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女神の視界に入らないので、霧の鉱山で命令を奪って生き延びます  作者: いねむず
始まり

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18/24

第十五話:待て


森が、さらに“管理”され始めた。


松明が増えただけじゃない。

巡回が増えたわけでもない。


空気が――澄む。


神官の祈りが、夜の輪郭を整える。

見えないはずのものに、薄い縁取りが走る。


質感擬態だけじゃ、いつか詰む。

だから急ぐ。


口腔。共鳴。

言葉を“音”じゃなく“命令”にするための器。


そのタイミングで、向こうから来た。


枝を裂く音。荒い息。

そして、聞き覚えのある“声にならない声”。


ウィッチコボルト。


第九話で喉を奪ったやつだ。

声が出ないはずなのに、口だけが動いている。

必死に何かを“言おう”として、空気だけが漏れている。


背後に人間の足音。松明の光。


追われている。女神教に。


兵の声が飛ぶ。


「いたぞ!」

「逃がすな!」

「神官様、あっちです!」


ウィッチコボルトがこちらに気づいた。

目が一瞬だけ細くなる。


憎しみ。

でもそれより、恐怖が勝っている。


逃げ道として、ボクの罠域に踏み込んできた。


……最高。


三つ巴? 違う。

横取りだ。


ボクは動かない。


開けた場所へは出ない。

光の面には入らない。


樹の根元に張り付いて、皮膚を樹皮に寄せる。

凹凸、艶、割れ目。影の落ち方。


ウィッチコボルトだけを、罠へ誘導する。


罠は“通したい道”にしか置いてない。

あとは、追われる側が勝手に走る。


ウィッチコボルトが滑り泥に足を取られた。

体勢が崩れる。転びかける。


そこへロープ。


足首に絡み、引き倒す。

ばたん、と倒れた。


同時に、兵が森の端へ現れる。

松明が揺れ、光が広がる。


まずい。光が面になる。


ボクは多重処理を回す。


片方で兵の視線と距離。

もう片方でウィッチコボルトの拘束。


ボクはネットを投げた。

音を立てない距離。短く、確実に。


ばさっ。


ウィッチコボルトが暴れる。

幻術で影を増やそうとする。輪郭が揺れる。


でも声が出ない。歌も出ない。

幻術が弱い。集中が続かない。


ボクは麻痺針を吹いた。

肩。腕。喉じゃない。もう価値が薄い。


ぷす。

ぷす。


動きが落ちる。


兵の声が近い。


「……足跡がある」

「こっちだ、血が――」


血?

ウィッチコボルトの転倒で擦れた血だ。

匂いが強い。追跡が早い。


時間がない。


ボクはウィッチコボルトの口元に噛みついた。


狙うのは舌じゃない。もうある。

狙うのは口腔。


共鳴する空間。

頬の内側。上顎。喉へ繋がる形。

音を“言葉の形”にするための箱。


悪食が反応する。


『――モンスター情報収集率、37%』


前より伸びがいい。

声帯と舌がある状態で口腔を食うと、パズルが繋がる感じがする。


『――モンスター情報収集率、73%』


兵の松明の光が、木々の隙間から刺す。

縁取りの祈りが、また来る気配がする。


急げ。


ボクは共鳴に関わる部分だけを削った。

上顎の丸み。咽頭の広さ。頬の厚み。

音を響かせる壁。


『――モンスター情報収集率100%になりました。どの部位を反映しますか?』


選択肢。


『口腔:共鳴(母音)』

『咽頭:響き(声量)』

『頬筋:形状保持』


今は、母音。

言葉の土台。


「共鳴」


『選択を受け付けました。選択項目:口腔:共鳴。変換反映を開始します』


口の中が、変わった。


広がる。

壁が滑らかになる。

空気が通る道が、勝手に整う。


舌が動く。

声帯が震える。

音が“形”になる準備が、揃う。


『所有能力:発話(初期)』

『注意:長文発話は不安定です』


……来た。


ボクは笑いそうになって、飲み込んだ。

今はまだ、声を無駄にしない。


兵が、すぐそこまで来ていた。


松明の光が、罠域を照らす。

倒木の影が薄くなる。質感擬態が浮きかける。


兵が言った。


「……何か倒れてる」

「コボルトか?」

「いや、声が出ない。あの“人狼”の……」


もう一歩で、ボクが見える。


ここで初めて――使う。


神官の声色を思い出す。

慈愛が宿って、冷たい声。


音色模倣。

発話。


喉を震わせ、舌を当て、口腔で響かせる。


短く。命令形で。間違えようがない単語。


「待て」


空気が凍った。


兵が、反射で止まった。

膝が止まる。視線が泳ぐ。


「……今の、神官様?」

「え?」

「ここに……?」


困惑が走る。

命令の出どころを探す時間が生まれる。


その時間で十分だった。


ボクは影へ滑り、森へ消えた。

質感を土に寄せ、岩に寄せ、樹皮に寄せる。


背後で兵が叫ぶ。


「神官様!?」

「どこです!」

「……返事がない!」


神官はその場にいない。

だから返事はない。


そしてボクは、初めて言葉を手に入れた。


“待て”。


女神の秩序を止めるための、最初の一語。

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