始まり2
そして――目を開けた。
土の匂い。湿った空気。喉の奥に、鉄みたいな味。
視界の端で、何かが蠢いている。
ボクは起き上がろうとして、自分の手を見た。
緑の皮膚。硬い節。四本指。爪は欠けて、黒ずんでいる。
……笑った。
「最高じゃん」
期待されない側。最初から捨てられる側。
前世で散々やられた役だ。慣れてる。息がしやすい。
周囲には、同じような小さな影がいた。
ボクと同じ色、同じ匂い、同じ“下”の体温。
洞窟の奥で、粗末な藁と骨が積まれている。
生まれた場所は巣。
ボクは、ゴブリンだった。
外は明るかった。眩しいくらいに。
森の葉の隙間から差す光が、やけに綺麗に見える。
……綺麗、か。
この世界には女神がいる。
誰もがそう言った。信仰じゃない。生活のルールとして、そう“決まっている”。
女神は、「美」を定義する。
整った顔。均整の取れた四肢。用途として“正しい”形。
逆に言えば――そこから外れたものは、命として不良品扱いだ。
街道の近くまで出たとき、ボクはそれを見た。
荷車が一台、止まっていた。
布で覆われた箱から、赤ん坊の泣き声が漏れている。
周りには村人。少し離れて、白いローブの女が立っていた。
神官だ。
胸元に、銀の飾り。花弁みたいな紋章――“女神の印”。
神官は、泣き声の方を見もしない。
代わりに、紙を一枚広げて淡々と読んだ。
「この子は『未整形』。眼窩の左右差、鼻梁の歪み、指の癒着。女神の定義する美に適いません」
泣き声が大きくなる。
母親らしい女が、膝から崩れた。
「お願いします……この子は生きてます。息をして……温かくて……」
「息はしているでしょう。ですが、美ではありません」
その言い方が、いちばん怖かった。
人を殺す言葉じゃない。
“仕様”を説明する声。
村長らしい男が、周りに目を配って言った。
「なら、仕方ない」
「女神の御心だ」
「不幸を家に呼び込むな」
誰も、直接手を汚そうとしない。
汚れたくないから、清潔な手続きにする。
神官が合図すると、屈強な男が布をめくった。
小さな塊が見えた。
赤ん坊だ。泣いている。泣けるだけ生きている。
その手が――六本指だった。
たった一本。
たった一本の余計が、この世界では死刑になる。
「待って……! 指を切れば……切ればいいでしょう!? 整えれば――!」
母親が叫んだ。
神官は首を傾げた。困惑している顔だった。
本当に、理解できないという表情。
「“整える”とは、女神が与えるものです」
「人の手で切り落とすのは、欠陥を隠す行為。美ではありません」
理屈が、完璧に狂っていた。
でも周りは頷く。納得している。正しいと思っている。
女神は美に固執している――というより。
美以外を、存在として認めない。
その瞬間、ボクの中の何かがピタッと噛み合った。
前世でずっと感じていた、“答え合わせ”。
だから、理解が早かった。
理解した瞬間、腹の底から笑いが出た。
「……最高じゃん」
美しいものは守られて、醜いものは間引かれる。
秩序という名の選別。
選別される側は、最初からルールの外。
だったら遠慮はいらない。
こっちは最初から、全部奪うつもりで生きればいい。
男が赤ん坊を抱き上げた。
母親の叫びが、喉の奥で潰れる。
ボクは背を向けて、森へ戻った。
助ける? 無理だ。今のボクは弱い。
正義ぶるには、ボクの命が軽すぎる。
――でも。
覚えた。
女神の世界は、“美しくないもの”を殺す。
生まれた瞬間でも。泣いていても。温かくても。関係ない。
ならボクは、この世界の美を学ぶ必要がある。
守られる条件を。殺される条件を。
そして、それを踏み台にする方法を。
巣に戻り、捨てられた鍋の底を覗き込んだ。
映った顔は、緑の肌、鷲鼻、猫背、がに股。四本指。
誰がどう見ても、テンプレのゴブリン。
――醜い。
この世界のルールなら、ボクは最初から死んでいる側だ。
だから、笑える。
「じゃあ、こっちもルール無用でいく」
生き延びるために必要なものは、もう決まっていた。
“作れる手”。
五本指。
たったそれだけで、世界が変わる。
奪いに行こう。
美しいものが守られる世界で――醜いまま、強くなるために。




