第二十話:命令
撤退は通った。
だから次も通ると思った。
それが――甘さだった。
命令には“系統”がある。
誰の声で、どの言葉で、どの順番で。
戦場の規律は、それでできている。
女神の秩序より、よほど厄介だ。
今夜も回収屋は来た。
霧の境界に白い影が並ぶ。
隊列は四体。間隔が一定。歩幅も一定。
前より“整っている”。
昨日の混線に対して、再編したんだろう。
ボクは坑道の側坑に張り付いた。
質感擬態で岩。
動かない。見えない。
そして、試す。
命令語を増やす。
戦場を、言葉で動かす。
神官声色。
共鳴で響かせ、舌で切る。
「停止」
回収屋が、一拍止まった。
……止まったが、次の瞬間には動いた。
無視じゃない。
“確認”して、捨てた動き。
ボクの喉が冷えた。
効いてない。
次。
「回収」
回収屋が一瞬だけ腕を動かした。
落ちていた鉄片に手が伸びる。
だが、すぐに戻る。
これも違う。
なら、強い命令で押す。
「前進」
隊列が――乱れた。
一体が前に出た。
もう一体が後ろへ引いた。
左右が迷った。
規律が揺れる。
……いける。
ボクは畳みかけた。
「前進」
「前進」
「前進」
命令の連打は、軍では禁物だ。
でも今は試験。
隊列が一斉に崩れた。
その瞬間、霧が重くなった。
空気が沈む。
音が消える。
膝が重くなる。
――来た。
迷霧王。
姿は見えない。
でも規律の圧で分かる。
上官が来た時の空気。
回収屋が、同時に整列し直した。
たった一息で。
崩れたはずの隊列が、何もなかったように“正しく”戻る。
そして、声が落ちてきた。
「命令を覚えたかと思えば――喚くだけか」
笑っている。
声の端に、余裕がある。
「それで兵が動くなら、俺は戦に苦労せん」
皮肉。
でも言ってることは正しい。
命令は叫びじゃない。手順だ。
ボクは動かなかった。
でも喉の奥が熱くなる。
悔しい。
それを認めたくないくらい悔しい。
迷霧王の声が続く。
「盗んだ声で、盗んだ言葉」
「それを並べれば戦ができると? 浅いな」
「……撤退だけは、褒めてやる」
「退き際を知る者は、まだ伸びる」
回収屋が一斉に頭蓋をこちらへ向けた。
見えてないのに、向く。
位置が割れていく感覚。
こいつは視覚で探していない。
規律の乱れ――命令の混線点から、異物を逆算している。
ボクは理解した。
“命令を出した場所”が、座標になる。
喋れば喋るほど、見つかる。
……詰みかけてる。
ボクは撤退した。
言葉で、じゃない。足で。
側坑から霧へ滑り、沼の縁に落ち、泥で匂いを潰す。
質感擬態で岩に寄せて、呼吸を殺す。
背後で回収屋の足音が止まる。
探している。
だが踏み込まない。
代わりに、迷霧王が笑った。
「逃げ方だけは、上手い」
「だが戦は逃げた者が勝つのではない。逃げ道を残した者が勝つ」
……古の武将みたいなこと言いやがる。
霧の中で、金属が擦れた。
隊列が再配置される音。
迷霧王は言った。
「次は“命令の順”を学べ」
「声を真似るなら、合図も真似ろ」
「そして――喋る場所を変えろ」
その言葉が、皮肉なのに助言に聞こえて腹が立った。
でも、ヒントだ。
命令には順がある。
合図がある。
そして場所がある。
ボクは泥の中で目を閉じた。
負けないために考える。
撤退は通った。
つまり“撤退”は系統に存在する命令だ。
でも“停止”は、外部からは受け付けないのかもしれない。
命令は“段階”で受け付ける。
上官→中間→末端。
回収屋は末端。末端に直接刺さる言葉は限られる。
なら、やることは決まった。
上官の命令体系を盗む。
回収屋じゃない。
迷霧王アダルバートの“命令文”そのものを。
音じゃ足りない。
文脈が要る。
合図が要る。
順序が要る。
そして、命令を出す“場所”を分散させる必要がある。
――腹話術。
ウィッチコボルトから取った共鳴が、ここで活きる。
声の位置をずらす。命令点をずらす。
ボクは泥の中で、喉を震わせずに笑った。
「……次は、喋り方を奪う」
迷霧王が規律なら、
こっちは混線で戦う。
戦場を、言葉で汚してやる。




