第十三話:質感
女神が“視界を整える”と、森が変わる。
光が増える。
松明が増える。
見張り台が増える。
そして何より――犬が増える。
女神教は狩りをする。
醜いものを間引くために。
そのために“追跡獣”を飼う。
擬態蜥蜴。
色だけじゃない。
表面を変える。凹凸を作る。艶を消す。影を偽る。
岩にも木にもなれる、気味の悪い生き物。
……欲しい。
監視が強くなるなら、潜るしかない。
見えない側のルールで生きるなら、“見えなくなる”のが一番早い。
見張り台の近く、山道の脇。
女神教の間引き部隊が小さな柵を作っていた。
そこにいる。
小さな蜥蜴。
でも普通の蜥蜴じゃない。
皮膚が妙に“落ち着かない”。石みたいに見えたと思ったら、次の瞬間には樹皮みたいに見える。
しかも賢い。
柵の影から目だけ出して、周囲を見ている。
風向きを嗅いでいる。
人間より仕事をしている。
ボクは距離を取ったまま観察した。
柵の番は二人。
一人は眠そう。
もう一人は真面目だが、視線は外。中は見ていない。
彼らにとって擬態蜥蜴は“道具”だ。
道具は逃げないと思ってる。
逃げるよ。
奪われるよ。
作戦は簡単。戦闘じゃない。盗みだ。
まず、外側を騒がせる。
音色模倣。
遠く、林の奥で――合図の口笛。二回。
続けて木を叩く音。三回。
最後に命令の声の“形”。
「……ッゴゥ!」
番の兵が顔を上げた。
「合図?」
「北か?」
「……見に行くか?」
真面目な方が、舌打ちして立ち上がる。
「おい、ここは離れるなって――」
「でも合図だぞ。無視して何かあったら俺らが――」
結局、二人とも柵から離れた。
数十歩。十分。
ボクは影から滑り出た。
足音を殺す。足首で止まる。背筋で姿勢を潰す。
柵は簡単だった。
結び目を小刀で切る。文明最高。
中へ。
擬態蜥蜴は、もう“見て”いた。
ボクの存在に気づいている。
でも逃げ方が、犬と違う。
走らない。
消える。
蜥蜴の皮膚が、木箱の板と同じ質感になった。
影の落ち方まで揃う。
輪郭が溶ける。
……本当に、気持ち悪い。
ボクは目を細め、視覚を捨てた。
足元を見る。箱の中の“重さ”を見る。
空気の揺れ。
匂いの差。
いる。そこ。
ボクはためらわず、網を投げた。
ウィッチコボルト用に作った小さなネット。
軽い重し付き。
ばさっ。
網が落ちた瞬間、蜥蜴がようやく動いた。
暴れる。すり抜けようとする。
でも質感が変わっても、網は網だ。
ボクは麻痺針を吹いた。
小型には効く。効きすぎる。
ぷす。
蜥蜴の動きが止まった。
ここからは早い。
ボクは蜥蜴の背に噛みついた。
狙うのは肉じゃない。皮膚。
表面。凹凸。艶。影の作り方。
“質感”の情報。
『――モンスター情報収集率、25%』
伸びがいい。
皮膚は情報の塊だ。
でも時間がない。兵が戻る。
ボクは食う速度を上げた。
鉄の胃袋が働く。口の中が乾く。
皮膚はパサつく。味がない。粉っぽい。
『――モンスター情報収集率、57%』
『――モンスター情報収集率、84%』
外で足音がした。
「……誰かいるのか?」
「柵、開いてないか?」
やばい。
ボクは最後の一口を深く食った。
皮膚の“変わり目”がある場所。
質感が切り替わる、境界。
『――モンスター情報収集率100%になりました。どの部位を反映しますか?』
選択肢。
『皮膚:色彩擬態』
『皮膚:質感擬態(凹凸)』
『眼:周辺監視』
狙い通り。
「質感」
『選択を受け付けました。選択項目:質感擬態(凹凸)。変換反映を開始します』
皮膚が、ぞわりと波打った。
毛穴が動く。
肌の表面が盛り上がる。引っ込む。
艶が消え、ざらつきが生まれる。
痛みはない。
代わりに、触感が鈍くなる。指先の繊細さが少し落ちる感じ。
『注意:皮膚乾燥が促進されます』
『注意:長時間の擬態は疲労を増加させます』
「……いい」
代償は分かりやすい。
“見えなくなる”ってのは、コストがかかる。
兵が柵の前に戻ってきた。
ボクは動かなかった。
動かないことが、最大の移動だ。
皮膚を、木箱に合わせる。
凹凸。艶。影。
板の割れ目まで寄せる。
色は完璧じゃない。
でも質感が揃うと、人間の目は勝手に補正する。
兵が柵を覗き込んだ。
「……蜥蜴、寝てるだけか?」
「麻痺してんじゃねぇの? また餌やり忘れたか」
箱のすぐ横に立つ。
ボクの“箱”の横に。
心臓がうるさい。
でも皮膚は静かだ。
兵は肩をすくめ、柵を閉め直した。
「後で神官に言っとけ」
「はいはい」
二人が去る。
ボクは、さらに数十秒動かなかった。
急ぐと死ぬ。ここは森じゃない。管理区域だ。
十分に音が遠ざかったところで、ゆっくり“人間じゃない速さ”で箱から離れた。
影へ。岩陰へ。草の中へ。
一歩ごとに皮膚を変える。
石になる。土になる。樹皮になる。
……最高。
女神の視界が整えられるなら、
ボクはその視界から消える。
美しいものだけが見える世界?
ならボクは、見えないまま強くなる。




