第二話:脚
次は――脚だ。
速さじゃない。
“粘り”が欲しい。
遠距離で戦うなら、結局最後にものを言うのは足腰だ。
射線を取る。距離を保つ。撃って、逃げて、また撃つ。
それを繰り返すには、踏ん張れる足首がいる。
狙うのは、マウンテンゴート。崖山羊。
岩場を走るやつらは、脚そのものが武器だ。
特に足首。関節の噛み合いと腱の張りで、滑る斜面でも“立てる”。
ただし――群れで動く。
でかい雄が前に出る?
違う。
こいつらの厄介さは、“見張り”がいることだ。
高い岩の上。風上。日陰。
いちばん視界が効く場所に一匹だけ座っている。
角も牙もないくせに、あれが一番強い。
見つかった瞬間、鳴く。
短く、乾いた声。合図。
すると群れが集まってくる。
逃げるためじゃない。追い払うため。
岩場の群れは、連携で相手を落とす。
……正面からやったら、ボクが落ちる。
だから、やることは一つ。
“見張りを無力化した状態で”、一匹だけ釣る。
準備は地味だ。
岩場の獣道を、下から見上げる。
幅は狭い。右は壁。左は崖。
逃げ道は前後だけ。
ボクはそこに、浅い穴を掘った。
落とし穴って言うほど深くない。膝くらい。
目的は捕獲じゃない。転倒だ。
底に尖った杭? いらない。
山羊は頑丈だし、致命傷は要らない。
必要なのは“走れない時間”。
穴の底と縁に、泥を塗る。
粘土質の土に水を混ぜて、滑る膜を作る。
踏んだ瞬間に足が取られるやつ。
そして最後に、餌。
アルラウネの蜜に、岩肌の白い粉を混ぜる。
この辺の岩から剥がれるミネラル。塩気がある。
草食のくせに、こういうのに弱い。
罠の向こう側に、薄く塗った。
これで、あとは――待つだけ。
来た。
群れの気配は、音じゃなく“石の動き”で分かる。
小石が跳ねる。砂が落ちる。
それから、角の影。
先頭は若い個体。体格がいい。肉付きも悪くない。
狙いやすい。――けど、狙わない。
視線を上げる。
いた。
見張り。
岩の肩に座って、群れと獣道を同時に見下ろしてる。
あいつが生きてる限り、ボクの勝ちはない。
ボクは竹筒を構えた。
吹き矢。針はカミナリヤマアラシの麻痺針。
距離はある。風もある。
だから、撃つのは山羊じゃない。
見張りの――喉。
“鳴けなくすれば”いい。
――すぅ。
息を止めたまま、吐かないで撃つ。
針が飛ぶ。小さく、速い。
ぷすり。
刺さった。
見張りが、ぴくん、と首を跳ねさせた。
次の瞬間、口を開けた。鳴こうとした。
……声が出ない。
喉が痺れて、空気だけが漏れる。
見張りは慌てて立ち上がろうとして、足をもつらせて岩に腹を打った。
いい。
これで“合図”が潰れる。
群れはまだ、危険を知らない。
若い個体が、餌の匂いに引かれて獣道へ入る。
来い。
来い。
踏め。
――ずるっ。
前脚が滑って、体が横倒しになった。
反射で後脚が踏ん張ろうとして、縁に掛かった。
そこで、泥。
足首が取られる。
ねじれる。
山羊の体が、穴へ落ちた。
深くない。死なない。
でも立てない。
ボクはすぐに距離を取ったまま、二本目の針を撃つ。
肩口。動く前脚を止める。
ぷす。
痺れが回る。
山羊が暴れる。角が岩を叩く。
音が響く。群れが顔を上げる。
――まずい。
見張りが、まだ生きてたら終わってた。
でも今、あいつは岩の上で口を開けたまま、声にならない空気を吐いている。
群れは混乱する。
誰も合図を出せない。誰も指示できない。
その隙に、ボクは穴の縁から飛び降りた。
近づくのは怖い。
でも、ここまで来たら早い者勝ちだ。
ボクは山羊の後脚に噛みついた。
足首のあたり。腱の固いところ。
肉は薄い。けど情報が濃い。
噛み切るんじゃない。
食う。
……硬い。ゴムみたいだ。
でも鉄の胃袋が受け止める。
口の中で、味より先に“構造”が入ってくる感覚がした。
『――モンスター情報収集率、28%』
事務連絡みたいな声。
なのに、背筋が熱くなる。
群れの足音が近づく。
石が跳ねる。砂が落ちる。
時間がない。
ボクは必要な分だけ、後脚の足首周りを集中して食った。
腱。関節。皮。蹄の根元。
“要るところだけ”。
何度か噛み、飲み込み、喉を鳴らす。
『――モンスター情報収集率、64%』
『――モンスター情報収集率、91%』
あと少し。
山羊が痺れで動けなくなり、群れの影が獣道に差した瞬間。
『――モンスター情報収集率100%になりました。どの部位を反映しますか?』
選択肢が並ぶ。
『後肢(足首)』
『蹄下クッション』
『腱束』
迷わない。
「足首」
『選択を受け付けました。選択部位:後肢(足首)。変換反映を開始します』
ボクの足首が、内側から締まった。
骨の噛み合わせが変わる。
腱が束になって、張りを持つ。
関節が“正しく”なる。
痛みはない。
代わりに、地面との距離感が変わった。
立った瞬間、分かる。
滑りやすい岩の上でも、足が吸い付く。
――これだ。
群れが、穴を覗き込む。
怒っている。警戒している。集まっている。連携の形を取ろうとしている。
でも、もう遅い。
ボクは岩を蹴った。
踏ん張りが効く。減速が効く。方向転換が効く。
射線を切って、死角へ。
距離を取って、また撃てる位置へ。
見張りはまだ、声にならない息を吐いている。
「……遠距離の世界だ」
守られる美?
女神の正しさ?
知らない。
ボクはボクの正しさで生きる。
次は太腿。
その次は腰。
“撃って、生きるための身体”を、全部奪う。




