第十話:音で盗む
骨密度が上がってから、腹がうるさい。
食っても足りない。
動けば減る。走れば減る。弓を引けば減る。
強くなるって、燃費が悪くなることだ。
だから必要になる。
文明。
塩。油。布。刃物。
森の外の“当たり前”を、こっちに持ち込む。
問題は――監視だ。
女神教の野営地は増えていた。
見張りが増え、巡回が増え、焚き火が増えた。
森が、少しずつ“管理”されていく。
狩りがしづらくなる。
なら、管理する側の手順を使う。
ボクは影の中で耳を澄ませた。
言葉じゃない。合図だ。
短い口笛。二回。
木を叩く音。三回。
そして、叫び声。
「集合!」
単語は分かる。
でもまだ言えない。
……言えないなら、真似ればいい。
野営地の外縁。見張りが一人。
松明のそばで欠伸して、足を鳴らしている。
ボクは距離を取ったまま、草の影に伏せた。
多重処理で、片方は見張りの癖。
もう片方は、巡回の間隔。
風が変わった瞬間、喉の奥を震わせる。
音色模倣。
声帯が、勝手に“形”を作る。
空気が整い、音になる。
――ピィ、ピィ。
口笛。
完璧じゃない。でも合図としては十分。
見張りが顔を上げた。
「……ん?」
次の音も入れる。木を叩く音。
ボクは手元の石で、乾いた木を三回叩いた。
タン、タン、タン。
最後に“集合”の叫び声――は、無理に言葉にしない。
音だけ真似る。
「……ッゴゥ!」
短く、強い声。
命令の形だけ。
野営地の空気が変わった。
兵が立つ。鎧が鳴る。
松明が増える。
「合図だ!」
「どこだ!」
「……北だ、北から聞こえた!」
違う。
南だ。ボクは南にいる。
声は反射して、北に聞こえるように作ってある。
ウィッチコボルトがやっていたことを、ボクが使う。
兵が北へ走る。
隊列が崩れる。
神官の声が飛ぶ。
「落ち着きなさい!」
「声に釣られるな――だが確認は必要です。二名、偵察!」
二名だけ残る。
残りは北へ引っ張られた。
……よし。
ボクは野営地の“空洞”へ滑り込んだ。
焚き火の匂いが濃い。胃が鳴る。
荷車の影。
箱。麻袋。
人間の物資は、匂いが違う。乾いていて、均一で、便利な匂い。
手早く取る。
塩。
布。
油の小瓶。
そして――小さな刃物。
短剣じゃない。作業用の小刀。
それでいい。むしろそれがいい。
五本指で握った瞬間、世界がまた一段変わった。
削れる。切れる。細工できる。
弓も罠も、効率が跳ね上がる。
ボクは笑いそうになって、やめた。
今は声を出さない。癖になる。
背負った袋が重い。
でも骨が耐える。脚が粘る。
撤退。
戻り際、見張りの二人が戻ってきた。
「……何もいない」
「声はした。確かに」
「またあの人狼か?」
神官が黙って荷車を見た。
箱の蓋が、ほんの少しズレている。
視線が鋭くなる。
「……盗まれた」
兵がざわつく。
「人狼が? いや、あいつは物を取らねぇ」
「じゃあ誰が――」
神官は答えを急がなかった。
ただ、胸の紋章を指でなぞって言った。
「声を使う存在がいる」
「そして、手順を知っている」
「監視を強めます」
「次からは合図を変えなさい。声だけで動くな」
森が、また締まる。
ボクの首も、少し締まる。
でも――袋の中は重い。
塩がある。布がある。油がある。刃物がある。
文明がある。
ボクは影の中で、喉の奥を撫でた。
まだ喋れない。
それでいい。
音で盗めるなら、言葉で奪える日は近い。




