第十一話:背筋
強弓は、当たる。
当たるのに――ブレる。
引き絞った瞬間、肩は耐える。骨も耐える。
でも時間が伸びると、姿勢が崩れる。
呼吸の揺れが背中に出る。腰が逃げる。照準が流れる。
遠距離の敵は、待ってくれない。
一瞬のブレで、全部が終わる。
だから次は筋肉。
力じゃない。持久でもない。
“姿勢保持”。
狙うのは、巨角鹿。
単独の大物。
警戒心が高い。速い。目がいい。
でも、人型に近い筋肉を持っている。背中も、腰も、脚も。
骨も肉も回収できる。燃費の悪い今のボクにちょうどいい。
狩りは追うんじゃない。追い込む。
風下を取る。
足跡を消す。
塩の線を薄く撒いて、自分の匂いを切る。
谷じゃない。岩場でもない。
開けた林の縁。視界が通る場所。
強弓の射線を活かせる場所。
ボクは木の陰に身を伏せ、じっと待った。
多重処理で片方は周囲、もう片方は“鹿が来る確率”を上げるための微調整。
枝の位置。土の湿り。自分の体温が漏れない角度。
時間が過ぎる。
そして来た。
巨角鹿。
角が大きい。首が太い。背中が高い。
筋肉が“塊”になって動いている。
一目で分かる。あれは、背筋が強い。
ボクは弓を引いた。
狙いは胴じゃない。肩でもない。
初手は、太腿。
速さを奪う。
逃げる距離を減らす。
遠距離の狩りは、まず足から壊す。
――すぅ。
放つ。
矢が刺さった。
鹿が跳ねる。鳴かない。すぐ走る。
走りながら角度を変え、森へ逃げる。
速い。
でも出血する。確実に。
ボクは追う。
足首が粘る。骨が耐える。
でも問題はここからだ。
走りながら撃つ。
止まって撃つ。
待って撃つ。
そのたびに背中が揺れる。
ボクは息を整え、二本目を番えた。
鹿が一瞬だけ振り返った瞬間――
引き絞る。
……ブレる。
照準が、角に吸われる。
胴に戻す。
戻す間に、鹿が走る。
外した。
舌打ちしそうになって飲み込む。
焦ったら負ける。
姿勢が弱い。
今のボクは、強弓に身体が追いついてない。
だから、追い込みに切り替える。
鹿は賢い。
一直線に逃げない。森を使う。斜面を使う。
視界を切って、距離を作る。
でも単独だ。
群れの連携はない。助けもない。
ボクは地形を選び、鹿の逃げ道を削っていく。
狭い沢。倒木の多い斜面。
走ると脚を取られる場所へ、誘導する。
途中、塩を撒く。
鹿は塩に引かれる。匂いで足が止まる。
その一瞬が、射線を作る。
止まった。
ボクは弓を引いた。
今度は時間をかけない。呼吸一つ分で放つ。
矢が二本目、肩口に刺さる。
鹿の前脚が落ちる。体勢が崩れる。
いい。動きが鈍る。
三本目は背中――じゃない。まだ。
背中は硬い。外すと痛いだけで逃げられる。
狙うのは肋の下、肺の端。
致命じゃないが、息を奪う。
矢が刺さる。
鹿が荒く息を吐き、走りが重くなる。
ここまで来れば、勝てる。
問題は、最後の一撃を“安定して”入れること。
鹿が止まった。
木の陰、開けた場所の端。
肩で息をしている。血が滴っている。
それでも目は鋭い。角は上がっている。
突進されたら死ぬ。
距離は保つ。
ボクは矢を番え、構えた。
引き絞る。
肩は壊れない。
骨も折れない。
でも背中が、わずかに震える。
長く構えるほど、揺れが増える。
照準が流れる。呼吸に引っ張られる。
――だから、決める。
撃つタイミングを“作る”。
ボクは石を一つ投げた。
岩猿の投擲適性が、ここで生きる。
石が鹿の横の木に当たり、乾いた音がした。
鹿の視線が音へ逸れる。
その瞬間、ボクは撃った。
矢が喉の下を貫いた。
鹿が膝をつき、倒れる。
静かに終わった。
回収。
ボクはまず肉を切った。
小刀が気持ちよく入る。文明は最高だ。
次に骨。
硬い。密度がある。
オーガほどじゃないが、良い材料になる。
そして――背中。
脊柱の両側。
太く、長く、しなやかな筋。
ここが欲しかった。
ボクは噛みついた。
食う。情報を抜く。
『――モンスター情報収集率、31%』
背筋は“量”がある。
噛むほど伸びる。
『――モンスター情報収集率、66%』
鹿の血が温い。
胃が重くなる。眠気が差す。
でもここで止めるわけにはいかない。
『――モンスター情報収集率100%になりました。どの部位を反映しますか?』
選択肢。
『脊柱起立筋:姿勢保持』
『臀筋:加速』
『大腿筋:出力』
迷う理由がない。
「姿勢保持」
『選択を受け付けました。選択項目:脊柱起立筋:姿勢保持。変換反映を開始します』
背中が、内側から固まった。
硬くなるんじゃない。
“支える”方向に筋が並び替わる。
腰が逃げない。
肩が落ちない。
背骨が一本の棒みたいに安定する。
ボクは弓を構えた。
さっきより長く引いてみる。
……ブレない。
呼吸が揺れても、照準が残る。
身体の中心が、勝手に戻ってくる。
「……最高」
これで、強弓は“武器”になる。
骨で耐え、肩で引き、背筋で固定する。
遠距離の形が、ようやく完成した。
ボクは鹿の肉と骨を袋に詰め、森へ消えた。
次は――舌。
理解した言葉を、こちらから投げる番だ。




