第十五話:待て
森が、さらに“管理”され始めた。
松明が増えただけじゃない。
巡回が増えたわけでもない。
空気が――澄む。
神官の祈りが、夜の輪郭を整える。
見えないはずのものに、薄い縁取りが走る。
質感擬態だけじゃ、いつか詰む。
だから急ぐ。
口腔。共鳴。
言葉を“音”じゃなく“命令”にするための器。
そのタイミングで、向こうから来た。
枝を裂く音。荒い息。
そして、聞き覚えのある“声にならない声”。
ウィッチコボルト。
第九話で喉を奪ったやつだ。
声が出ないはずなのに、口だけが動いている。
必死に何かを“言おう”として、空気だけが漏れている。
背後に人間の足音。松明の光。
追われている。女神教に。
兵の声が飛ぶ。
「いたぞ!」
「逃がすな!」
「神官様、あっちです!」
ウィッチコボルトがこちらに気づいた。
目が一瞬だけ細くなる。
憎しみ。
でもそれより、恐怖が勝っている。
逃げ道として、ボクの罠域に踏み込んできた。
……最高。
三つ巴? 違う。
横取りだ。
ボクは動かない。
開けた場所へは出ない。
光の面には入らない。
樹の根元に張り付いて、皮膚を樹皮に寄せる。
凹凸、艶、割れ目。影の落ち方。
ウィッチコボルトだけを、罠へ誘導する。
罠は“通したい道”にしか置いてない。
あとは、追われる側が勝手に走る。
ウィッチコボルトが滑り泥に足を取られた。
体勢が崩れる。転びかける。
そこへロープ。
足首に絡み、引き倒す。
ばたん、と倒れた。
同時に、兵が森の端へ現れる。
松明が揺れ、光が広がる。
まずい。光が面になる。
ボクは多重処理を回す。
片方で兵の視線と距離。
もう片方でウィッチコボルトの拘束。
ボクはネットを投げた。
音を立てない距離。短く、確実に。
ばさっ。
ウィッチコボルトが暴れる。
幻術で影を増やそうとする。輪郭が揺れる。
でも声が出ない。歌も出ない。
幻術が弱い。集中が続かない。
ボクは麻痺針を吹いた。
肩。腕。喉じゃない。もう価値が薄い。
ぷす。
ぷす。
動きが落ちる。
兵の声が近い。
「……足跡がある」
「こっちだ、血が――」
血?
ウィッチコボルトの転倒で擦れた血だ。
匂いが強い。追跡が早い。
時間がない。
ボクはウィッチコボルトの口元に噛みついた。
狙うのは舌じゃない。もうある。
狙うのは口腔。
共鳴する空間。
頬の内側。上顎。喉へ繋がる形。
音を“言葉の形”にするための箱。
悪食が反応する。
『――モンスター情報収集率、37%』
前より伸びがいい。
声帯と舌がある状態で口腔を食うと、パズルが繋がる感じがする。
『――モンスター情報収集率、73%』
兵の松明の光が、木々の隙間から刺す。
縁取りの祈りが、また来る気配がする。
急げ。
ボクは共鳴に関わる部分だけを削った。
上顎の丸み。咽頭の広さ。頬の厚み。
音を響かせる壁。
『――モンスター情報収集率100%になりました。どの部位を反映しますか?』
選択肢。
『口腔:共鳴(母音)』
『咽頭:響き(声量)』
『頬筋:形状保持』
今は、母音。
言葉の土台。
「共鳴」
『選択を受け付けました。選択項目:口腔:共鳴。変換反映を開始します』
口の中が、変わった。
広がる。
壁が滑らかになる。
空気が通る道が、勝手に整う。
舌が動く。
声帯が震える。
音が“形”になる準備が、揃う。
『所有能力:発話(初期)』
『注意:長文発話は不安定です』
……来た。
ボクは笑いそうになって、飲み込んだ。
今はまだ、声を無駄にしない。
兵が、すぐそこまで来ていた。
松明の光が、罠域を照らす。
倒木の影が薄くなる。質感擬態が浮きかける。
兵が言った。
「……何か倒れてる」
「コボルトか?」
「いや、声が出ない。あの“人狼”の……」
もう一歩で、ボクが見える。
ここで初めて――使う。
神官の声色を思い出す。
慈愛が宿って、冷たい声。
音色模倣。
発話。
喉を震わせ、舌を当て、口腔で響かせる。
短く。命令形で。間違えようがない単語。
「待て」
空気が凍った。
兵が、反射で止まった。
膝が止まる。視線が泳ぐ。
「……今の、神官様?」
「え?」
「ここに……?」
困惑が走る。
命令の出どころを探す時間が生まれる。
その時間で十分だった。
ボクは影へ滑り、森へ消えた。
質感を土に寄せ、岩に寄せ、樹皮に寄せる。
背後で兵が叫ぶ。
「神官様!?」
「どこです!」
「……返事がない!」
神官はその場にいない。
だから返事はない。
そしてボクは、初めて言葉を手に入れた。
“待て”。
女神の秩序を止めるための、最初の一語。




