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婚約者の騎士様に放置されたので異世界で日本酒を楽しみます~本当に好きなお相手とどうぞお幸せに~  作者: 千早 朔


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8/20

日本酒で春を味わう

「わあ……香ばしいような、甘いような……食欲をそそる香りがします」


「でしょう、でしょう。この緑色のペーストは"ワサビ"という、ツンとくる植物を擦りおろした香辛料でして。これを箸の先ほどだけ鯛につけて、食べてみてください」


「わかりました」


 魚の切り身ひとつを食べるにも、色々と工夫がなされているのね。

 ドキドキとしながら"ワサビ"を白い身につけ、微かに震える箸で摘まんで"ショウユ"にひたり。

 黒い雫がしたたり落ちないよう手を下に添え、一気に口内へ導く。


「――!」


(これが、生のお魚……!?)


 モチモチとした弾力をしているのに歯切れが良く、噛むごとにとろりとした脂の甘さが広がる。

 なんといっても"ショウユ"の独特な塩気が、その甘みをうま味に変えながらより引き立てているよう。

 それに、この"ワサビ"。


(ツンとするというのは、鼻に刺激がくるということだったのね)


 少ししか付けていないというのに、自国の香辛料とも違う刺激につい鼻先に触れてしまう。

 けれどもなんて青々しい、爽やかな香りが鼻を抜けて――。


「おいしい……っ!」


 何よりも驚くべきなのは、まったく臭みを感じないこと。

 いえ、魚としての香りは確かに残っているのだけれど、それすらも"ショウユ"と"ワサビ"に良く調和しているというか。


「お口に合ったようで何よりです」


 亀さんは幼子を見るような優しい眼差しで深く頷き、


「あそこの壁際に、ピンクの花がついた枝木が活けてありますでしょう? "桜"という、この国を代表する春の花なのですがね。この春先の鯛は美しい桜色に染まるもんで、"桜鯛"と呼ばれているんですよ」


「魚に花の名を……? そのように美しい感性をお持ちだからこそ、こうした繊細な味を生み出せるのですね」


 飾られた"桜"という花も、小さく淡い花弁は触れたら散ってしまいそう。

 それでも堂々と花を開く姿は愛らしくも優美で、とても美しい。


「ささ、リアナちゃん。ここで一口、くっとね」


 三樹様に促されて、グラスに口をつける。

 瞬間、走った衝撃に目を見開く。


「あれほど華やかな印象のお酒でしたのに、この"サシミ"の繊細な味わいをまったく邪魔していません! まろやかな甘さが、すっと魚の香りと"ショウユ"の塩気を喉に流してくれて……この、パチパチとした刺激も。脂のしっかりとした後味を爽快にしてくれます……!」


 夢中になってもう一切れの”タイ”を口に含み、追うようにして日本酒を。


「香りも食感も本当に華やかな……そう、まるであの”サクラ”のように、次々と小さな花が開いていくような心地がします」


 頬に手を添えほう、と小さく息をついた私に、三樹様と亀さんは「春を味わう、だねえ」「僕も飲みたくなってきましたねえ」としみじみと頷き合い、


「この国ではね、春には至る所であの桜の木が満開になるんだ。それをお酒と、美味しい食べ物を頂きながら楽しむ"花見"って文化があるんだよ」


「ではまさに、今の私は"ハナミ"の最中ということですね。……流行というのは目まぐるしく変わるものですのに、こうして美しい感性が"文化"として根付いているというのは、羨ましく思います」


("首都の令嬢"は、古きの良さよりも新しい流行に敏感でなくてはならないから)


 新しいモノが悪いわけではない。

 ただ、ドレスを仕立てたと思えば、また仕立て。

 帽子もアクセサリーも、靴だって。色から形から柄まで、ほんの僅かでも”古く”なってしまえば、嘲笑の対象になってしまう。


(騎士でもないというのに、武装をしているようなものだわ)


 ――侯爵家の婚約者として。

 その言葉に背負い続けてきた緊張感が癒されていくのは、この店には長年愛されてきたものが持つ安心感が漂っているからかもしれない。


「堪能してもらえたかな?」


「ええ、とても。……こんなにも夢中になった食事は、随分と久しぶりです。奇跡的な幸運に、感謝をしなくてはなりませんね」


 と、三樹様は「ふふ、懐かしいな」と頬を緩め、


「ロイドさんもね、”なんて奇跡のような幸運だ!”って喜んでくれていたんだよ。ちょうど、同じその席でね」


(お爺様も、この席に)


 穏やかに細まる双眸には、その頃の光景が浮かんでいるよう。


(やっぱり、三樹様はお爺様と交流が深かったのね)


 他のお客様のもとへ向かった亀さんを見送り、私は「三樹様」と姿勢を正す。


「実のところ、お爺様からいただいたペンダントからここへと通じる扉が現れたのです。お爺様は、こちらに頻繁に通われていたのでしょうか? 三樹様は、どこまでご存じなのでしょうか」


 三樹様は遠い過去を思い起こすようにして、「そうだなあ」と視線を上げる。


「ロイドさんが初めて来店されたのは、もう十年ほど前になるかな。リアナさんのように突然扉が開いたと思ったら、"なんて素晴らしい! 本物だ! どこに繋がったんだ!?"って叫びながら入店してきてね。ほら、リアナさんの国ってここと服装も違うでしょう? だから初めはドラマ……ええと、演劇とかをする役者さんが間違って入ってきたのかと思っちゃった」


(まったく物怖じせずに進んでいってしまうなんて、お爺様らしいわ)


「って、あれ?」


 私は失礼だと思いながらも、三樹様の顔をまじまじと見てしまう。

 十年ほど前。てっきり三樹様は私と同じ二十の半ばぐらいかと思ったけれど、それだと十四、五にはこの店を営んでいたことになってしまう。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます!

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