婚約破棄に繋がる最悪の現状
「――遅くなってすまない!」
力いっぱい開いた扉から駆け込み、息を荒げつつ周囲を見渡す俺に気づき、ノイマンが慌てて駆け寄ってくる。
「おかえりなさいませ、坊ちゃま。ご帰宅を心よりお待ちしておりました」
「長引いてすまなかった。リアナ嬢は?」
「お嬢様でしたら――」
「フレデリック様……っ!?」
驚く声に視線を上げる。と、今まさに下りようとしていたのか、階段の上にリアナ嬢が。
久しぶりに見る彼女の顔に、張り詰めていた気が緩んだのは無意識。
「お戻りになられたのですね……!」
急ぎ階段を下りて来るその姿は、常よりも着飾っているように思える。
まさか俺を迎えるために。そんな馬鹿げた思考は瞬時に打ち消して、「お久しぶりです、リアナ嬢」と笑む。
「長らく家を空けてしまい、すみませんでした」
「いえ、その点については慣れていますので、特に問題はありませんでしたわ」
(ん?)
違和感を覚えるも、ずいと寄せられた心配げな顔に気を取られ、
「お怪我は?」
「あ……かすり傷程度ですので、ご心配には及びません」
彼女は「良かった」と胸をなでおろし、
「それを聞いて安心しました。本当に、ご無事でなによりです」
言葉に率直なふわりとした微笑みに、鼓動が早まるのを自覚する。
(手紙も良いと思ったが、やはりこうして顔を見れるのが一番だな)
「リアナ嬢、急ぎ入浴をすませますので、一緒にディナーを――」
「リアナお嬢様、オリオル公爵家からお迎えの馬車が到着なさいました」
(オリオル公爵家から馬車?)
使用人が低頭しながら告げた言葉に疑問を抱いた俺の眼前で、リアナ嬢は「ありがとうございます」となんとも嬉し気にぱっと顔を輝かせる。
次いで俺へと視線を戻すと、すまなそうに眉尻を下げ、
「申し訳ありません、マルガレット様とディナーの約束がありまして。あ、それと、ご報告が遅くなってしまいましたが、今年の"剣姫選定の儀"に参加することになりました。任務から戻られたばかりで、フレデリック様もお疲れでしょう? 私の帰宅を待つ必要はありませんので、ゆっくり休んでくださいね」
お顔が見れてよかったです、と会釈して、リアナ嬢は軽やかな足取りであっという間に出ていってしまった。
残された俺は、扉が閉じた後も呆然と立ちつくす。
(オリオル公爵夫人とディナー?)
更には"剣姫選定の儀"に参加というのは、つまり……。
「ですから、一大事だと申し上げたのです」
深い焦燥を滲ませたノイマンの声に、はっと視線を上げる。
と、いつの間に集まっていたのか、ずらりと並んだ使用人が。
それだけでも異様な状況だというのに、俺を見つめる面々は怒りを抑えているようだったり、不安げだったり、中には涙ぐんでいるものまで。
「いったい……」
「坊ちゃま」
すっと一歩を進めたノイマンの片眼鏡が、きらりと灯りを反射する。
「お嬢様は、本気で坊ちゃまとの婚約解消をお考えのようです」
「な……っ」
耐えきれないといった風にして、使用人のひとりが口を開く。
「フレデリック様が任務に発たれた後、どこからか手に入れた不思議な酒器を、あちこちのお茶会で披露されていたんです。そしたら、リアナ様がお優しく聡明な女性であるとあっという間に知れ渡ってしまって……!」
「フレデリック様! どうして初めからリアナ様にもっとお気持ちを伝えなかったのですか! リアナ様がご自分を愛してくれる方と新たな縁をと願うのも当然です!」
「リアナお嬢様のお心を射止めようと花を添えた手紙が毎日毎日毎日、耐えず送られてくるのですよ!? 堂々と! このお屋敷に!」
「嫌です! リアナお嬢様以外を奥方として迎えるなんて、考えられません!」
過熱する使用人たちを、ノイマンが右手をあげ遮る。
「長らく変わらないままであったこのお屋敷と私達に、変われるきかっけを与えてくださったのはお嬢様です。我々使用人は皆誰もが、お嬢様に心からの感謝を抱いております」
瞳に涙をためながら力強く頷く使用人たちの様子に、目の前がぐらりと歪む。
(これは……覚悟をしていた以上に、危機的な状況なのでは)
凶悪犯と対峙した際を遥かに上回る緊張が、背をぞくりと駆けあがる。
「……話は、よくわかった。だが皆も知っての通り、俺はリアナ嬢を慕っている。婚約の破棄をするつもりは、ない」
「ですが、リアナお嬢様はすでに、このお屋敷を出るための準備を初めておられます。オリオル公爵夫人と、どれだけ頻繁にお会いしているか。なんでも、夫人と事業を始められるそうで」
「事業だと?」
ノイマンは「左様でございます」と首肯し、
「領地にいらっしゃる旦那様より、当家としては問題ないと書面でいただいておりました。お嬢様はそれはもう、日々楽し気に励んでおいでて……。"剣姫選定の儀"についても、正式な書面が届いたのは今朝にございます。が、どうやらすでにオリオル公爵夫人よりお話を聞いていたようでございました」
「…………」
「フレデリック様にその気はなくとも、リアナお嬢様から申し入れがあったなら、無理やり縛り付けるにはあまりにお可哀想です……!」
「そうですよ! リアナ様のお心がすでに、他のご令息に向いている可能性だってあるのですから!」
「!」
リアナ嬢が、別の令息と……?
(自分に責があるのは理解している。が、祝福などできない……!)
「どうすれば、リアナ嬢の心を――」
「――フレデリック! 帰ってきてるのかっ!?」
「!?」
突如開かれた扉を振り返ると、バチリとセドと目が合う。
彼は大きなため息をつきながら脱力し、
「なんっで帰ってきてんだよ……」
「俺の屋敷だからな」
「そうでなくって! どうみても非常事態な剣幕で馬に飛び乗るお前を心配して追いかけたっていうのに、途中で見失った俺の気持ちがわかるか!? それでもお前のことだから、本部に戻ったモンだと思って急いで向かったのに、いないし! 別に非常事態でもないし! なんであの勢いで家に直行してんだよ!?」
「俺は確かに"帰る"と言って出て来たはずだが。それに、報告書はお前に預けたのだから、お前が本部に提出すれば仔細の報告は後でも問題ないはずだ」
「だから、なんで俺なんだよ!? 一番の功労者が真っ先に手柄を自慢しにいかなくてどーする……!」
「結局、アジトの場所をはかせたのはお前だろ。"一番の功労者"に違いないと思うが」
「そのアジトに突っ込んでいって、あっという間にボスを縛り上げたのはドコの誰だ? って、そういやコレってどんな状況? 総出でお迎えってんなら、婚約者ちゃんは? 俺も挨拶したいんだけど」
頭を下げる使用人たちを不思議そうに眺めて、セドがきょろきょろと周囲を見渡す。
俺は重い口をなんとか動かし、
「……リアナ嬢は、つい先ほどマルガレット夫人とのディナーに出かけた。迎えの馬車が来たんだ」
「オリオル公爵夫人と、迎えの馬車付きでディナー!? おま、それ、可愛がられているだなんてモンじゃないぞ!? 溺愛だ溺愛!」
「……マルガレット夫人には、随分と懇意にしてもらっているそうだ。事業の立ち上げを手伝ってもらっているみたいでな」
「事業だって?」
ピクリと肩を揺らしたセドの表情が、真剣な色に変わる。
「フレデリック、あの"噂"の真偽はどうなった。お前との婚約を破棄するつもりだってヤツ」
「……どうやら、本気の可能性が高い」
「はあ~~~~」
セドは額に手をあて、深く息を吐きだし、
「現状における最悪の情報を耳にしたんだけど、聞くか?」
「なんだ?」
「二年ほど前からケルシュバイン帝国に留学していた、マルガレット夫人溺愛の甥っ子くんがいるだろ? 昨日、王都に戻ってきたらしいぞ。……夫人、婚約者ちゃんに紹介するつもりだったりしないよな」
「な……っ!?」
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