第九話:偽人狼(ウィッチコボルト)
声は嘘だ。
それを知ってるのに、脳が反射する。
「助けて」に足が動きかける。
「こっち」に首が回りかける。
だから、戦う場所を選ぶ。
ボクの罠域。
ボクの射線。
ボクの逃げ道。
ウィッチコボルトを狩るなら、そこ以外はない。
夜。森の端で声がした。
「……たすけて」
女。
掠れてる。弱い。
でも息が乱れていない。
次に男。
「こっちだ……はやく……」
同じ距離、同じ高さ。
同じ“口”。
ボクは呼吸を止め、耳を捨てた。
代わりに足裏を見る。
地面の固さ。葉の沈み方。
小石の転がり。
多重処理を回す。
片方で罠の位置。
片方で接近経路の予測。
声は右から聞こえる。
でも葉が揺れたのは左。
踏圧が来たのも左。
――左が本物。
ボクは影の中でリカーブ弓を引いた。
狙うのは喉じゃない。脚。
放つ。
矢が闇を切り、鈍い音がした。
何かが跳ねた。
次の瞬間、声が“背後”から聞こえた。
「……いた」
低い男の声。すぐ耳元。
反射で背筋が冷える。
でも、足元の音は前方だ。背後じゃない。
声だけが回り込んでる。
腹話術。反射。地形利用。
人間に近い嘘。
ウィッチコボルトは賢い。
だからこそ、罠に落ちる。
ボクは後退するふりをして、意図的に“通路”を作った。
倒木の間。岩の割れ目。
逃げやすく見える一本道。
そこが、誘導路。
影が見えた。
小柄な人型。尖った耳。灰色の毛。
コボルトに見える。
でも目の動きが、人のそれだ。
ウィッチコボルト。
口元が不自然に湿っている。
声を作るために、口腔を酷使してる感じ。
そいつは笑った。
「お前……わかる、な?」
共通語。
発音は少し歪んでる。
でも意味は通る。
ボクは返さない。返せない。
理解だけして、黙る。
その沈黙に、ウィッチコボルトは一瞬だけ眉を動かした。
“喋れない”と読んだのが分かる。
次の瞬間、影が増えた。
ウィッチ。
簡易幻術。
森の闇に、同じシルエットが二つ、三つ。
どれが本体か、輪郭だけがズレて重なる。
視覚が崩れる。
距離が揺れる。
……嫌らしい。
でもボクには、多重処理がある。
片方で幻を“無視”して足元だけ取る。
もう片方で本体の癖を探す。
影は増えても、踏圧は一つ。
葉の沈みは一箇所。
呼吸音も一つ。
本体は、中央の影。
ボクは弓を引いた。
狙うのは肩。投擲とナイフを封じる。
放つ。
矢が刺さり、ウィッチコボルトが呻いた。
幻が一瞬薄くなる。
痛みで集中が切れた。
「……っ」
ウィッチコボルトは声を変えた。
「たすけて、たすけて!」
今度は子供の声。
必死の泣き声。
森の奥で、別の声が返す。
人間だ。
「誰だ!」
「そこにいるのか!」
「待て!」
女神教の捜索隊。
近い。思ったより近い。
三つ巴が、もう始まってる。
ウィッチコボルトは笑った。
人間を呼び寄せ、混乱の中で逃げるつもりだ。
……いい。呼べ。
ここはボクの罠域だ。
ウィッチコボルトが誘導路へ走った。
脚を撃たれたのに速い。痛みを無視してる。
ボクは追わない。
先回りする。
多重処理の片側で罠の順番を再生し、
もう片側で人間の足音の距離を測る。
ウィッチコボルトが滑り泥に入った。
ずるっ。
足が取られ、体勢が崩れる。
そこへ蔓ロープが跳ねた。
がしっ。
足首が取られ、転倒。
ウィッチコボルトが地面を叩く。
叫び声が出る。
声が割れる。喉が擦れている。
……壊すな。まだ壊すな。
ボクは矢を構えたまま近づき、ネットを投げた。
枝と蔓で組んだ重しネット。
ばさっ。
被さる。動きが鈍る。
ウィッチコボルトが牙を剥き、腕を振り回す。
ボクは麻痺針を吹いた。
狙うのは腕。肩。喉じゃない。
ぷす。
ぷす。
痙攣。指が開く。抵抗が落ちる。
捕まえた。
人間の声が近い。
「足跡がある!」
「こっちだ!」
「声が――」
神官の声が混ざる。
「声に釣られるな。隊列を維持しろ」
「紋章を見ろ。美の秩序を守れ」
……来る。
ボクはウィッチコボルトの頭を押さえつけ、口元へ噛みついた。
狙いは“喉の中心”じゃない。
声帯そのものを潰すと素材が死ぬ。
だから、周辺を食う。
舌根。喉の軟骨。共鳴に必要な肉の形。
声を作る“器”の情報。
悪食が反応する。
『――モンスター情報収集率、34%』
ウィッチコボルトが呻く。
喉が鳴る。唾が溜まる。
でも声は出ない。麻痺で口が動かない。
ボクは短く、必要な分だけ食った。
『――モンスター情報収集率、68%』
足音がさらに近い。松明の光が木々に揺れる。
急げ。
ボクは喉元の左右、軟骨の縁を重点的に削った。
形の情報。振動の情報。呼気の抜け方。
『――モンスター情報収集率、100%になりました。どの部位を反映しますか?』
選択肢。
『発声器官:声帯(模倣)』
『口腔:共鳴(腹話術)』
『舌根:発音補助』
今は、声の核。
「声帯」
『選択を受け付けました。選択項目:声帯(模倣)。変換反映を開始します』
喉の奥が、ぞわ、と震えた。
痛みじゃない。
違和感。
空気の通り道が、少しだけ変わる感覚。
声を作る“ひだ”が、内側に増える。
振動の幅が広がる。
呼気が勝手に整う。
――でも、まだ喋れない。
口も舌も、形が足りない。
発話は先。理解の次。
それでいい。段階がある。
『所有能力:音色模倣(初期)』
来た。
“喋る”じゃない。
“音を真似る”。
発話への足場。
松明が見えた。
ボクはウィッチコボルトを解放した。
ネットを切り、ロープを外す。
殺さない。
殺したら、終わる。
因縁も、混乱も、全部ここで終わる。
それはもったいない。
ウィッチコボルトは咳き込み、よろめきながら森へ消えた。
喉を押さえている。
声が出ない。
でも生きている。
ボクは逆方向へ滑り込む。
塩の境界を越え、足跡を消すように迂回する。
女神教の捜索隊が、罠域に踏み込んだ。
「……血だ」
「ここで争った痕跡がある」
「罠……? 誰が?」
神官が低く言った。
「モンスターではない」
「この罠の配置は、意図がある」
兵が息を呑む。
「じゃあ……人間か?」
「いや。こんな森で、こんなやり方――」
神官は結論を急がなかった。
「監視対象は一つではない」
「森に、“学ぶもの”がいる」
その言葉を、ボクは影の中で聞いていた。
理解できる。
そして今度は、音を真似られる。
まだ言葉にはならない。
でも――近づいている。
女神の秩序が張り巡らす監視の中で、
ボクは、さらに静かに進化した。




