電話ではたまに話すが直接会うのはなんと40年ぶりだった。


研究を発表した当初からおおよそ50年くらいは世界が蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。悪い予想のとおり、まずは各国の富裕層や権力者がわれ先に不老不死技術の恩恵に与ろうと群がった。バイオ企業や関連団体が乱立し、巨大なマネー戦争となった。そこでの勝者のみが永遠の命を手に入れ、それがかなわない者は天が与えた寿命により死ぬのみだった。その技術のために少なからぬ国で紛争も起き、多くの命も失われた。世代交代が失われ、格差は拡大した。限られた地球の資源はもはや完全に底をつきかけていた。このままではすべてが滅亡に向かうと思われたときに、人類は宇宙開発について、思わぬブレイクスルーをいくつも起こし、宇宙へと進出することを容易にした。また数十年の間、あらゆる科学者の手によって、不老不死技術は様々に改良され、転用され、新しい技術が生み出された。今や、人は誰もが生まれながらに30歳前後の年齢まで成長したところで、老いが止まり永遠の若さが保たれるようになった。人類から老いというものがなくなったのである。

やがて人類は資源の乏しくなった地球を脱出し、それまでに宇宙で発見されていた100個を超える地球とよく似た環境の星――地球系外惑星へ進出、移住を果たすまでに至ったのである。


私は友人たちとの久しぶりの再会を喜び、大いに飲んで騒いだ。

少し落ち着くと、我々は交互にお互いが過ごしてきた日々を語らいあった。

夢中で2日間ほど話し続け、ふと私はお互いがほとんど同じような体験をしてきたことに気づいた。

何か、形容しがたい一抹の寂しさのようなものが胸に去来した。


私たちは、不老不死の肉体を手に入れ、世界、いやこの宇宙のあらゆることを満遍なく体験し、味わったのだった。それは、地球はもちろん、現在知られているすべての地球系外惑星を旅し、そこでの風景や自然を堪能したこと。様々な生物を見て、グルメを楽しみ、異性とのアバンチュールを楽しんだこと。あらゆる芸術、スポーツを楽しんだこと。宇宙に存在するあらゆる学問を学び、すべての言語をマスターしたこと。それらを何度も繰り返し、もはや何かをすることはすべて以前に経験したデジャヴと区別がつかない程だった。

もはや、考えうるすべての喜びや楽しみ、充実が出尽くした感があった。

「そういえば、100年前は三人で火星に行って、ゴルフの打ちっ放しまでしたんだったな。月面コロニーでの万博も面白かったな。いまでも覚えてるよ」

「なあ、これから何をしたい?」

「さあな、今は次に何をしようか考えてる毎日だよ」

「おれもだ、いまだなお知らない新しい経験に飢えているというか……」

「おれも」

お前もかと言われたとき、私は少し逡巡した。

「なあ、2人にちょっと見てもらいたい映像があるんだが」

「へえ、なんだ、映像っていったって、宇宙中のアーカイブにある映画もドキュメントも全部見たぞ」

「同じく」

「今さら何を見せようって?」


私は手元のリモコンを操作し、リビングに巨大なスクリーンを設置してから、そこに映像を再生した。

それは、ほんの数週間前に、私の元に届いた映像データだった。それは私にとって全てを変えるようなインパクトを持っていた。


満開の桜の下で、老人が一人ベンチに座り、たたずんでいる。

「おっ、これは珍しいな、これはもしかして地球か。それにずいぶんなご老人じゃないか」「不老不死技術以前の映像か、400年前のものじゃないか」

「そうだ」

「老人を見るのは400年ぶりだ」

「おれも」

「それにこの桜の木も本物だな、花びらが風に舞って降り注いでる。今やどこの星の桜も不老不死だ、いつまでも枯れずに、咲き誇っている。満開じゃない桜も見たことがないぜ」

「なんか、思うことがないか。もう忘れかけているけど、はかない、切ない感じが」私はつぶやくようにそう言った。

2人の友人は黙ったまま、数十秒その映像を見ていた。

不意に

桜と老人を映していた画面がズームアップして、老人をとらえた。老人が照れくさそうに、何か話していた。最初は声が小さすぎて聞き取れなかったが。やがてこんな言葉が聞こえてきた。

「最近思うんだが、この年になると同じことはもうないという気がするんだ。いまこの桜を見ている自分は来年はいないかもしれない、そう思うと本当に有難く、なんとかけがえのない瞬間だろうという気がしてくる。朝起きて一番に胸に吸い込む空気の美味しさも、朝陽のまぶしさ、飲む水ののどをとおる清涼も、夕焼けの壮大さ、美しさ、夜の帳が下りるときの空の色、まるで魔法のようだ。草花も、風も、星も、すべて……」

そこで映像は終わった。

「なんだか、ポエムなじいさんだな」

「いや、わかるような気がする」

友人たちは交互に感想を述べた。


「なあ、このじいさんは誰なんだ?」

「私の……恩師だよ」

「えっ、そうなのか!」

「2人とも面識はなかっただろ。実は地球にあった母校の大学のキャンパスを掘り起こしたら地面からタイムカプセルが出てきたとかで、その中にこの映像があり、わざわざ後輩の学生が送ってくれたのさ」

「そうなのか、いや、しかしまたなんという……」

「まさに、過去からのメッセージだな」

「ああ、こんなにも大事なことを、400年も経って、教えてもらった気がする」

「それはなんだい?」

「生きることの根源的な意味だ。それはありとあらゆる出来事の中にあるわけじゃない、そこに意味を見出すことそのものにあるんだ。そして自分自身が限られた存在であることが、逆説的に永遠を教えてくれる。生きていることの最も大きな充足と価値がそこにあるんじゃないかな。つまり……」

「わかったよ」

「おれたちはここ数百年で、おそらくありとあらゆる経験をして、生きることを満喫してきた。ただ、あと一つ経験できていないことがある、それさえできれば完璧なのかもしれない」

そうだな。3人ともわかっていた、がなかなか言葉にできなかった。


それは、老いることだ、と。


「来た道を戻るとするか」

「まったくなんなんだろうなあ、おれたちは」

「私は久しぶりにテロメア研究を再開しよう」


今度は老いを求めて。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ